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真理の証し 宮城教区講習会 体験談

投稿日:2018年1月30日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し 講習会

平成29年度 宮城教区講習会 体験談
平成29年11月26日(日)
於: 仙台サンプラザホール
船岡単位青年会 櫻井真紀子さん

私が生長の家に出会ったのは生協の買い物送迎バスの中でした。白鳩誌をもらい、母親教室に誘われました。その時は長女が3才、次女が1才になったばかりで、夫の実家に同居を始めて間もない頃でした。近所に知り合いもなく、子育てについて学べそうだと思い、参加することにしました。

母親教室ではまず始めに聖歌『我が子よありがとう』を歌ったのですが、歌詞にとても感動しました。この聖歌はヤングミセスの集いや生命学園でも何度も歌っているのですが、子供が生まれる度に感動し直す、本当に素晴らしい聖歌です。

聖歌のあとは講話を聞きます。講話では母として妻として大切なことを分かりやすく教えてもらえ、次は来月、また来月と母親教室が楽しみになりました。皆さんの優しい言葉と笑顔に元気をもらい、集まりの誘いをいただく度に参加していたら、逆に驚かれるほどすんなりと生長の家に入ってしまいました。

また、講話や聖典の中で「子供は福田を持って生まれてくる」「同じ波長の神の子さんが親を選んで来てくれる」ということを学んでいるうちに、我が家にももっとたくさん神の子さんに来て欲しいと思うようになり、母親教室で教えられたことを実践しました。具体的には、和顔愛語賛嘆とハイニコポンです。家族と握手しましょう、子供を誉めましょう、1日20回ありがとうございますと言いましょう、など、時には次に会ったとき実践したか聞きますよ、と宿題が出ることもあります。そうして明るい言葉明るい笑顔で家族の素晴らしい点に注目できるようになり、今では4人の娘たちと楽しい毎日を過ごしています。

我が家の4姉妹を紹介します。

中学2年生の長女は、マイペースですが、初めての場所も事も恐れず突き進む、頼もしいお姉ちゃんです。

小学6年生の次女は、すべてを把握しないと一歩がでないほど慎重派ですが、すべてを見渡せる司令塔タイプで、家でも友達にも頼りにされています。

小学2年生の三女は、元気いっぱいチアリーダータイプで、代表の挨拶に立候補するなど度胸があります。

2才5ヶ月の四女は、みんなに愛され見守られて何にでも挑戦します。保育所でも、いつもニコニコしていて、うまく育てられてますね、と誉められました。いつもお手伝いを頑張ってくれているお姉ちゃんたちにも感謝でいっぱいです。

仕事と子育てに忙しくなるとつい、姉妹同士を比べたり、よその子と比べたり、出来ていないことに目を向けてしまいがちですが、そんなあなたが素晴らしい、そのままで素晴らしいと思えるのはみ教えのお陰です。

今はすっかり平和に楽しく過ごしていますが、きっかけとなったことは新しい家への引っ越しです。

生長の家で真理を学び始めてからずっと、わからないことがありました。講話のなかで、あるときは、我の願いつまり自分勝手な執着を放しなさいと教えられ、またあるときは自分の心にわき上がる願いはすでに与えられているから最も良いとき良い形でやって来てくれると教えられました。私の希望は新しい家に引っ越すことでしたが、夫の実家に同居させてもらっていることはありがたいことだと思いつつ、子供中心の生活や新居が欲しいと願うことは我の願いなのか祈っても良い希望なのかということが、聖典を読んでも講師の先生に質問しても解決出来ずにいました。

そんな中、夫から中古住宅を買おうかと提案があり、半信半疑で手続きをしましたが、住宅ローンのための銀行の審査が下りませんでした。生命学園の会議があった時、そのことを話したところ、園長先生から「こんな家が欲しい、は我の願い、でもみんなが笑顔でいるところを思い浮かべて祈るのはいいのでは」と言われ、そこで今までのモヤモヤがすっきりしました。そしてそう思ってみんなが笑顔で私も笑顔でいられる場所が与えられました、と祈ったところ、数日後に夫の会社を通じて銀行の審査を再度行ってもらえて、審査が通りましたと連絡があり、無事に去年の4月に家族がのびのび過ごせるマイホームに引っ越すことが出来ました。

これからは子供たちがそれぞれ夢を膨らませていけるように、家族みんなが笑顔でいられるように、生長の家のみ教えを学んでたくさんの人に伝えて行きたいです。

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真理の証し 宮城教区講習会 体験談

投稿日:2018年1月30日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し 講習会

平成29年度 宮城教区講習会 体験談
平成29年11月26日(日)
於: 仙台サンプラザホール
白鳩会郡山支部 寺﨑貴代さん

何年も前に遡りますが、嫁ぎ先の義母が生長の家を信仰していました。3人の子供に恵まれ、下の子が小学生になった頃、子育てに迷いがあり、母に相談したところ、宮城の練成会に行く様すすめられました。あまり気はすすまなかったのですが、昭和56年5月の練成会に参加しました。練成会を受けたものの、人を責める母の態度からどうしても素直に生長の家のみ教えを受け入れる事が出来ませんでした。

何度か誌友会に参加しているうち、相手を変えるのではなく、自分が変わらなければ幸せにはなれないという練成会で学んだことを思い出し、日々努力したことを覚えています。ところで、その頃、今でこそ生長の家の活動の一環でもあるプロジェクト型組織の3つの中の一つ、クラフトであるパッチワークに出会いました。もともと物を大切に生かして使う生き方をしてきたので、ワクワク楽しい気分になりました。何故なら、子供達の小さくなり捨てようと思っていた洋服がバックや座布団カバー小物等に変身していったからです。

平成になり、支部を分けつすることで支部長を拝命しました。現在、わが家ではエコ生活を実践することを目指した「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」いわゆる「Bタイプの誌友会」を毎月開催しています。

不要になったネクタイ、ハンカチ等を使い、ブローチ、ネックレス、エコバックを作っています。パッチワークで出会った仲間達にも講習会や教区大会に参加して頂いています。 不要になった着物や生地がたくさんの方達から集まって来るのです。 どうしようかと迷ったあげく、丁寧にほどき、ぬるま湯で洗い、陰干ししアイロンをかけると見事に復活するのです。また、その生地をつなぎ合わせたりして、仕立てて行くと魔法にかかった様に生まれ変わります。

私が55歳の時、主人が脳梗塞となり、手足の後遺症はありませんでしたが、方向が全く分からない見当意識障害が残りました。ですから仕事も出来なくなりました。見た目は普通の人と変わりなく、会話もできたし、一緒に散歩や旅行に行くこともできました。しかし、病気は徐々に進み、手足に痛みが出るようになりました。一緒に「実相円満完全・・・・・」と唱え続けました。一時的に痛みが止まるのか、自分から唱える様になりました。私が家を留守にする時などは谷口雅春先生のご講話のテープや聖歌集のテープをいつでも聴けるようにして出かけました。夫は日々安らかな生活を送っていたのか、いつもお母さんありがとう、ありがとうと感謝していました。その夫は9年間の闘病生活を終え、平成21年4月、安らかに昇天しました。主人が亡くなり一段落し、仕事復帰しようとした次の年、今度は実家の94歳になる母の介護が始まったのです。身の回りのことは出来る母でしたので、一緒にいて転ばない様に見守ることでした。お金に余裕もなく、仕事にも復帰できませんでしたが、母といる時はいつも昔話をしたり、一緒に雑巾を縫ったりと楽しい介護生活ができました。「子育てと親の世話は見返りを求めない愛なのだから、その先には必ず幸せがある」と生長の家の教えがあったからです。精一杯愛を出してお世話させて頂きました。そして一年後、あの忌まわしい「東日本大震災」が起きたのです。実家は太平洋からすぐ近くです。その日、母と妹と3人でいました。外を見ていた妹が「津波だ!」と叫んだので、とっさに2階に逃げようと言い、2人で母を引きずりながら2階に上げた瞬間、2波と3波が同時に玄関のガラス戸を壊し「ガーッ」と水が入ってきたのです。何が起きたのか分からず、我に返った時、私たち3人は神様に生かされたんだぁーと実感しました。ベッドに静かに寝ている母を見て、水に浸かることもなく、助けられたことに安堵しましたが、95歳という高齢、また震災のストレスもあり1ヵ月後の4月12日昇天したのです。 2人の母も今年で7回忌を迎えました。このような節目の年に体験談をさせて頂いた事に深く感謝致します。

私も時間に余裕のできた今、趣味でもあるクラフト、食では地産地消、有機野菜を優先的に選び、また自ら畑に種から育て、収穫した大豆で自家製の味噌を作り皆さんに喜ばれています。毎年ジャガイモ、らっきょう、カボチャ等栽培し収穫しています。

このように私は信仰と生活を一致させ、生長の家で教えて頂いた「神の子人間」という真理をしっかり学び、心から感謝し、理解し生活に生かしてこれからの人生を、出逢いを大切に、明るく、楽しく、元気に邁進していきたいと思います。 ご清聴ありがとうございました。

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真理の証し 宮城教区講習会 体験談

投稿日:2017年12月28日 カテゴリー:真理の証し 講習会

平成29年度 宮城教区講習会 体験談
平成29年11月26日(日)
於: 仙台サンプラザホール
富谷相愛会 千葉 満さん

皆様ありがとうございます。わたしが生長の家に触れたのは、親が生長の家をやっていたわけでもなく、病気とか、大きな問題があるわけでもなく、人間は何のために生きているのか?本当の自分は何なんだろう?死んで灰になって、お終いなんておかしいと思っていました。そして自分には人に言えない劣等感があり、誰にも相談出来ず、悶々としていました。

それを教えてくれたのが生長の家でした。平成元年の4月に新しい職場に移った私は、その答えを探すため本屋めぐりをしていました。そしてある本から、「実相を知ればすべてが良くなる」と知り、実相のことが知りたいと思っていたのですが、どの本を読んでも答えはありませんでした。それで、いつも私のことを素晴らしいと褒めてくれる職場の同僚に聞けばわかると思い、実相って知っているかと聞いたら、明日持ってくると言われ、これが実相だと言われて渡されたのが『生命の實相』という本でした。私は毎晩狂ったように『生命の實相』を読み、これぞ本当の御教えだと思いました。それから南小泉青年会での生長の家の勉強会である誌友会に誘われ、すぐに聖使命会員に入会し、青年会活動に邁進するようになりました。

月日は流れ私は結婚し、2人の子供を持ちました。家族はもちろん聖使命会に入れさせて頂きました。子供たちはグレルことなく、学校を卒業し、社会人になりました。家族には大きな病気などありませんでした。至って平々凡々であり、いわゆる病気が治ったなどという奇跡はありません。奇跡がなくても当たり前が非常にありがたいと思っています。この御教えがあったからこそ、当たり前が素晴らしいと思えるようになりました。

先日ある体験をしました。いつものように職場に向うため自転車に乗りました。いつもなら荷物はバックに入れるのですが、あいにくの雨のため弁当をビニール袋に入れスタートしました。何かの拍子で弁当が横倒しになった瞬間、何年か前に「千葉さん弁当を持ってこれるなんて、なんてうらやましいごだぁ」という業者さんの言葉を思い出しました。そして毎日妻が、新聞配達の後に弁当を作ってくれているんだ、朝ご飯を作ってくれているんだと思いました。 ある方の話を思い出しました。朝起きても奥さんが朝寝ていて、自分でトーストを焼いて朝ご飯を食べているという話を思い出し、自分は当り前だと思っていたのが間違っていたと思いありがたいと思いました。そして色々なことを思いました。自転車のタイヤにパンクせず空気が入っているのは当り前だと思っていたがこれは有難い。パンクしていれば大変なはずだ。また自転車があるのが有難い。自転車が盗まれていれば大変なはずだ。利用できるのが有難い。自動販売機がみえる。そういえば外国ではすぐ壊されるが、この国は安全だから自動販売機がある。何てありがたい。そして自分の職場の方々、自分の家族、自分の両親、そして相愛会の方々・・・。みんなに、支えられているんだと思わせて頂きました。当り前がすばらしい・・・。なんて幸せなんだと心から神様の恵みを実感いたしました。

わたしは今、自宅から職場まで片道14㎞を自転車で通勤させて頂いています。きっかけは東日本大震災の時に地下鉄が動かなくなってしまったためです。震災後第1日目に職場に息子の普通自転車で行ったのですが、こんなにつらいのなら職場に泊まったほうがいいとさえ思ったものです。その後、長距離用の自転車を買い、毎日自転車に乗って通勤していたらこんなに楽しいことはないと思い始めました。しかし本当に自転車にはまってしまったのは、休日にプチ自転車旅を始めてからでした。自宅から都市部への自転車通勤は自然を楽しめません。きっかけは自宅から14㎞離れた大郷の道の駅に自転車で行ってみようと思ったことでした。根っからの〝自然大好き人間〟 である自分は、田舎が大好きなので車のない山里を走り、自然となりわう風景を見たかったのです。一回行ってすっかりはまりました。なんて「美しい風景!」と思いました。何回か大郷に行ったら、物足りなくなり、松島そして40㎞離れた石巻とだんだん遠くに行くようになりました。今後の私の目標は宮城県の全市町村を自転車で行くことです。これが私のささやかな楽しみでもあります。

生長の家の御教えを実践していけばいくほど、ますます奥深い素晴らしい御教えであると感じています。これからも当り前に感謝し、家族の支えに感謝しつつ、何があってもずっと相愛会の仲間と相愛会活動に邁進してまいりたいと思います。

最後に申し上げますが私はこの御教えが大好きです。

ありがとうございます。

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真理の証し 宮城教区講習会 体験談

投稿日:2017年12月12日 カテゴリー:真理の証し 講習会

平成29年度 宮城教区講習会 体験談
平成29年11月26日(日)
於: 仙台サンプラザホール
白鳩会涌谷支部 勝又ふみさん

合掌 ありがとうございます。
私が生長の家を初めて知ったのは、長女が産まれて8ヶ月目の正月でした。長女が5ヶ月のときに私は第二子を身ごもりました。21歳で農家に嫁ぎ、春の忙しい時期に長女を出産し、大変な思いをしたのに、また年子に出産。育児など、その当時の私には到底考えられませんでした。悩み悩みながら誰に相談することなく義母の留守中に人工中絶を致しました。その後、中絶した我が子への自責の念にかられ、来る日も来る日も悲しみに暮れていました。そんな時、義母が姪子さんから誘われ生長の家に触れていましたので「生長の家に行ってきなさい」と声をかけて頂きました。生長の家が仙台の何処にあるのか、どんなところなのか、何もわからないので、いきなり姑から「行きなさい」と言われて行ってみたものの、当時の私にはさっぱりわかりませんでした。今思えば練成会の先祖供養祭でした。そうして33歳までに三男一女の母親となった私でしたが、嫁姑との心の確執はありつつ、義母を誌友会、講習会に送迎する程度で生長の家とは無縁の生活をしていました。

三男が幼稚園に入園してから、小児喘息がひどくなり病院通いを強いられるようになりました。そんな時も義母は私たち親子を河口湖の夏休み練成会に行くようにと勧めてくださいました。「すでに教化部の引率してくださる先生方にもお願いしてきたから」「子供の喘息は母親の悲しみの現れであるから」すべて私が悪いから、母親の私の心が悪いから、「あなたが勉強しなさい!」と半ば姑の権限の命令としか当時の私には受けとめられませんでした。義母が生長の家を学ぶことには、夫である私の舅と喧嘩してまで生長の家の誌友会や行事に行く義母の言動がどうしても理解できず、素直に受け入れられませんでした。

夫への反発、嫁の私には厳しい言動、都合の良い時だけ生長の家の格言のような言葉を引き出し、他人への批評、批判は国会の議員さん並、そんな義母から「母親教室をやりなさい!ハイ!誌友会をやりなさい!」と言われても半ば強制的なコトバに生長の家の生の字も分からないままさせて頂きました。年に2、3回教化部に行って行事に参加させて頂くと、その時は「あぁなんて素晴らしい御教えなんだ!」といつも感動して帰ってきましたが、現実の生活には生かすこともできず、なかなか自分のものにはなりませんでした。

そして、20数年が経ち、平成13年に生命にかかわる大病を患い、大学病院で6ヶ月の闘病生活を強いられました。辛い闘病生活の中で(何で私がこんな目に合わなくてはならないの?何か悪いことした?勝又家に嫁いで一所懸命働いて、地域にだって沢山ボランティアをしてきたはずなのに、なんで)と入院最初はその思いでしたが、沢山の方のお世話、あたたかい支援に生長の家で学ばせて頂きました「感謝のことば」はずーっとさせて頂きました。辛く長い6ヶ月の闘病生活はひとつも無駄はありませんでした。

お礼参りに総本山の団体参拝練成会を勧めてくださったのも義母でした。そして、東日本大震災で亡くなられた親族の供養にと宇治別格本山の練成会にも義母の代理で行かせて頂きました。義母から半ば強制的に受け継いだ支部長ですが、嫌々生長の家を学ばせて頂いている内に「何か護られている。導かれている」と自分に気付くようになり、生長の家が好きになりました。自分も困っているけど、悩んでいる人、病んでいる人がいると生長の家を教えてあげたいと心から思えるようになりました。

今、義母の介護をするようになり、入浴をさせ、髪を洗い、背中を流してあげていると、今は亡き両親に一度もしてあげることのできない事を、今この義母でさせて頂いていると思うと涙が流れ、とても愛しく思えるようになりました。おむつを替えてベッドに寝かせて、消灯し「おやすみなさい」と声をかけると「ありがとう!ご苦労さん!お休み」と言う義母にそっと手を合わせ、舅の遺影に(おじいさん、あとは頼みますね)と手を合わせ、仏壇に手を合わせ「今日もおばあさんのお世話をさせて頂きました。ありがとうございます)と一日のお礼をし、就寝するようにしました。

こうしているとやっかいと思われていた介護も、不思議に何の抵抗もなくさせて頂いている事に感謝致しております。40数年間の内にいろいろな事があり、その都度、義母を疎ましいとの思いが強かった私ですが、すべて私を真理の道へと導くための菩薩様だったのです。正直、義母から農作業も家事も学ぶことはあまりありませんでしたが、私に生長の家を学ぶ機会を与えてくださった義母は、私に素晴らしい宝、財産を与えてくださいました。私も子供達、そして孫達にはお金も物も残してあげられませんが、この素晴らしい生長の家の御教えだけは伝えて行きたいと思います。長女も今、誌友会、講習会に参加するようになりました。3人の息子夫婦、孫達は私があんなに辛い思いをしましたが、婆ちゃんを大事にして、来れば優しく声をかけてくれています。それが私の一番の幸せです。 そして今は、心から義母への感謝の気持ちがわいてきました。おばあさん、ありがとうございます!

再拝

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真理の証し 宮城教区講習会 体験談

投稿日:2017年12月12日 カテゴリー:真理の証し 講習会

平成29年度 宮城教区講習会 体験談
平成29年11月26日(日)
於: 仙台サンプラザホール
白鳩会蒲町支部 佐藤厚子さん

合掌 ありがとうございます
私は、今年の一月末に、遠見塚第二支部の誌友会に参加させていただいたその日の夕方、夕食を済ませ、テレビを見ていた時に突然、右目がもやもやして見えにくくなり、翌日、近くの眼科で見てもらいました。目の奥の血管が破れて出血していますと診断され、その後大学病院に紹介状を書いていただき、見てもらいました。手術をしてみないと見えるかどうか分からないと言われ、とてもショックを受けました。血圧も170~180と高血圧ですぐには手術はできませんでした。血圧内科で薬を処方してもらい、やっと一ヵ月後に手術となりました。恐怖で気持ちがいっぱいいっぱいでした。手術中は「私は神の子、実相円満完全、絶対良くなる、先生ありがとうございます」とずぅーっと祈り続けておりました。手術は2時間位かかりました。病名は硝子底出血と白内障でした。術後の経過が良く、一週間位で退院することができました。視力は0.6まで回復していました。

私は長い間、生長の家の御教えにふれ、誌友会にも参加させていただいておりましたが、「神に感謝しても、父母に感謝し得ない者は、神の心にかなわぬ」この御言葉はずーっと私の心を苦しめておりました。ずーっと母のことが嫌いで、母に感謝することができなかったからです。

私が物心ついた時に、父母の姿はなく、祖父母と、母の妹たちが私を育ててくれていました。お友達にはお父さん、お母さんと呼ぶ人がいるのに、私は誰から生まれてきたんだろうとずーっと思っていました。私が中学生になった時に、祖父に本当のことを聞かされました。父は私が母のお腹の中にいる時に、他の女性との間にも子供ができてしまい、父は、母ではなく他の女性を選んだため、離婚することになったのだと。母は私を祖父母に預け、旅館に住み込みで働くことになったそうです。なので、私は母を「お母さん」と呼んだこともなく、他人行儀な間柄みたいでした。私はその頃からいったい何のために生まれてきたのだろうと考えるようになりました。でも、子供の頃は祖父母がかわいがって育ててくれたので、あまり寂しさは感じなかったと思います。

やがて私は大人になり、結婚、長男を出産と言う時に母は妻子ある男の人と暮らしていました。その時、私はショックな気持ちもありましたが、母がずっと一人で生きてきて、誰かに寄り添っていたいという気持ちも理解できないことではないと思っていたのですが、母はその男の人に私たち家族と一緒に民宿でもしようとして預金していたお金を貢いでしまい、その後別れたとのこと。私は父母のしてきたことをだんだんと憎むようになってきました。

やがて私は6人の子供に恵まれ、四苦八苦しながら生きてきました。時が経ち、子供の問題、主人のギャンブル、借金、母との心の葛藤と問題が山積みになっていきました。その時の話しは、長くなりますので省略させていただきます。 私は仕事をするようになり、母は子供達の面倒を一所懸命見てくれていました。主人は、13年前に突然倒れ、その日のうちに亡くなりました。それから数年後、東日本大震災があったときに私は初めて一つ屋根の下で母と暮らすことになったのです。母のことをあまりわからなかった私は、ますます母のことが好きになれず、考え方ややることなすことが合わずに毎日けんかするようになりました。やはり別々に暮らす方が、お互いのためによかったと思うようになりました。そんな時、母は2年前位になりますが、軽い脳梗塞を起こし、入院。退院しましたが、昨年6月には腎盂炎になり、「おしっこの管を外すことはできません」と言われました。私は仕事を辞める訳にもいかず、七郷包括センターの方に相談をしました。病院の関係者の方にも相談した結果、家から近い所の施設を見つけてくださり、入ることができました。入所して一ヵ月、母は転んで腰の骨を骨折、また入院となりました。母はどれだけ入退院をくり返すんだろうと思い、心は疲れていきました。そして母は、退院。2、3ヶ月後の昨年暮れ、今度は「口の中が痛い」ということで大学病院で検査をすることになりました。今年の1月初めに結果は「レベル5の口腔ガンの末期です」と言われました。母は、検査と治療は断り、施設に連れて帰りました。最期を看取ってくださる先生をさがしていただき、週2回診てもらえることになりました。母は特に悪くなることもなく、元気に過ごしていましたが、今年の5月8日に亡くなりました。少しの出血、痛みもなくモルヒネも一本も打たずに静かに息を引き取ったとのことでした。私は母の死に目にも会えなかったのです。あんなに大嫌いで憎んでいた母を、私は死んでも許せないだろうと思っていましたが、母は私から言われ続けた罵声、悪態にどんなに我慢していたのだろうと思うと、涙が溢れてきて止まりませんでした。母に謝罪して、「今まで子供達を一所懸命育ててくれて本当にありがとうございました。そして、あなたは世界で一番、偉大な母でした。」と心から思うことができました。

母の葬儀は、家族葬で送らせていただきました。その後、高橋講師に母が亡くなったことを伝えましたら、誌友会で知り合った皆さま七名の方が「聖経」をあげに来てくださいました。『天使の言葉』をあげていた終わりの頃、手術をした右目に、黒い太く長い線が、次から次から見えてきたのです。翌日、眼科で診ていただきました。「また出血していますね」と診断されました。後日、大学病院で診ていただきました。先生は「うーん、手術かなぁ。それとも別の治療かなぁ」と言った後に「神様にお祈りしましょう」と言われたのです。先生の言葉にハッとしました。私は仏壇に毎日お茶とお水はあげておりましたが、「聖経」をあげていなかったことに気付き、翌日から毎日『甘露の法雨』をあげることにしました。目のもやもやは日毎によくなるのがわかりました。その後、病院に行って診てもらうと、私の目は0.9まで回復していました。

私は、母のおかげでいろいろな体験をさせて頂きましたが、私を生長の家に導いてくださいました小坂米子元連合会長はじめ、高橋佳子講師、白田悦子講師、お世話になった講師の皆さまに心より感謝いたします。人と人との御縁を大切にしてこの御教えと共に生長していきたいと思います。本日は誠にありがとうございます。

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真理の証し 宮城教区講習会 体験談 仙台市 川原昭子さん

投稿日:2015年12月28日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し 講習会

平成27年度 宮城教区講習会 体験談
平成27年10月4日(日)
於: 仙台サンプラザホール
仙台市 川原昭子さん

皆様ありがとうございます。
生長の家に入信したのは35年前、主人が喉頭癌末期で声帯を摘出しました。私の小学校同級生千葉礼子さんからすすめられ生長の家に入信しました。主人51才、私48才でした。主人は北海道の室蘭製鉄の社宅で生まれました。主人は今86才、私82才。 昨年4月3日57才の娘が亡くなりました。 一昨年12月20日突然腸捻転で苦しく、心臓が止まり、植物人間になり1年3ヶ月家族で看病させていただき亡くなりました。これから楽しいこともあっただろうに、結婚したらよ かったろうに、夫も子供もいたらよかったろう にとただただ思うばかりでした。皆さんから娘 さんは観世音菩薩様でしたねと言われました。 しかし私達はぼう然として、何をしていいかわ かりませんでした。日が経つにつれて、何かしなければ観世音菩薩の娘の心にとどくことをしなければと気持ちが高ま り、生長の家の勉強したい、お話しを聞きたいと思いました。早速主人は相愛会に入り講師の先生に依頼して家で3ヶ月真理の話を聞きました。そして 去年( 平成26年) の 12月から主人と2人で 二泊三日の宮城練成会に参加しました。7年前に心臓を人工弁につけかえる手術を主人は受けました。毎月休むことなく練成会に出席しているうちに心が落ち着き、光をみいだすことができ楽しみにな りました。主人は車イスをはずして一人で歩ける様にもなりました。心も体もしっかりしてきました。

7月の「講習会推進のための組織指導」の時、 山梨から来仙された本部講師澤田先生の講話の中に「何もしないのに不幸が来たというのは、 実は何もしないから不幸が来たのである。人にあたえる時にあたえなかったり、人に教えを伝える時に伝えなかったり・・・」と話されました。 心あたりがありハッとさせられました。そして心から懺悔して、神の光にそった生き方をしよ うと誓いました。主人の看病で7年間も講師活動してなかったのですぐその場で誌友会に出講しますと講師会長に申し出ました。10月頃から出講することになりました。心の重いなまりのクサリからはづされた様なうれしいすがすがしい気持ちになりました。毎月練成会に参加してよかった、答えはここにあったと真理の御教えに救われうれしいです。観世音菩薩である娘の心にとどく光をみつめて毎日二人で生きていきます。 観世音菩薩、心に耳ある者は聴け心に目ある ものは見よ娘は私達の心を観じ、説法してくれたんですね。窮屈な心(おおらかに) 調和しな い心(ともかく調和する心に) ゆるさない心( ゆるす心) けちな心・・・いろいろありますが神の導きに感謝し、人類光明化運動・国際平和信仰運動に邁進いたします。ありがとうございま す。

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真理の証し 宮城教区講習会 体験談 丸森町 伊藤照子さん

投稿日:2015年11月30日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し 講習会

平成27年度 宮城教区講習会 体験談
平成27年10月4日(日)
於: 仙台サンプラザホール
丸森町 伊藤照子さん

真理の証し 宮城教区講習会 体験談私は幼い頃から生長の家の御教えに触れて育ちましたが、宮城の農家に嫁ぎ、実家の母のすすめで昭和54年に入信、現在丸森支部長をしております。昨年5月18日同居して いる父が田んぼの用水路を見に行き、行方不明に、数年前から痴呆の症状が見られ、24年に息子(私の主人) が亡くなってからは、気力も体力も衰え「何をやっても満足な仕事が出来なくて生きていても、さっぱりおもしろくねえ」と働き者だった父は時折私に話していました。近所の方々、主人の友人、父は婿でしたので父の実家にも応援を頼み探した所、主人の友人が山の中で鍵の付いたバイクを発見。「山に 入ったのか~、この山に入ったら出て来れねえぞ~ 」と皆口々に!近頃の父は昔部落の方々と植林した木の事ばかり気にして話していたとの証言もあり、山に入った事がほぼ確実に。警察に通報、私も急いで生長の家本部練成道場の聖経法供養課に父の祈願を電話で申し込みま した。翌19日から捜索、1日目手掛かり無 し。2日目も100名余りの方々による捜索が行 われ、この日は教区行事の聖経十巻読誦の祝福祈願の日でしたので皆様に祈っていただきました。この日も手掛かり無し。この夜は大雨が降り、気温も一気に下がり父の安否が気になりました。3日目は足場の悪い中での捜索となり、 この日も6月14日の教区大会に向けての聖経連続読誦が午前10時から午後4時まで行われる事になっていました。今日は絶対何か進展があると確信していました。毎日我が家に集まっていた母の姉妹やいとこと、何度も何度もお仏壇の前で祈りました。午後2時過ぎ警察からヘルメット発見の連絡があり、母と2人で確認に行ってビックリしました。長テーブルにヘルメッ ト、長靴、靴下、下半身の衣類が全て並べられていました。「間違いありません」と母が答え、 3日で捜索打ち切りの所、4日目も捜索して下さる事になり、4日目は誰もが絶対見つかると確信していました。疲れ切った皆さんの顔、「見つけられなくて申し訳ありませんでした。」 と言って下さる方々、「もう十分です。ありが とうございました。」と感謝とお礼の言葉を云 うのが精一杯の私で涙が止まりませんでした。

5月25日日曜日部落の契約会で探して下さる事になり80名余りで山に。ジャングルの 様になった山での捜索は危険なので今日が最後 の捜索、懸命の捜索にも手掛かり無く山をお りました。5月27日久々に教化部に行き、 職員の阿部薫さんと祈りの間で祈りました。 5月30日かねてから依頼しておいた大工さんが築160年の我が家の改修工事に来る事にな り、一階の土台全てを直す大工事となりました。会う人会う人が父の事を心配して声を掛けてくれその度に「家がきれいになったら見つかりますよ」と答えていた私でした。毎朝実修している神想観、先祖供養の他に、6月19日 からは近くの産土神社、熊野神社への参拝も始 めました。6月22日6月の教区練成3日目の祈り合いの神想観、この朝も何か不思議な力にせき立てられ急いで練成に!皆様に祈って頂き絶対見つかると確信して帰宅。7月5日神社参拝の私に変化が、境内に入ると感動の涙が溢れ、神様の御手に抱かれ穏やかな笑みを浮かべている父の姿をありありと観じ取る事が出来ました。「おじいさん、やっぱり神様と一緒だったんだね良かったね」涙が止まりませんでした。

7月30日この朝は父が民政委員を20年や り、厚生大臣から頂いた感謝状を茶の間に飾 り、「こんなにきれいになったんだから、いつで も帰って来ていいからね」と客間の清掃をしていると、電話が鳴り、父の実家の甥の誠一さんからで、「今山に来ていて、おじちゃんみつけたよ」と、この日初めて山の頂上に登った所、発見したそうです。この喜びを部落の皆さんに早く伝えなくてはと、草刈り行事で集まっていた 皆さんの所に飛んで行って伝え、拍手と歓声が、 部落中で喜びました。その後警察の方々も特別な配慮をして下さり、8月の始めに通夜から埋葬までする事が出来ました。多くの方々の父への思いがこの様な形になったのだと心から感謝出来ました。この御教えのお陰で何事も前向きに捉える事が出来、実相の世界は円満完全で不幸無し、絶対大丈夫と信じ切る事が出来ま した。

これからも自然と共に伸びる運動を皆様と共にさせて頂きます。

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真理の証し 宮城教区講習会 体験談 仙台市 伊藤千鶴子さん

投稿日:2015年11月30日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し 講習会

平成27年度 宮城教区講習会 体験談
平成27年10月4日(日)
於: 仙台サンプラザホール
仙台市 伊藤千鶴子さん

真理の証し 宮城教区講習会 体験談皆様今日はありがとうございます。
私は130年続く菓子屋のおばあちゃんで す。3.11の大地震で私達の店も工場は全壊に近い程こわれてしまったのです。機械や設備 もこわれましたが、その中で15ある冷凍庫の中のおにぎり、お餅、菓子は無事であるので、 パニック状態になっている皆様に無償で差し上げることが出来ました。2日間総出で配り続 けました。冷凍庫が空っぽになった時、厳しい現実が待っていました。店も工場も荒れ放題、 いつ店を再開できるか分かりません。働く仲間 が17人いるのですから何とか片付け、やっと 見付けた大工さんに建物の補強工事をしてもら い、20日後に店を再開しました。店先にテントを張りわずかばかりの菓子を並べて商いをす るのですから収入は少しばかり、それに反して支払いはどんどんふくれて行きます。建物と機 械の修理、小さい変電所の新設、仙台市の解体工事に間に合わなかった為に自費での解体、その上に運転資金も足りません。頼りである大工 さんは人手不足と材料不足で来られません。私は心が崩れそうになりますが、その前に生長の家の御教えに立ち還ります。地震という地球が自ら修正しようとしたとてつもない大きな力の中で、私は神の子として自覚を深めるためのチャンスだと思いました。宇治の練成会、団体参拝練成会に参加しました。今でも手を合わせる位、素晴らしい練成でした。少しの不安が 私を4時に起こしてくれるので、今迄中途半端 だった聖経読誦、神想観をきっちりと行じられるようになりました。

私は50年前息子の病気に導かれて入信しました。これ迄に私に課せられた難問を何度も良き方へ向き、立ち直ることが出来ました。問題はその人を苦しめるためにあるのでは無く、 神の子無限力をくみ出す為のさそい水であると聖典に説かれてあります。私は何度もその御教 えに救われてきたのです。私は明るい言葉が大 好きです。くずれかけた建物に悩まされている働く仲間に「地震のお陰で素晴らしい店が建つ」と毎日言っておりました、 2年8ヶ月やっと 新しい店と、工場が建ちました。良心的な工務店さんにめぐり会ったので、私達にとって一番ふさわしい立派なお店となりました。必要なだけの資金を何度も公庫からお借り出来ましたので本当に助かりました。毎月の返済はかなり高額になりますので、今までの経営のあり方では返済は出来ません。私は料理が得意なので店の2階でランチの店を立ち上げました。半年後にはスーパーの納入を始め、現在8店舗にふえております。社長と専務の2人息子は洋菓子と和菓子の製造に休む間もなく頑張っておりま す。4つのスーパーの納入を終えてからランチの店を始めます。それが終わってから菓子の店を手伝います。私は後期高齢者ですが、使えば使う程無限の力が湧いてくると信じています のでまだまだ頑張ります。今年の3月、東北 から2店舗選ばれて優良小売店として表彰さ れました。

皆元気一杯働いていますので、大きく返済があっても地震の前より資金繰りが楽になりました。店には震災で受けた苦しみをお話し下さるお客様がまだまだいらしゃいます。 私達の店の入口には震災の前から毎月の普及誌 を置かせていただいております。これからも笑顔とやすらぎ一杯の店にして行きます。地震は無い方が良いのですが、生長の家の御教えは地 震の時でも乗り越える力を私達に与えて下さる のですね。生長の家は素晴らしいです。ありが とうございます。

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真理の証し 宮城教区講習会 体験談 仙台市 齋藤貴之さん

投稿日:2015年10月29日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

平成27年度 宮城教区講習会 体験談
平成27年10月4日(日)
於: 仙台サンプラザホール
仙台市 齋藤貴之さん

ありがとうございます。私は、祖父母の代から 続く生長の家の家庭に生まれ、高校時代から生長の家の御教えを学ぶようになりました。大学卒業後、社会人となり幸せな人生が待っていると思いま したが、職場の人間関係に悩み、会社が突然倒産するなど悪いことが立て続けに起こりました。「何故これだけ悪いことが起こるのだろか」と悩んでいると、岩手県でお世話になった関根雅秋講師に神想観をしていない自分に気付かされました。「神想観を毎日しよう」と決意し、実践すると運命が少しずつ好転していきました。以前より教育関係の仕事に興味があった私は、宮城県に戻り自動車学校の教習指導員となりました。その後、 生長の家青年会の活動を共にした妻と結婚し、3人の子供にも恵まれ現在公私共々充実した日々を 過ごさせていただいております。

私は生長の家で学んでいることを常に仕事に取り入れようと意識しています。そんな中昨年10月「 第6回全国指定自動車教習所学科教習競技大会」 という大会が東京都で開催されました。学科教習競技大会とは、指定自動車教習所における学科教習の充実、 教習指導員の教習力の向上を目的とし、毎年開催されています。教習指導員は全国で3万人おり、予選大会、 地区大会で上位の成績を上げた20名が全国大会に出場し行なわれ、私は東北地区代表の一人として出場させて頂きました。

全国大会は事前に出題された3つの課題から出場者が一つの課題を選択し、日頃行われている50分の授業を15分以内にまとめて発表します。 今回出題された3つの課題はどれも難題でした。課題を決める際、上司に相談すると「どうせやるな ら今後にいきる課題にしたらどうだ」と勧められ たのが「適性検査結果に基づく行動分析」という テーマでした。

運転適性検査は交通心理学の専門分野。 「15分でまとめるのはあまりにも難しすぎる、無理だ・・・」と思いました。しかし毎日行っている神想観の中で「日頃生長の家の御教えを学んでいる私にしか出来ないテーマ。挑戦してみよう」と思い、 発表を決意しました。

運転適性検査とは、教習生に「自分の性格と癖 」を正しく理解させ、そこから起こりうる事故を未然に防ぐのが目的です。しかし、運転適性検査結果は、教習生の欠点が赤裸々に書かれており、 伝え方によっては避難中傷でしかありません。

生長の家では「褒めて、認めて、引き出す」という教育法を学んでおります。「生徒の美点である 光明面を見て、欠点である暗黒面を見ない」これをどのような方法で表現すればよいのだろうか?と 悩み苦しみました。すると昨年8月生長の家宇治別格本山で開催された「生長の家教育学会」に参加させて頂き、教育実践発表の中で「リフレーミ ング」という言葉に出会いました。

「リフレーミング」とはある枠組みで捉えられている物事を枠組みをはずして、違う枠組みで見る ことを指すそうで、もともと家族療法の用語だそうです。例えば「あわてやすい」方をリフレーミン グすると「行動が機敏で行動が早い方ですね」と なり。「怒りっぽい」方をリフレーミングすると、 「正義感が強く、一生懸命な方ですね」となります。 運転適性検査は一見教習生の欠点が書かれている ようで実は教習生の長所がたくさん書いてあることに気づき。リフレーミング「日時計主義の考え方」 を発表に取り入れました。

また、運転中、焦りや怒りで心が不安定になる場合があります。そこで大切なことは「思いやり( 感 謝の心)」です。「自らを正しく把握し、全ての人にモノに事に感謝する」このような日時計主義の 生き方こそ「安全意識の高い優良ドライバーとな るための秘訣です」と発表させて頂きました。す ると全国大会で準優勝することができました。

惜しくも優勝は逃しましたが、東北地区では初の入賞とのことで関係者一同大変喜んでいただき ました。今回勉強したことは現在、教習の時間や各種講習等で活用させて頂いており、運転適性検査の成績の悪い方ほど「自分はダメ」と思っている 方が多く、そんな方に長所を讃嘆すると「自分の性格で初めて褒められました。先生ありがとうご ざいます」と感謝して卒業して頂けるようになり ました。

また私は生長の家青年会の活動をする中で、日に日に地球環境保全への意識が高まり、「私に何かできないのか」と考えた末、日頃学んでいることを学校の授業に取り入れています。食肉関連や家庭 から出るCO2排出量の問題。カーボンオフセット、 電気自動車の紹介等。多くの生徒に紹介することにより、より環境意識の高いドライバーの育成を心掛けています。また授業の際、生徒に「免許はとってもいいが、なるべく車には乗らないように」と話しております。 そんな中最近家庭で嬉しいことがありました。長男が私に将来の夢をはなしてくれ、その内容に大変感動しました。

「僕の夢はエンジニアになることです。何故そのよ うな夢を持ったかというと、2つあります。一つ目 は理科と算数が好きだからです。二つ目は僕は小 さい頃から生長の家で地球温暖化の話を何回か聞 いているうちに、僕が地球を守らなきゃと思いまし た。環境に優しい機械を開発し、世界の人々の暮 らしと地球環境を良くしていきたいと思います。」

地球環境問題から夢を描く。10年間家族一体となっ て生長の家の活動、勉強を共にしてきたのだと大変嬉しく思いました。これからも「生長の家の教育法」を多くの場で実践し、多くの方々の神性を引き出せるよう精進してまいります。

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真理の証し 宮城教区講習会 体験談 仙台市 白鳥道雄さん

投稿日:2015年10月29日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

平成27年度 宮城教区講習会 体験談
平成27年10月4日(日)
於: 仙台サンプラザホール
仙台市 白鳥道雄さん

合掌 ありがとうございます。
私は、生長の家神性開発宮城練成会というほぼ 毎月1回2泊3日で行われている行事に昨年6月から参加し続けて病院の先生より余命1年と言われた病状が1年をすぎてもどんどん元気を回復しているという体験発表させて頂きたいと思います。

私は、おととしのくれ12月3日に、急に胸が苦しくなり救急車で、仙台厚生病院に運ばれ手術を受けました。途中で意識を失い自分自身ではっきり意識を回復したと思ったのは、約40後の翌年、1月半ばでした。急性心筋梗塞に、心不全、 重症肺炎を併発し、心肺停止になり機械で生かさ れていたそうです。自発呼吸がゼロの日とか1日1回という日があり東京や札幌から家族、兄弟が集まり大変だったそうです。本人は何も覚えておりませんのでまるで他人事みたいに話を聞いておりま した。しかし、徐々に正気を取り戻してくると体中に付いているたくさんのチューブや医療機器そして、起きれない体にやっと現実を実感しました。そ れからベットの枕元にさげられていた生長の家のお守りを見て救急車で運ばれた時の事を思い出しま した。私は、とても苦しくこれはもうあの世とやらに行くのかなという予感がして神様に次の世では 「生長の家の勉強をしっかり受けたいのでよろしくお願いします」 と祈っていた事を思い出しました。 私は、母親の勧めで、21歳の時に東京の飛田 給の一般練成会に参加した事があり、その時購入 しずっと身につけていたお守りが今も護り続けて下さっていたと思いました。ベットの上で生長の家宮城県教化部へ行かなければ、練成会を受けなければという思いが繰り返しおこっていました。それか ら転院、再入院となりやっと退院出来たのが入院 から7ヶ月後の6月3日でした。その6月の生長の家宮城練成会にやっとの思いで参加出来ました。以 来12回連続で練成会を受ける事が出来ています。 練成会のチラシには、日本一の講話日本一の食事 と書いてありますがまさにその通り素晴らしいお話 しとおいしい食事に毎回感激して居ります。又、ス タッフの皆様のあたたかいサポートにも感謝して居ります。そして練成会で学んだ事を、自宅で実修 しようと思い、まずは早朝行事の完全コピーを目指し神想観から始まり食事の神示まで頑張ってお ります。毎回練成会に参加する事により行事の内容や順番を確認する事が出来少しずつ完全コピー に近づいています。そしてそれにつれ病状はだんだん良くなり週2回の通院が週1回になりやがて2週に1回から現在は月1回となって病院の先生も大変喜んでおられます。

今一番嬉しいことは生長の家の様々な行事に参加出来るという事。素晴らしい皆様にお会い出来 るという事。朝起きると今日も教化部へ行けると思うと楽しくて仕方ありません。本当に練成会に参加していると良い事がたくさんおこってきます。どんどん良くなって来ます。練成会が待ち遠しくて仕方ありません。

これからもこのすばらしい御教えを一人でも多くの人にお伝えする様勉強して参ります。 ありがとうございます。

再拝

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相愛会宮城教区大会 ご参加ありがとう ございました!

投稿日:2014年7月28日 カテゴリー:光のおとずれ 相愛会教区大会

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真理の証し 白鳩会教区大会 体験談 佐藤まき子さん

投稿日:2014年6月27日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

『日時計日記』に書いたことが実現する
鷺ヶ森第一支部 佐藤まき子さん

鷺ヶ森第一支部 佐藤まき子さん

私は生長の家にふれて27年となりま した。普及誌がポストに入っていて、夫婦不調和であったので、母親教室に通うようにな り、その年の講習会に参加し、み教えに感動して家族全員聖使命に入会しました。練成会を受け、先祖供養の大切さ、愛行の大切さ、聖典読誦や神想観の大切さを学びま して実行していきますと夫婦は調和し、3人の子供も病気はしなくなり、大きな問題もなく成人しました。ところがなかなか長男、長女は相手がいるのに結婚しないでいま したので、それぞれの「半身さん」を聖使命に入れて祈っていました。

4年前に前支部長さんが定年となり、支部長を引き継がせていただき、誌友会を開いていると、どんどんと家族の運命が良い方へと回転していきました。次女は就職難の中、 正社員として就職が決まりました。長男の結婚も決まり、長女の結婚も決まり、たく さんの方々に祝って頂くことが出来ました。

3年前には東日本大震災があり、沿岸部の大勢の人々が大変悲しい、苦しい思いをしていると感じた時に生長の家のみ教え(人間は神の子で、生き通しの生命であるとの真理)なら振り向いて下さる方なら救える と思い、講師補の勉強会に参加しました。 講師補試験に合格させて頂き、今では月に 2・3回出講しています。まだまだ新米では ありますが、真理を正しく伝えられるように勉強し、出講しています。

7年前位から白鳩会総裁、谷口純子先生監修の『日時計日記』をつけています。『日時計日記』とは毎日の出来事の良い事だけを書きます。実現してほしいこと等、書きます。最初は書いたり休んだりでしたが「私の夫は日本一、まごころいっぱい、力いっぱい、 ありがとうございます」と書いていると本当にそのように思えてきて、まごころいっぱい、 力いっぱい働いて下さいます。

さらに『日時計日記』に「長男夫婦、長女夫婦にすでに待望の元気な赤ちゃんが授かりました。ありがとうございます」と書いていますと、今年、3年間なかなか授から ないでいました長男夫婦、長女夫婦に待望の赤ちゃんがお腹に授かり、11月には2人の孫が誕生します。大変楽しみです。『日時計日記』に書いたことがほとんど実現しています。皆様にも書くことをお勧めします。

私は今年、支部長から一気に地区総連合会長というお役を拝命し、受けさせて頂 きました。しっかりした地区連合会長さん、 支部長さんと力を合わせ、明るく楽しい運動をして行きたいと思います。

このように家庭が整ってきたのはすべて生長の家のおかげ、ご先祖様のおかげと感謝しています。学んだことを実践していくことで必ず現象は動きだし、実相が現れてくる世界だと教えていただいていますが、本当にその通りだと実感しています。これからも一人でも多くの人に生長の家のみ教えをお伝えして幸福になっていただきたいと思います。

自然とともに伸びる運動を展開し、人類光明化動、国際平和信仰運動に努力して参ります。ありがとうございます。

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真理の証し 白鳩会教区大会 体験談 浦上和子さん

投稿日:2014年6月27日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

すばらしいみ教えに生かされて
松山第三支部 大崎市 浦上和子さん

松山第三支部 大崎市 浦上和子さん

私は神の子、光の子、なんでもできます、 強い子良い子、いつもニコニコ明るい子。お父さん、お母さんありがとう。」30年位前の事です。当時、白鳩会の連合会長であった半沢フミ子先生より母親教室で教えて頂いたこの言葉、私は事あるたびに繰り返し胸にきざみ生きてきました。当時、子育てと両親の介護、農作業と体がいくつあっても足りませんでした。

心筋梗塞と脊髄を患い、当時、寝たきりの母。何度も脳梗塞を繰り返し、子供のよ うになった父。二人ベットを並べての介護生活が長い事続きました。その時私は、悔いなくお世話させて頂こうと自分に誓いまし た。

父は5年程オムツを必要としました。最後の1年は便を押し出す力もなくなり、お医者さんより、手を入れて取り出すよう言われ、3日に一度の摘便が続きました。そうしないとすぐに熱が出てしまうのです。父の命は私が預かったのも同然でした。体力が落ちてくると床づれも起きやすいとの指導に食事にも力を入れました。又、お風呂に入れない両親です。毎日熱いタオルでふいてあげました。

そんな合間をぬっての農作業です。規格外の野菜が多く出ました。捨てられる野菜、 自分と重ね合わせ、かわいそうでなりませんでした。こんな野菜でもおいしい漬物にな るのに、と思い、農産加工を夢見るように なりました。自宅裏に壁の落ちた物置小屋がありました。介護に疲れるとよくそこへ行き、ここには流しを、ここにはガスを、ここ には調理台をと夢はふくらみます。

当時JA若妻会の会長をしていた事もあ り、総会の席で「農産物を100パーセント活 用するには、加工が必要です。お客様に安心して買って頂くためには、しっかりした加工技術を身につけなければなりません。お願いです。加工の研修施設を作って下さい。 そして、私達に勉強させて下さい。お願いします」と強く強くうったえました。ガタガタ震えながら話した事、昨日の事のように覚えています。JAも快く引き受けてくれ、 すばらしい加工施設が出来ました。又、専門の先生方の指導をも頂く事ができました。 私が留守の間、主人、子供達も父母の面倒をよく見てくれました。当時小学生だった子供達も、いやな顔ひとつせずよく手伝ってくれました。なかなか飲み込んでくれない父の食事は時間がかかりました。楽しく会話しながら、ゆっくりゆっくり夕食を食べさせてくれたのは子供達でした。長く続いた父の自宅介護でしたが、父は眠るように旅立ち、 私達家族は、悔いなく父を見送る事ができ ました。長いことお世話になったお医者さんには、「あんた、よくやったな」とお褒めの 言葉を頂きました。その頃、母もだいぶ元気になり、台所仕事等、手伝ってくれるよ うになりました。私の夢もいつかが、必ずに変わりました。

今、自宅裏には加工場が建ち、毎日4人の従業員が来てくれています。我が家は田んぼ、畑があっての加工です。農作業も皆で行います。そこで収穫出来たものを利用し、 漬物、しそ巻き、味噌、餅等に毎日加工しています。化学調味料を使わず、安心して食べて頂けるものを心がけ作っています。

私の夢をかなえてくれた母親教室です。 今度は私が若い人達にこのすばらしい御教えを伝えねばと、10年前に母親教室をたちあげ、若い従業員とそのお友達が毎月楽しく学んでくれています。又、私達同年代の人達と白鳩誌友会をも開催し楽しく学ばせて頂いています。

従業員の一人のSさんはストレスから髪が全部抜けてしまい、4年程、毎日泣いて暮 らしていたそうです。我が家に手伝いに来るようになってからは、お医者さんも驚く程よくなり、毎日ニコニコしながら働いてくれます。その方にはおもに梅干しを担当してもらい、昔ながらの漬け方で、夏の暑い日、天日干しをします。一個一個ひっくり返して、 まろやかな、日なたのにおいのするおいしい梅干しを作ってくれます。これもお客様に大好評です。

人も物も100パーセントそれぞれの力を発揮してくれ、我が家の農産加工品は、今、国からも認めて頂き、全国にとんで行っています。

そして、今日も唱えています。 『私は神の子、光の子、なんでも出来ます、 強い子良い子。いつもニコニコ明るい子。お 父さん、お母さんありがとう』と。

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真理の証し 生長の家講習会 体験談 日野清人さん

投稿日:2013年12月25日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

真理の証し 生長の家講習会 体験談

「最悪」から「最高」の人生へ
日野清人さん

私は昔から馬鹿が付くほどお人好しで、人が困っているのを見ると黙っていられない性格です。それで、昔はずいぶん苦労しました。人の借金をかぶって経済的に追いつめられて、親子離散寸前までいったこともあります。

生長の家にふれたのは、そんな最悪の時期を脱しかけた時でした。北海道にラーメン食べに 行かないかと、誘われ行った先が生長の家札幌教区でした。だまされたと思いました、しょうがないから、講演聞くかという気持ちで聞いていると私の一番たりなかったこと、「父母に感謝せよ」という言葉でした、それは感動てきでした、 家にかえってすぐ父母に手をついてお父さんお母さん生んでくれて、ありがとうと言う気持ちで感謝しました。入信してからは、私の人生が、 最悪から、最高の人生になりました。それは宮大工としてお客さんから喜ばれる。仕事をしようと思い、生長の家の祈り神想観と甘露の法雨読誦を、一所懸命しました。祈りをしていると、 神からのインスピレーションがあり、自然を活かした家作りをしようと思い、また神想観をしていると、途中でそうだ、古材を利用しようそうすればコストが下げられるそうすれば、お客様も喜ぶし私の信用もつきます。 森林も衰退しています。

私のできること、それは県産材及び間伐材を使うことを決心しました。そうすると、森林組合の方から電話あり森林組合で全面的に応援したいと申し入れがあり、日野さんのやっている ことは森林保護そのものであるといわれ、私も協力しようそうすれば自然環境もよくなり森林保護にもつながるんだ、思いで県産材を全面的に使用しています。

総裁先生の御著書、自然から学ぼうを参考に仕事をしています。私は生長の家が大好きです。有り難うございました。

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真理の証し 生長の家講習会 体験談 柴田郡 鈴木愛さん

投稿日:2013年12月25日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

真理の証し 生長の家講習会 体験談

子供を通しあらためて両親に感謝
柴田郡 鈴木愛さん

今年、小学校に入る息子は昨年の9月に、小学校に入る前の健康診断があり、内科、歯科、眼科、聴力、視力の検査がありました。順調に進んで診てもらい最後に視力検査でした。検査の結果は0.3でした。0.3といったらもうメガネをかけなきゃいけないくらいだと最後に保健師に言われ、不安をあおるような言い方をされ、とっても嫌な気分で帰ってきました。その日は帰ってきてからもしばらく呆然として暗くなっていたけど、そのうちだんだん考えるのも嫌になってきて、「息子は神の子、絶対視力はいいはず、0.3は違う、絶対良くなる」と言って信じてました。でも子供の問題は親の問題だと教えられています。絶対違う、と思いながらも心のどこかでは何か原因があったのではと思ってました。

そして谷口雅春先生のご著書『女性の幸福365章』に確か書いてあったはずと思い、開いて読みました。そこには「家庭の中に見たくない人があるときは、視力が衰えたりする。すべての人に物に事に、それに内在する光(神の恩、人の恩)を見て感謝するようにすれば治るものである。感謝の念はあらゆる病気に対する万能薬である。」と書いてありました! 子供なのに衰えるとかでもないけれども、目だから何か見たくない人とか感謝できない人かなと思い、そのときハッとさせられました。心あたりがあったからです。その当時、実家に子供達をつれて遊びに行くたびに、毎回両親とけんかして帰ってきてて、しばらく距離をおこうと思っていたときだったのです。毎回けんかして帰ってきたというのも私の中に両親に感謝できていないところがあったというのが一番の原因だったのです。私は子供が生まれてから毎月ヤングミセスの集いや母親教室に行って勉強させて頂いていました。子供は認めて、ほめてあげると自信がつく。子供の話に手をとめて耳をかたむける。など毎回お話を聞くたびにとても勉強になって帰ってました。ある日、お話を聞いてるなかで、自分が小さいときのことを思い出すようになっていました。私は3人きょうだいの一番上で、3人でやったことでも私が一番怒られることが多く、そしてあまりほめられたことがありませんでした。だからたまに自分に自信を持てないときがでてくる。両親が私のことを認めて、ほめてくれたら、子供の話に聞く姿勢で聞いてくれてたら。といつのまにか両親をせめてました。そしてそのことを両親に言ったこともありました。私は生長の家にふれてからずっと両親に感謝していると思っていました。

でも私の奥の奥底の潜在意識に感謝できてないとこが残っていて、母親教室で真理のお話を聞いているうちに潜在意識にあったものが浄化作用として出てきたんだと思います。そんな時に未就学の検査の視力検査で0.3と言われたのです。早めに病院に行くように言われましたが、病院に行く前に私の不調和な心をかえないと同じこと言われるなと思い、とにかく祈ろうと思いました。

あるヤングの集いに参加したとき、その講師の方が、講話でこんなことをいっていたのを思い出しました。「私は4人兄弟の3番目で小さいときあの時、親がこういってくれてたら、私は違ったんじゃないかとかそういう思いはあったけれど、あの時は、両親も仕事していたし、しょうがなかったんじゃないかなと思って赦してあげないと」という話を思い出しました。あの時は、おじいちゃん、おばあちゃんも一緒に住んでいて子供は3人年子だし、両親も色々大変だったと思うんです。友達にも2人年子をもっている人も大変だといっていました。それが3人年子だったら余計だと思います。私も忙しいと心にも余裕がなくなってしまう気持ち、子供を産んでからすごくわかります。

もしかしたら覚えていないだけでほめてくれてたかもしれないし。あの時ああだったらこうだったのに、こうだったらこうなっていたのにと今言っていたって、しょうがないなと。あるのは今で、過去はないと教えられています。今、幸せでいられるのは、両親がこの世に生んでくれたからです。すべて感謝に変えて、すべて赦そうと思うようになりました。そして、一カ月後眼科に息子をつれていってきました。視力も0.3-0.3から0.9-0.6にあがっていて、先生もメガネをかけなくても大丈夫です。といわれホッとして帰ってきました。感謝の心はすべてを癒してくれるんだなと思いました。今回のことが終わったあと、友達から子供の視力はまだ定まっていないから心配することないということが後でわかりました。 でも、今回のことがなければ両親に心の底から の感謝の思いはでてこなかったとおもいます。こ のような問題をあたえてくれた息子にも感謝です。すべてこれでよかった、一切万事好都合で した。

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真理の証し 生長の家講習会 体験談 「一人でも多くの人に御教えを」

投稿日:2013年11月29日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

真理の証し   生長の家講習会 体験談

一人でも多くの人に御教えを
若林区 濱口 和子さん

皆様ありがとうございます。
東日本大震災から早くも2年7ヵ月がすぎました。当時は生長の家総裁谷口雅宣先生、生長の家白鳩会総裁谷口純子先生そして全国の生長の家の皆様には数えきれない程の沢山の御支援をいただき心より感謝申し上げます。

私は若林区の荒浜に住んでいましたが今回の大津波では750件の家が全て流され壊滅状態になり危険区域に指定され住めなくなってしまいました

嫁いで40年以上住んでいた荒浜はとても自然に恵まれ夏は仙台市で唯一の海水浴場でしたのでとても賑わう所でした。

又この大津波では雄勝に嫁いだ娘の家イチゴ農家の実家、主人と私の妹達の家全て流されてしまいました。幸いに全員命だけは救われましたのも聖使命に入会させていただいていたお陰だと感謝しております。あの時はいつもデイサービスに通っている主人の母も休みでしたので、こたつにはいってのんびりとすごしていました。そしてあの突然大きな揺れを感じた時は日頃毎日のようにラジオから流れていた宮城県沖地震がついにきたのだと思ったのです。

この異常な揺れでは津波がくるのではと思い日頃から用意してた避難用具をトランクに積み、義母と愛犬をのせ近所の方にも声がけして着の身着のままで4㎞先まで車を走らせました。速かったので車の渋滞にも巻きこまれずスムーズに家を出る事ができました。 あの時は目に見えない誰かに背中をおされて避難したのを覚えています。

2ヵ月間は住む所がなく車の中・避難所・親戚の家にお世話になり8畳一間に10人で寝起きし大変でしたが今思えば懐かしくも思えます。5月の中頃に仙台市の計らいで現在の所に住む事が決まりお陰様で震災前と変わりない生活をさせていただいています。主人も震災後は休みもとれない程仕事が忙しくなり以前お世話になっていた方に手伝っていただいています。震災で失業した息子も最初は手伝っていましたが昨年独立し同業者同士支えあって頑張っています。又息子は素晴らしい方と出会い結婚する事もできました。

このように私達家族はあの大震災をのりこえて何事も万事好都合に良い方へ良い方へと導かれてきましたのは生長の家のお陰だと主人共々感謝しております。このご恩返しするのは一人でも多くの方に生長の家の教えをお伝えする事だと思い震災の年に開催された講習会には地元の方多く住んでいられる仮設住宅と借上住宅に白鳩会連合会長・副会長と一緒に又個人でも何回も推進に伺いました。そして10名の方が参加して下さったのです

講習会後に連合会長・副会長と一緒に支援物資や日時計日記・日訓等を届け乍らお礼訪問にも伺いました。

現在も仮設住宅や借上住宅に住んでいられる方に支援物資や普及誌を届けに伺っています。 先日仮設住宅に住んでいられる集会所の自治会長さんのお宅に伺った時茶の間に以前差し上げた日訓がかけてありました。私は嬉しくてお礼を言いましたら自治会長さんの奥様が朝起きたら一番最初にするのが日訓をめくりその日の真理のコトバを読んでから台所に立つのが日課となっているとききなんと素晴らしい奥様だと感謝の気持ちでいっぱいでした。 今日この会場に自治会長さんと御家族の方が参加して下さっています。

ありがとうございます。

今日の講習会の為に白鳩会からバスを配車して下さると聞き一人でも多くの方に参加していただこうと思い仮設住宅や借上住宅に住んでいられる方に白鳩会で作っていただいたチラシをポスティングしたり家庭訪問したりして推進してきました。そして前回よりも多くの方が参加して下さっています。

又震災前に愛行で聖使命に入会させていただいた方はこの震災で生長の家からは沢山の支援いただいた感謝の気持ちで自分から会費を納めて下さるようになり御主人や家族の方も入会して下さいました。 生長の家には余り感心がなかった方々でしたが更に普及誌も購読して下さるようになったのです。その方々は以前住んでいた場所で又生活できるようになりました。

私達家族は集団移転の方に申し込んでおり移転場所は3㎞以上内陸にはいった所に4ヵ所程あり工事も大夫進んできています。ようやく明るい光りが見えてきたようにおもいます。昨年から誌友会も再開し参加して下さる方は程んど被災した方々ですが皆さん前向きに明るく和気あいあいと真理の勉強をさせていただいています。これからも日時計主義の生き方で人類光明化運動・国際平和信仰運動・自然と共に伸びる運動に邁進していきます。ありがとうございます。

再 拝

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真理の証し 生長の家講習会 体験談 「神様のお陰に生かされて」

投稿日:2013年11月29日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

真理の証し   生長の家講習会 体験談

神様のお陰に生かされて
登米市 豊沢さちゑさん

合掌ありがとうございます
県北第一総連佐沼支部の豊澤さちゑです。私の一家は30年ほど前に静岡県より引っ越して参りました。皆様に助けられ、商売しながら3人の子供を育てておりました。

ある日、友人に誘われ加藤ヨシ子講師のお宅で開かれていた誌友会に参加させて頂き、そこで生長の家の神様に触れさせて頂いたのです

その時参加していた誌友さんの一人が総合病院に入院したのでお見舞いに行ったところ、髪が伸びているので散髪して欲しいと言われ後日病院に髪を切りに行ったのです。すると「私も、私も」と沢山の人達が集まってきました。

私は理容師の免許を持っていましたので、病院の方に相談したところ。神様のお導きと思われるように、病院の方でお店の工事をするので是非病院内で理容室を開いて欲しいと言われ、3週間で理容室を開かせて頂いたのです

生長の家の御教えに触れさせて頂いておりましたので、病気の悩み、その他の悩み、困りごと相談と理容室とを一緒にした様なお店でした。皆様のお役に立てる理容室として、私に与えられた仕事と思える毎日でした。

平成21年秋、市で行われた健康診断をいつものように受診したところ、血液中の白血球と血小板の数値が高いので、すぐ病院に行き診察を受けるようにとの通知を頂いたのです。血液内科に行き頂いたところ、3種類の病名が書かれた診断書を渡され、「この中の一つです。2週間後に結果が出ますので2週間後にまた来て下さい」と言われ帰されました。すぐにでも入院し治療を受けなければならないかと心配しながら病院に行きましたが、クスリを飲み仕事を続けて良いとのことでした。

1年ほど仕事をしていましたがクスリが段々と多くなり体がついていけず、仕事を辞めてしまいました。それから2、3ヶ月程体調の悪い日が続き、ある朝呼吸が苦しくなり、救急車にて運んで頂き入院することになりました。急性肺炎になり熱が40度にもなっていたそうです。肺には水が溜まり肺水を何度か抜く治療を受けたのです。先生になぜ胸に水が溜まるのか尋ねると、クスリと肺炎のせいとの事でした。

私の病気は治るのですかとお聞きしたところ、今あるクスリ全部使ってみたので難しいとのお話でした。その時、治らないクスリを飲んでいても仕方がない、神様にお願いするしかないと思い、クスリを休んではいけないのですかとお聞きしますと、先生は入院しているのでクスリを休み様子を見ましょうと言われ、2週間後血液検査をして頂いたところ、なんと白血球と血小板の数値が下がっていたのです。

それで、12月末に退院させて頂きました。以前、内田久子先生のお話を拝聴させていた際、内田先生は高熱が出ればガン細胞も消える。熱は上がっても熱を下げる必要はないとお話をして下さいました。熱を上げ自然治療力と神様のお陰により私は元気にさせて頂きました。加藤ヨシ子講師には九州の本山に神療祈願をして頂き、また「続々甘露の方雨」の写経をして頂いたのです。常に病床に横たわり、この病気この病気と心に思っているのは火を握って冷たさを願っているようなもの。病気を放し人間神の子の真理を自覚して病気に立ち向かえば病気は消えるの真理を一字一句丁寧に写経して頂きました。元気になるようにとの思いで必死に写経をして頂いた加藤先生にはどんな事をしてでも元気になり恩返しをしなければならないと、念じておりました。伊藤京子講師には仙台の宮城県練成会にお誘いを受け、髙坂教化部長先生の個人指導と身体健護、實相顕現の祈り合いの神想観をして頂きました。

朝には神想観と甘露の法雨の読誦をし、毎月行われている生長の家の誌友の皆様と先祖供養にも一緒に仲間に入れて頂き、深いご愛念を頂き、私はうつ病にもならず元気にさせて頂いた事には心から感謝申し上げます。

今年4月より、佐沼支部の支部長を拝命させて頂きましたので、残された人生を生長の家の御教えを皆様にお伝えして参りたいと思います。 ありがとうございました。

再 拝

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真理の証し 生長の家講習会 体験談 「『神の子病なし』を信じ、てんかん癒ゆ」

投稿日:2013年11月29日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

真理の証し   生長の家講習会 体験談

「神の子病なし」を信じ、てんかん癒ゆ
登米市 加美山文さん

合掌ありがとうございます。
私が生長の家の御教えにふれたのは、母親に勧められて、小中学校の頃は毎年練成会に参加 していました。

高校を卒業後は、ずーっと何にも参加せずに日々の生活を送っていた時に、私の家に一本の電話がありました。白鳩会連合会長からでした。 「文ちゃん、今日はお願いがあって電話したのよ」 なにかなーと思っていたら、母親教室のリーダーさんをして欲しいと頼まれました

「エッ」私は結婚もしてないし、子供もいないのでリーダーはつとまりませんとお断りをしま した。その後、又電話が鳴り、伯母の桜井よし子からでした。

「文、私もあなたの母親もサポートをするから、 リーダーを受けてみたら?」と言われて、迷わずに「ハイ」と返事をしました。一度は断りま したが、白鳩会連合会会長に伝え、その後は支部長を拝命させて頂き、毎月、地域のみなさんに支えてもらって、県北第一教区の先祖供養の受付のお手伝いをしています。心からご先祖様の供養と私の兄弟の水子ちゃんの供養をさせて頂きながら、生活しています。

このような私ですが、子どもの頃から「てんかん」という病気があって、学校の行事のたび に倒れていつも気がつくと保健室のベッドで寝ていました

なんでいつも私だけ倒れるのかわからずに母親に当たっていました。母親は悲しそうな顔をして、 黙って何も言わずに、私の話を聞いてくれたのです。私は倒れる前の記憶がありません。薬もきちんと飲んでいるのにどうして倒れるのか何度も何度も思いました。

今から6年ほど前に病院を仙石病院にかえてから大山先生と出会い、先生は私のささいな悩みもきちんと聞いてくれ、安心して診察してもらっているある日、いつもの様に診てもらっていた時に「加美山さん、この頃調子がいいので薬を飲むのを止めてみましょう」と言われ、私は「エッ」と驚きました。薬を飲むのを止めたならまた倒れてしまいますが、私は生長の家の『神の子病なし』を信じ、先生の言葉を信じてみようと思い、薬を飲まずに仕事に行きました。しかし、何もおきませんでした。倒れることなく1週間、1ヵ月と時がすぎていき、先生から「加美山さん、あの日から薬を飲まなくても何もおきないから今度脳波をとってみて大丈夫だったなら、薬をやめましょう。普通の生活をして良い」と言われました。その言葉に私は、うれしくて、飛び上がるほどのうれしさで、その感動は今でも忘れません。感謝、感謝です。薬を飲んでいると、副作用で赤ちゃんにも影響があり、眠ってばかりの赤ちゃんが生まれてくるから、諦めていました。でも、もう大丈夫です。

40年以上飲んでいたお薬に感謝をして、これまで私を支えてくれた父、母、姉は、私以上にうれしかったと言い、この場を借りて

「お父さん、お母さんありがとうございます。」

この病気で保険にも入れなかった私に「もう大丈夫」だと言ってくれた大山先生、それから、すぐに先生に頼んで診断書を書いてもらいました。その晩は、家族みんなで「カンパイ」をしました。長年、信じてきた生長の家の御教えに感謝して、お役に立とうと決心し、実行することで良くなりましたので、これからも母の心を受け継いで、一人でも多くの方々が問題を解決して、私の様に幸福者となるように人類光明化運動の真の伝道者になって、神さまのお手伝いをしてまいります。

再 拝

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自宅を失うも誌友会を再開!四月には新築の家が与えられる

投稿日:2012年11月28日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

真理の証し 愛と感謝の大先祖供養祭 体験談
平成24年10月21日(日) 於: 仙台サンプラザホール


自宅を失うも誌友会を再開!四月には新築の家が与えられる
名取市 相澤 一恵

 

皆様ありがとうございます。
震災が起きてから早くも1年半が過ぎました。津波で家を失いましたが、私たち5人家族は震災前と変わらず幸せに生活しています。こうして幸せでいられるのは、全国から寄せられた沢山の物資や皆さまの愛念のおかげです。心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
震災後1年の間に、神様、御先祖様に護られていると実感することがありました。地震直後、義母と息子は近くの公民館へ避難するため、玄関の鍵をかけようとしましたが、地震でゆがんでしまい鍵が抜けなくなってしまったところに、丁度私が出先から帰ってきました。息子に話を聞くと、「もう少し早く公民館へ行けたのに、布製のリュックがなかなか見つからず、鍵も抜けなくなって時間がかかってしまった」ということでした。もし、ここで早くに公民館へ向かっていたら、その後公民館には津波がきたので私達は会えなかったし、助からなかったかもしれません。
母と会えた事で父が散歩に行った事を知り、父を捜しに広浦橋へ行きました。橋のたもとで待っていると男の人が向こう岸を歩いているのを見つけました。私は、視力が弱いので見えないはずなのに、ジャンパーの色や軍手をしている事まではっきり見えたので「父」だとわかったのです。まるで3Dのメガネをかけているようでした。

父を乗せ、十字路の交差点に来ると右も左も車が動けずにいました。なぜか直進道路だけは一台も通らず、「そのまま真っ直ぐに行きなさい」と導かれているような感じでした。その道路を真っ直ぐに進み、渋滞にも遭わずスムーズにスーパーの駐車場へ避難することができました。
世間からすれば偶然と思われるかもしれませんが、私はこれらの出来事は神様に導かれ、御先祖様に護られていたとしか思えません。ただただ「ありがとうございます」と感謝合掌をしました。
その日の夜は主人の会社へ行き、一晩お世話になりました。3日目に、主人の両親は弟の家へ行き、私達親子3人は、私の母の家に身を寄せることができました。
5日目、電気が通り情報が入ってくると、精神的に落ち着かず持っていたお守りの甘露の法雨を読誦しました。それでもそわそわしていたので、教化部へ行き、白鳩会連合会長に会い、写経をしたいのでペンと紙を分けてほしい、とお願いしました。最初は、自分の気持ちを落ち着かせるために写経をしようと考えたのですが、“つらい思いをしているのは自分だけではない”、“早く各々の家族に会えますように”、“亡くなった方々が成仏されますように”という思いに変わり四部経を写経しました。写経した用紙は祈りの間で浄化して頂き、閖上の日和山へおさめさせて頂きました。
丁度1ヶ月後の4月10日、実家の母の協力で仙台のアパートを借りることができました。しかし、アパートでの生活は大変でした。息子は学校へ行けなくなる程精神的にショックを受け、私は仕事をしていたのですが、息子を思うと仕事がうまくゆかずストレスが加わり、8月31日で退職しました。そんな中、私は、被災した方々のために平和と幸福を祈り続けました。

10月になり、尊敬している先生から励まされ、誌友会を再開することができるようになり、気持ちにもゆとりが出てきました。講習会では息子も青年会の運営委員として手伝うことができました。そして、両親と主人も参加してくれました。年が明け、1月から息子は学校を休まず登校するようになり、気持ちも明るくなりました。
その頃、主人が家の新築の間取図を見せてくれました。その間取図は私がイメージした通りだったので、早急に不動産の方に連絡をとり相談しました。2月3月と沢山の手続きをし、最終申請をして4月下旬に名取市へ引っ越しをすることができました。
今、私はとても幸せです。その幸せの源は、生長の家の御教えのおかげです。この御教えを多くの人々に伝え、世界が平和でより幸福になりますよう祈ってまいります。
皆様、ありがとうございます。

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夫婦不調和から真剣に真理を求め,与えられた問題にも感謝

投稿日:2012年11月28日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

真理の証し 愛と感謝の大先祖供養祭 体験談
平成24年10月21日(日) 於: 仙台サンプラザホール


夫婦不調和から真剣に真理を求め,与えられた問題にも感謝
泉区 渡辺 ちはる

 

ありがとうございます。

毎月の練成会に参加出来ることに感謝です。心よく教化部まで送ってくれる主人にも感謝です。夫は「生長の家の勉強誘わないで」と「お母さんだけ勉強したら」と人ごとの様に言っていた主人でしたが、教化部への送迎を始め、教区大会、講習会にも参加してくれる様になりました。素晴らしい生長の家の御教えの御蔭で夫婦円満、家庭調和と成らせて頂きました。日々、穏やかな心で生活出来ますことに感謝の気持ちでいっぱいです。いつの頃からか小さな手作りの仏壇の前で毎日手を合わせて出勤する主人の姿を見ていると、こんなにも穏やかな生活が来るとは思ってもみませんでした。夢の様な生活です。以前の私は、「神様は私の所は見ていないんだわ」、と思ったり、「私は人とは違うんだ」と思ったりしたこともありました。そして「神様、助けて下さい」と何度も叫んでいました。

平成9年9月、バブルがはじけて大手建設会社勤務の主人の会社が倒産し失業しました。主人は「仕事には自信がある」と1人で建築の仕事を立ち上げました。人のいい主人は人件費と、材料代を騙されてしまったのです。

マイホームを抵当に入れて色々と工面しましたがあっと言う間に多額の借金となり、マイホームを手放す事になりました。ここからが地獄の始まりで夫婦不調和となり、やさしい言葉をかける事もなく私はいつ別れようかと、別れる事だけ考えていました。「家がない生活は考えられない」と言葉の暴力で文句を言い主人を責めている私でした。幸福感はなく不安と恐怖の感謝のない生活が続きました。

私が御教えに触れたのは、昭和60年頃でした。泉区の島講師の自宅で開催されている母親教室に何回も通っていました。当時の私は、マイホームがあり、親、兄弟とも仲良く調和していました。子育てに役立つ勉強と思い母親教室に通っていたのです。何の心配もない幸福な生活でした。何か社会参加したい、仕事もしたいと思っていた時に、以前勤めていた美容室のオーナーから話があり、人手不足なので手伝って欲しいと言われ美容の仕事をする事にしました。技術面と「あなたは信用があるから」と言われ、経理の担当を12年間させて頂きました。仕事はとても充実していました。しかし、いつの頃からか手が荒れてあれてボロボロとなり、痛くてとても辛いものでした。痛いし辛いし家庭はうまくいかずとダブルパンチの中で「私はこの美容の仕事しか出来ない」と思い必死で頑張ったのですが・・・、手が荒れて痛い私を見て、オーナーは「渡辺さん、辞めてもらいます」と冷たく言いました。接客業でその手でやってもらうとお客様が、「うつるし気持ち悪い」と苦情が来ています、と言われ解雇されてしまいました。この時の辛さは――――「自分の何気ない言葉や振る舞いで主人を傷つけたり、いやな想いをさせてしまった私の心だと気付かされました。

当時、私は何の問題もなく幸せだし恵まれている、といつの間にかわが家でやっていた母親教室も辞め、生長の家の一切を辞めてしまっていたのです。とても幸せだった私でしたが問題を与えられ再び真剣に生長の家の真理の勉強をしようと決意しました。毎日の神想観、聖経読誦をし練成会に続けて参加しているうちに先祖供養の大切さ、全ての人と調和し日々感謝の生活をする事を学び、色々と気付かせて頂き生活が整ってきました。この生長の家の素晴らしい御教えの御蔭です。魂を向上させてくれる私への勉強だったのです。今、与えられている恵みに感謝し、もっともっと人に愛を出せます様、日々努力させて頂きます。「幸せだから笑うんじゃない。笑うから幸せなんだ」ず~っと笑う事が出来なかった私でしたが、今は心から笑う事が出来ます。

9月の総本山への団体参拝練成会へ御礼参りに参加させて頂きました。感動の三泊四日でした。多くの人にこのすばらしい御教えをお伝えしていきます。ありがとうございます。

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