カテゴリー: 光のおとずれ

生長の家のみ教えに救われて

投稿日:2012年7月1日 カテゴリー:光のおとずれ 白鳩会教区大会 真理の証し

真理の証し 白鳩会教区大会 体験談
平成24年6月13日㈬ 於: 仙台サンプラザホール


生長の家のみ教えに救われて
登米市 加美山清子

皆様ありがとうございます

私が生長の家に入信しましたのは30数年前、姉からの導きでした。別にそれまで何事もなく過ごしてきましたが、今から一年ばかり前のことです。家の前にコンクリートで囲まれた深さ1.8メートルく らいの堀があります。その堀のそばの草取りをしていた時の事です。体をねじった瞬間その堀に頭から落ちてしまいました。携帯電話を持っていたことに気づき娘に電話しました。まもなく来てくれて何とか堀から引き上げてくれました。

早速かかりつけの病院へ連れて行ってもらい、レントゲンの結果はみぎかた(右肩)骨折、紹介状を渡され別の病院で診てもらうことになりました。その病院からは手術しても5分5分との診断で手術方法や全治まで早くて3ケ月位かかると説明されました。私はそこで自然治癒に任せ神様にお任せすると決心しました。

生かされている自分がこのような姿になってと悔やみましたがしかたありません。その日から早速生長の家の聖経「甘露の法雨」 「天使の言葉」「続々甘露の法雨」を朝昼晩ご先祖さ まに誦げることにしました。現在我が家では地区の先祖供養祭を行っています。毎日聖経をあげているう ち生長の家の御教えの真理が自分の中にどんどん入って来ました。ある時は目の前から星が輝くようキラ キラして消えて行きまた涙がポロポロと流れて止まら ない時もありました。そうしているうちに痛みもなくなってきました。ありがとうございます。ありがとうございますと手を合わせる毎日でした。利き手の右腕は胴に固定されて、腰も痛かったので歩くのがやっとでしたが写経してみようと思い身体全体を使い写経を始めてみました。そしたら書ける、痛くない、驚きました。このような時間を与えてくれた神様ありがとうございますと唱えながら毎日を過ごしました。 そうしましたら1ヶ月とちょっとで腕の固定は外され リハビリも3回~4回で終わり、後遺症もなく全快することができました。感謝の気持ちでいっぱいです。

健康になったことに感謝して普及誌の活動者になり、 愛行に励んでおります。又昨年の大地震の後全国の生長の家の信徒の皆様より支援を頂いた物資や、仲間の人々に呼びかけあって集まった生活用品、絵本等 も一緒に登米市内の仮設住宅に入居されている南三陸の人に届けることが出来、楽しい交流をはかること ができました。

生長の家のみ教えの神想観、聖経を誦げご先祖さまへ感謝することにより、私はもとよ り家族が幸せに暮らすことが出来ました。ありがたいことに長女は支部長、次女が母親教室のリーダーをさせて頂いております。後継者ができたことに感謝の気持ちでいっぱいです。これからも多くの人々に生長の家を広めて行きたいと思っています。ありがとう ございました。

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「困難な中にも完全円満な世界がある」

投稿日:2012年5月28日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

真理の証し


相愛会 生出信明
「困難な中にも完全円満な世界がある」
平成24年4月29日(日) 会場:本部練成道場 相栄合同全国幹部研鑽会 体験談表

 

私はお茶の仕事をしています。私は9歳の時、大けがをし、後遺症が残りました。その後はコンプレックスとの戦いでした。昭和59年に結婚し、平成7年には念願の家を新築しました。しかし、家内との行き違いから不調和になり、やがて、長男の不登校、次男、 長女の健康面、仕事、家のローンと問題が山積しました。

しかし、平成14年、仕事中にふと 10年以上前にもらったお守りのことを思い出し叔母を訪ねると、「あれは生長の家」だよと言われ勧められた普及誌の「光の泉」を読むと、私が長年探し求めていたものでした。私はすぐに教化部に連絡し、個人指導を受け、 練成会は毎月受けるようにしました。 するとこれらすべての問題が一年もかからないうちに解決して行くのです。 入信して6ヶ月で、自宅で誌友会を発会しました。「こんな素晴らしいみ教えを伝えない訳には行かない」私はいつの間にか会う人に、伝道していました。

発会より8年間、一度も休むことなく開催し、最高で21名の方が参加し、皆さんすばらしい体験が出ています。

しかし、昨年の東日本大震災は、大津波が宮城県を襲い、全てを呑み込んでしまいました。あまりに大きい揺れで「これは津波が来る。娘が家に一人だ。帰らなければ」私は娘のことでいっぱいでしたが、家にたどりつけませんでした。

次の日、避難所のテレビには、津波に呑み込まれた町の様子が映っていました。「これでは娘はやられた。ひとたまりもない」私は誰もいない体育館の隅で神想観を始めました。すると「現象は変化があって当たり前、しかしどんな困難の中にも完全円満なる世界がある」そんな思いがしてきたのです。 次の日、次男が私を探して避難所に来ました。「笑子、生きていたよ。お父さんと会いたがっているよ」一時間かけて娘に会いに行きました。娘と抱き合い、「怖かったろう、ごめんな、ごめんな、 もう大丈夫だから」「お父さん、お家もうなくなったよ」と言う娘に「いいよ、 いいよ、お前達が無事でいられたんだから。家はなんとでもなる。お父さんにはちゃんとお前たちという宝が残っているよ」娘は、安心して涙を流しました。次の日、妻とも私の母とも再会できました。家族が無事でいられたことは神様、ご先祖様のお蔭としか思えません。

昨年4月初めには、白鳩会の勝又ふみさんのご愛念により借家生活が始まり、その20日後には、8名の仲間が集まり念願の誌友会を再開することができました。

現在、私は石巻市の仮設住宅で生活しています。他の皆様も不自由な中で生活しています。今こそ、生長の家が必要な時です。私は友人、知人を教区練成会にお誘いしています。

私のいとこは、船のエンジンの修理をしています。いつのころからか仕事にも行かず、毎日、酒を飲んでいました。奥さんからは離婚を迫られていて、私は連絡を受け訪ねました。仏壇の前で聖 経『甘露の法雨』を誦げました。奥さんには、「彼は飲みたくてお酒を飲んでいるんじゃないですよ。先祖供養をすると良いですよ。生長の家に来れば、 必ず良くなるから!」と私は確信を持った口調で言いました。 いとこを連れて練成会に行くと、間もなく仕事が入ってきたようです。離婚寸前だったはずの奥さんが迎えに来て、 職場に連れて行きました。しかもその仕事の出来映えは非常によく、船主さんに大変喜んでもらえたと。いとこ夫婦は「生長の家はすごい」と次回の練成会の参加も希望しています。このように、被災地はまだ光の見えない中で生活しています。この被災地の人々の 光の拠点として伝道していくことが、 私が神様から与えられた大きな使命だと思っています。

最期になりましたが、総裁先生御夫妻を初め、全国の相愛会、栄える会の幹部の皆様、被災した私達に沢山の物資と御愛念を下さり誠にありがとうございました。

再拝

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「自然との大調和のうちに復興」を信じて

投稿日:2012年5月28日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

真理の証し


青年会  齋藤貴之
「自然との大調和のうちに復興」を信じて
平成24年4月30日(月) 会場:本部練成道場 青年会全国大会 体験談発表

皆様ありがとうございます。私は、祖父母の代から続く生長の家の家庭に生まれ、高校時代から生長の家の御教えを学ぶようになりました。その後、生学連活動を共にした妻と結婚し、3人の子供にも恵まれ、平成17年より宮城教区青年会委員長を拝命しております。仕事は自動車学校の教習指導員をしており、公私共々充実した日々を過ごさせていただいております。

しかし昨年の3月11日、私はいつもどうり仕事をしておりました。14時47分に大地震が起こり、その後、『津波だ』と叫ぶ声がしました。『津波?』何のことか分からず携帯でテレビ見ると、津波が私の自宅付近まで押し寄せている映像でした。『妻と子供達は?』と一瞬不安がよぎりましたが、『この家を真理の場として使わせて頂き、神様の宮として下さい』と祈り、導かれて住むことになった家でしたので、「あの家は大丈夫」という思いが湧き起こってきました。仕事を終え、真っ暗闇の中、急いで帰宅すると、家族は皆無事でした。その後、津波の到達地点を見に行くと、自宅から1㎞まで迫っており、『守られた』と神様に感謝致しました。

仕事も燃料が入らないことから、3週間休むことになりました。近隣は慌てふためき、食料や燃料を買い求めていました。

私は日頃、学校で行われる学科授業の際、生徒に「免許はとってもいいが、なるべく車には乗らないように」と話しております。これは青年会の活動をする中で、日に日に地球環境保全への意識が高まり、「私に何かできないのだろうか?」と考えた末、日頃学んでいることを学校の授業に取り入れることにしました。

食肉関連や家庭から排出量されるCO2の問題。カーボンオフセットや電気自動車等。授業で多くの生徒に紹介することにより、より環境意識の高いドライバーの育成を心掛けております。

従って震災の際も、私以上に困っている方々に少しでも燃料や食料を行き届くことを考え、焦燥感や不安感からくる、エネルギーの無駄遣いをやめました。

震災から10日目。ようやく電気が通電し、臨時の5者会議で、東松島の星原里美さんがSOSを出していることを知り、前有好正光教化部長に『青年会に行かせて下さい』とつげました。『今回の震災は地元で起きている。いつまでも被災者の振りをするのはやめよう。』そう思いすぐに鈴木直人青年会事務局長と当時駐在本部員だった三浦光宏さんに被災地に救援活動へ行くことを伝えると二人も賛同してくれ、次の日に行くことになりました。しかし始めて行く未知の世界。沿岸部の被災地はいったい何が必要なのか検討もつかず、ホームセンターに行ってもやはり分かりませんでした。そこで神様に『神よどうぞ私に沿岸部の被災者の方々が必要な物を教えたまえ』と祈りました。沿岸部に電気が流れているのか?という思いから『発電機』という言葉が脳裏をよぎり、もう一つの商品が私を呼び止めました。それは「高圧洗浄機」でした。この2台を合計すると料金が10万円を超えましたが、『お金は必要な時に集まって来る』何度もそういう経験をしている私は、何かに導かれるまま購入しました。

その後、このお金は復興支援活動に来られた方々の、温かい青年会への寄付金でまかなえることになりました。本当にありがとうございました。

私たちは、次の日から復興支援活動をすすめていったのですが、周囲を見渡すと膨大な瓦礫の山が山積しており、うつむいている人たちが無数にいました。自分たちの無力さを感じ、「本当に私たちは役に立っているのだろうか?」そんな疑問もでてきましたが、そんなある日の事、嬉しい報告を頂きました。

前講師会会長の千葉麻子さんのお宅を中心に、近隣地域の清掃を行った岩沼という地域では、その後行政の力を待たず、県内で一早く、地域住民が協力し合って復興を成し遂げました。千葉さんから「実は青年会の方々が来て復興活動をしてくれたお蔭で、周辺地域の方々に希望と勇気を頂き、地域が団結・協力し合い、いち早く復興を成し遂げました」というお言葉を頂きました。

私たちの行動は本当に小さかったかもしれませんが、「被災者に光を!絶対復興させてみせましょう!」という思いと祈りが神様に届き、被災者の方々に伝わったのだと、本当にうれしく思いました。

また、青年会の仲間でも自宅を被災された方もいました。中でも石巻青年会委員長の佐伯綾さんは、自宅でピアノ教室をされていましたが、自宅が全壊、ピアノ教室が流失し、大事なピアノ、エレクトーン、フルート、一千冊以上あった楽譜すべてを無くされました。私が初めてその光景を目の当たりにしたとき、本人も半ば諦めかけており、かける言葉も見つかりませんでした。しかし、4月に総裁先生ご夫妻が宮城教区にお越しになり「聖経読誦」をして下さったことや、本部の方々、遠くは宇治から多くの方々が佐伯さん宅のがれき撤去や、床下の泥除けや、清掃活動をされたことにより、佐伯さんも次第に元気を取り戻していきました。今日は全国大会に一緒に参加させて頂いております。

ご自身が被災されているにもかかわらず、現在は引っ越し先でピアノ教室を再開され、インターネットの呼びかけで全国様々な所から、応援メッセージ付きの楽譜が約800冊以上集まったそうです。生徒の中には、ピアノや楽譜はもちろん、家を失った子、親を失った子、地獄のような光景を見てしまった子がいるそうですが、音楽の力を信じて生徒さん達のために現在も頑張っています。

【佐伯さんから挨拶】
「皆様ありがとうございます。宮城県石巻市の佐伯綾です。震災から1年、ただひたすら前進して参りました。世界中の皆様の祈りとご愛念、そして行動力が、どれ程心のエネルギーになったかわかりません。一見不幸に見える出来事の中にも、良い事、幸せの種がいっぱいありました。必ずこれからの自分の魂にとって、プラスに働く、神様の深い愛がそこにあります。津波が押し寄せ、ガレキの中で必死に耐えた庭の花が咲いたのを見て、その美しさと生命の素晴らしさを感じ、たくさんの悲しみが充満した分、これからは今まで以上に、少しでも喜びを表現して幸せの種を蒔いて行こう!愛を出していこう!と思いました。被災地も日々確実に前進しています、海もいつもの通り穏やかにキラキラと輝いています、神様、そしてすべての皆様、本当にありがとうございました。」

総裁先生がお示し下さっている、神様の御心にそった「自然との大調和のうちに復興」ができることを心から信じ、これからも人類光明化運動、国際平和信仰運動に邁進して参ります。ありがとうございます。

 

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「自分が変わればすべてが変わる」 太白区 鈴木久美子さん

投稿日:2011年11月30日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

私の祖母は宮城教区の講師を務めておりました。その影響もあり小さい頃から「ご先祖様、お父さん、お母さん、兄弟姉妹に、全てのものに感謝しましょう。人間神の子、無限力、無限のパワー湧きいでよ~」などよく母と一緒にその言葉を口にしていました。でも子供の頃は「生長の家ってなんだろう?感謝しましょうって言うから感謝してればいいのかな?」と、よくわからないけど生長の家にとりあえず触れていた様に思います。

子供の頃の私はとても素直で明るく、どちらかというとうるさいくらいに元気だったのですが、自分がどう思っているかを人に伝えるのがとても苦手でした。 両親は共働きで毎日忙しかったにもかかわらず、私たち4人の子供を一生懸命育ててくれたのですが、子供の私には親の事情何てわかるわけもなく、私の話を聞いてくれない、私の思いを悟ってくれないといつもすねていたように思います。両親は私が何も伝えられずにすねてしているとは知らず、時には「なんだってあんたはいつも思ってることを言わずに黙るの!ホントはっきりしない子ね」と怒ったり、時には「おねぇちゃんはいつも我慢してえらいねぇ。」と勝手にいい方に解釈をし、「神の子さん」なんて褒めてくれて、ちょっと得意になって笑顔に戻ると、なんて素直ないい子なんだろうと思っていた様でした。

思春期の頃からでしょうか、伝わらない伝えられない思いが不満となり、両親の都合のいい時だけ生長の家の教えを言われているように思えてきたのです。私の気持ちなんて聞きもしないで何が生長の家だ!そんな親に都合のいい教えなんて聞きたくない。生長の家なんて大嫌いだ!と思うようになりました。いつも優しく生長の家の教えを聞かせてくれた母の言葉を聞かなくなり、そして私を大切に思い必要以上に厳しくする父が嫌になり距離を置くようになりました。

父は昔ながらの頑固親父。娘が大事なあまり、あれはだめ!これはだめ!と何かあるたびに昨日まではなかった「我が家のルール」が次々と出来ていくほど束縛され、兄弟の中でたぶん私が一番厳しく父の言うとおりに育てられたように思います。幸せな結婚をするはずだったのに、一人で子供を育てることになったり、人の借金を背負ったり。どうしてこんなことばかり続くのだろうと自分を不幸に思わない日はありませんでした。自分のこれからが真っ暗闇の様に思えた時「八方塞がりに見える時も、神様の方だけはいつも開いているのよ」「自分が変われば全てが変わるのよ」と不思議と母の言葉が頭に浮かび、もう頑張れないもうダメだと思う時も「人間神の子、無限力、乗り越えられない課題は与えられないのよ。」と母がいつも教えてくれた言葉に背中を押してもらえるのです。あんなに嫌っていた「生長の家」の言葉が自然と心に浮かび、よし頑張ろう!と思えるのは、本当は「生長の家」の教えが嫌いじゃないのかも、私は今とてもその言葉にすがりつきたいし、教えに触れたいのかも…と、ひねくれていた私の気持ちが、ほんの少し素直な本来の自分に戻ったような気がしました。

それからは少しずつですが教化部に顔を出す様になり、生長の家の方々と話すことで少しずつ少しずつ素直で明るい自分に戻ってきたように思います。生長の家に触れるきっかけは出来たもののどうしても両親に心から感謝することが出来ず、事あるごとにぶつかってしまい「どうせ子供の頃から私の思い何て聞こうとしないし、わからないでしょ」と心を閉ざしてしまうのでした。

そんな頃、滅多にご一緒しない会社の上司と飲みに行く機会がありました。お嬢さんがお嫁に行ったばかりの上司が「実はねぇ、娘と気持ちが通じない時期があったんだ。でも嫁に行く前の日に、『お父さんと思いが通じない時があったけど、お父さんの子供でよかった。お父さんありがとう。大好きよ』と言われてすごく嬉しくてねぇ。俺の思いが伝わってたなぁって思って、今までのわだかまりが全部なくなったよ」と、部下の私の前でポロポロと泣き始めたのです。その姿を見て、あぁそうか。父親はこんなに娘を愛して大切に思っているのに、娘にはその思いが通じず寂しい、わかってもらえないことに腹を立て「俺は悪くない!」と意地を張る。何て不器用なんだろう。私はどうしてその気持ちに気付かなかったのだろうと目が覚めた思いでした。

それから家に帰りすぐにその思いを両親に話しました。「お父さんの深い愛に今まで気が付かなかった。小さい頃からお父さんが大好きだったのに、その気持ちも忘れていたの。ありがとうお父さん、いっぱい愛してくれてありがとう。今までごめんなさい。大好きよ」と泣きながらでしたが素直に言えました。すると頑固な父の目から大粒の涙がこぼれ落ち、その私たちを見る母の目からもたくさんの涙があふれました。数年ぶりに私たち親子は心から和解することができたのです。 「自分が変われば全てが変わる」初めて身をもって体験しました。ありがとうを心から相手に伝えた時、今までのことが夢だったのか嘘だったのかわからなくなるくらい、自分の周りが変わっていくのです。 今も父と和解した時のことを思い出すと、涙がでます。上司の言葉に導かれ気が付かせてもらえて本当に良かったと思います 。

「父が大好き」の気持ちを思い出したおかげでしょうか、色んなことがよかったと思える方へ変わり、一つずつ悩みが消え、何よりも嬉しいことに父のように大きな愛で包んでくださる方と昨年結婚することができました。子供の頃自分が望んだ自分の夢が現実となりました。毎日が幸せと安心で満たされ、ホッとしすぎて体重もかなり増えてしまいました。今はダイエットに励む毎日です。

私の幸せを長い間ずっと願い、祈り続けてくれた両親、優しく何も言わずに見守ってくれた兄弟たち、誰よりも私を信じ、どんな時も「くーちゃんは昔から変わらない優しいくーちゃんのままだよ」と支えてくれる妹、そしてどんな私もどんなお母さんも一番大好き!と側にいてくれる優しい主人と息子に心から感謝します。また、これからは私を光り輝く毎日へ導いてくれた生長の家の教えを、少しでも多くの方へお伝えしていけるよう、少しずつ日々努力してまいります。有難うございます。

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「愛する家族は、私の宝物」 涌谷町 生出信明さん

投稿日:2011年10月31日 カテゴリー:光のおとずれ 真理の証し

平成23年10月23日 (日)生長の家講習会体験談発表 会場:仙台サンプラザホール

 

合掌ありがとうございます。

私はお茶の販売の仕事をしています。この東日本大震災は私たちに多くの教えと課題を残しました。百年に一度千年に一度と言われるこの大震災は、家や店だけではなく生まれ育った多くの思い出、親せきと仲間、お客さんを呑み込んでしまいました。まさに想定外、想像を絶する津波でした。当日私は、石巻で仕事をしていました。あまりに大きな揺れと時間の長さで「これは津波が来る。娘が家に一人だ。帰らなければ」私はすぐ車に戻り走らせました。

信号は消え道は大渋滞です。一時間以上かけて車は北上川の土手の上まで何とか来ることができました。土手は亀裂が入り今にでも決壊する寸前です。通常であれば河川敷が見える川は満杯となり自分の走っている道路もあと二十㎝で溢れ出す。大きな松の木や家の残骸が流され川は荒れ狂っていました。なんとか家に行こうとしましたがどの道も決壊や、崖崩れなどで断念せざるを得ませんでした。

「娘は大丈夫だろうか?」私の頭は娘のことでいっぱいでした。

津波は市内の街の中まで来ていました。ここなら大丈夫だ!!ここまで津波はこない。そう思い高台に行き車の中で夜を明かしました。

次の日、仕方なく私は避難所へ向かいました。その夜、避難所では自家発電でテレビが映っていました。想像を絶する波が町を襲う、呑み込まれた町は大惨事になっていました。

「これでは娘もやられた、ひとたまりもない」これであきらめざるを得ないと思いました。私は誰もいない体育館の隅で神想観を始めました神様と御先祖様に感謝し、そのような状況の中でも生かされている我が生命に感謝していたのです。すると

「現象は変化があって当たり前、しかし実相がある。どんな困難の中にも完全円満なる世界がある。祈れば届く」そんな思いがしてきたのです。現象的に観ればあまりにも惨い状態でありますがその思いを感じた途端、心がうんと軽くなり気持ちが落ち着いてきました。その中でも娘が生きているという実感を得ました。

次の日4日目、二男が私を探してこの避難所に来たのです。
「昨日、笑子を探しに雄勝に行って来たよ。稲井に避難させたから心配ないよ。笑子がお父さんと会いたがっているから稲井に行かないか?ガソリンが無いから自転車で来たんだけど、俺、走るから」
私は自転車に乗り一時間かけて息子と稲井に向かいました。そして娘とようやく再会できました。娘と抱き合い
「怖かったろう、ごめんな、ごめんな、もう大丈夫だから」
「お父さん、お家 もうなくなったよ」という娘のことばに
「いいよ、いいよ、お前たちが無事でいられたんだからいいよ」
「家は何とでもなる。いいよ、いいよ」
「お父さんにはちゃんとお前たちという宝がのこっているよ」
娘は涙を流しながら安心したような顔をしていました。次の日、三人で雄勝町に行くことになりました。峠を下り町の中に入ったら以前の面影はなく荒廃した町になっていました。自分の家に行く道も解らず息子の運転に任せ何とか家に着きました。
「父さんここだよ」という息子の言葉に・・・・・・。
そこはコンクリートの土台だけでした。むなしさだけが込み上げてきました。しかし、この悲惨の中で家族が無事でいられたことは神様や御先祖様のお蔭としか考えられません。私はありし日の我が家に向かって合掌しました。

そのまま妻の職場に行き妻とも母とも会うことができ元気な姿を見ることができました。そして、妻の実家へ行き義父母に会うことができ、そこでしばらくお世話になることになりました。すると神想観と先祖供養をせずにはいられないのです。
電気のないところでローソクと懐中電灯での行の再開です。そうして二週間位たってから生活の再スタートを意識してきたのです。

4月初め、涌谷町に住む白鳩会の勝又ふみさんのお世話で借家を用意していただきました。相愛会の皆さんの愛念で生活に必要なすべての電化製品等が用意され涌谷町で生活が始まりました。被災した私たちにとってこれからの生活が大変であります。生長の家の信仰を生かし神の子無限力を発揮する時であります。又、多くの人に素晴らしい生長の家の真理を伝え人類光明化運動、世界平和信仰運動に邁進します。ありがとうございます。

再拝

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「当たり前の生活ができることに感謝」 若林区 濱口和子さん

投稿日:2011年9月30日 カテゴリー:真理の証し

真理の証し 若林区 濱口和子さん

「当たり前の生活ができることに感謝」

合掌 ありがとうございます。この度の東日本大震災では、宮城県教化部髙坂幸雄教化部長、白鳩会福田みどり連合会長、全国の教区の皆様には私たち家族をはじめ、被災した誌友の方々にまで暖かい励ましの言葉やお心遣い、又支援物資等、沢山いただき有難うございました。感謝申し上げます。

3月11日の地震での大津波では私達の家、雄勝に嫁いだ娘の家、又イチゴ農家の亘理の実家、主人と私の妹の家、全部流されてなくなってしまいました。でも皆聖使命に入会してたお陰もあり、命だけは救われたと思っています。ただ雄勝の娘とは五日間連絡がとれずとても心配してました。

そんな時、東京の府中市に住んでいる方が雄勝に住んでいる両親を心配してマイカーで雄勝の大浜という所に訪ねて行ったそうです。両親の無事を確認して帰るときに避難所の皆に連絡したい方がいたら電話番号を教えて下さいと言われたそうです。すぐに娘はお父さんのケイタイ番号をメモしてお願いしたそうです。そしてその方が電話が通じる場所まできた時に主人に「娘さん一家は皆無事ですよ」と連絡下さったのです。なんて愛の深い方なんだろうと思って嬉しくて涙がでて感謝いっぱいでした。

私はあの日、いつもデイサービスに行っているばあちゃんが休みだったので、こたつにはいってテレビを見ながらのんびりすごしていました。そしてあの突然大きな揺れを感じ、身動きができず呆然としている時に、これが日頃ラジオで放送している宮城県沖地震がきたんだと思いました。そんな中で自然と口から「ありがとうございます、ありがとうございます。」と言っていました。そしてこの揺れ方では津波がくると思い避難しなくてはと思ったのです。揺れがおさまるのを待って日頃から用意してた避難用具とばあちゃんの紙オムツまで車のトランクに積んでました。家の中は、物が散乱して足の踏み場もない状態でしたが、とにかく避難する事だけが頭にあったので、仏壇と花瓶だけおこして逃げました。まさか家まで流される津波なんかくるとは夢にも思いませんのでした。又、家に帰れるつもりで、ガスの元栓を締めブレーカーまで下げて家を出たのです。近所の方にも声がけし、車に相乗りさせてもらったので安心して出る事ができました。早かったせいか、車の渋滞にも遭わずにすみました。地元の荒浜小学校も指定避難所になっているので皆避難してたのですが、私はそこを素通りして四㌔先の七郷小学校まで行ったのです。荒浜小学校に避難していたら車は流され、津波の恐ろしさを目の前にしただろうし、年寄りはいるし、後で考えたら私の判断は、間違いなかったと思いました。荒浜小学校に避難した方から聞いたのですが、津波は四階建ての三階まできて、膝上まで水につかって恐ろしくて映画のワンシーンでも観てるみたいだったと言っていました。

その日、仕事に出てた主人とすぐに連絡がとれてたので、避難場所ですぐに合流することができましたが。そこでは、何時間も会えなかった家族の人達が抱き合って喜んでいる方々が何人もいました。また、暗くなると仙台新港の方では、真っ赤に燃え上がるのが見え、不気味でした。その晩はお父さんが仕事関係の方から偶然にもどら焼きをいただいており、皆で分け合って空腹をしのぐ事ができました。三日間は車で寝起きし、避難所、甥のアパート、息子のアパートと二ヶ月間転々としてお世話になりました。その頃の私は、夜は眠れず、無表情で、生きていく力を無くしたような状態でした。さらに、ばあちゃんの認知症は進み、徘徊までするようになっていました。何もかも地震、津波が狂わせてしまったんだと涙ばかり流していました。震災後三週間が経った頃、三年前に他界したおじいさんの位牌が、自宅から一㌔位離れた所で見つかり、又先祖代々の位牌も何日かして区役所に届いていました。今は小さな仏壇にまつらせてもらっています。

日が経つにつれ、私も気力が出てきて、前向きに考えられるようになっていくうちに、申し込んでいた仮設住宅が県から連絡があり、下見に行くと主人がすごく気に入ったので決めさせてもらいました。そして、5月14日に引っ越してきました。偶然にも宮城県教化部に近い所でしたので不思議でしたが、神様が与えて下さったのだと感謝しております。

震災後、間もなく6ヵ月が経とうとしていますが、主人も仕事が忙しくなり、元の生活は戻ってきませんが一日一日を大切にして、当たり前の生活ができる事に感謝して折ります。ここまでたどり着くまでは、私達家族は大変な事が沢山ありました。けれども、行く所、何事も万事好都合に物事が進められてきたように思います。これも全部生長の家の信仰のお陰だと感謝しております10月23日に開催される講習会には、一人でも多くの新人さんをお誘いできるよう精進していきます。ありがとございました。

再 拝

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88歳の母、娘と念願の富士山へ 青葉区 松田文江さん

投稿日:2011年8月31日 カテゴリー:真理の証し

「88歳の母、娘と念願の富士山へ」
平成 23年 7月11日~13日河口湖練成会 「喜びの参加報告」

青葉区 松田文江さん

合掌 ありがとうございます。まず、遅くなってしまいましたご報告を心よりお詫び申し上げます。このたびの、ご配慮に、ご縁に 神の慈愛に只ひたすらに感謝を申し上げております。母と娘と共にありがたき練成会に参加をさせていただきまして本当にありがとうございました。

次から次へと、心にしみこんだ話の数々出会った方々の笑顔の数々、よろこびにはずむ声の数々。あれからずっと思い出しております。88才の母を同行させていただきましたことは、とりわけ感謝のおもいがはちきれております。「私、ほんとうに行ってきたんだっちゃねーみなさま、神さまありがとうございます」と母は顔をほころばせ合掌しては云っております。何より足が痛い!とか、涙が出て涙が出てひどい!と帰ってから口に出さないのがうれしくてなりません。

岩本先生のお話しは、小さい頃の体験談が私とよくよく似ていたので聞き入っておりましたと同時に ”まだまだあまいな、私 “ と思いました。どの先生の体験談もものすごい底力を感じ、あらためて人はすごい。神さまの力ってものすごい!!と思いました。

私は40年程前、伊豆や箱根、富士方面のバスガイドをして働いておりましたが、家を出るのを大反対する父を説きふせて出してくれた母のおかげで実現したことでした。一枚でもよけいお金を送って母をよろこばせたくて(ほんとうは姉たちの様に認めて欲しくて)給料の一番良い会社を選んだらそれがバスガイドの職だったのですが・・・・・

その頃、富士山を案内しながらいつか父や母をつれてきたいと思ったものでした。そうしてこの度その思いがかなったことはこの上なき喜びごとです。

この地震災のあと、私には喜びばかりがつながります。娘のこともそうです。解雇になって戻ってきてからだんだんに二人の間に築き上がっていた高い壁は日毎に低くなっていき会話もその辺の母娘の会話に似てきてどんどん和やかになり娘の口から「おかあさん!」って自然に出るようになっていたことにふと気づき目のあたりが熱くなってしまった私でした。日に日にやわらかになってゆく、娘の言葉や、態度にあらためて私がかわらなければならなかったことを思い知りました。満を持してのこの練成会はまるでそんな私と娘を祝福して下さる為の・・・・と思えました。

河口湖練成会から帰っ て、感動した富士山を喜び描く 佐藤なみ子さん

今、小さい頃から願い続けた母と、あたたかな関係に幸せを感じさせていただける一緒にいる時間。そして普通に気を楽にしたままできる娘との会話。なんて私は幸せ者なのでしょう。つくづく神さまの愛の大きさを感じ心から手を合わせ、感謝をしております。

「生長の家の大神さま ありがとうございます。
生長の家のみなさま ありがとうございます。
生長の家の家族に加えていただきましたことを心より感謝し、これから誰かの役に立たせていただくことを第一として生き切ります」

そう唱えつつ、明るく笑っていられる私がとても好きです。大好きになりました。

こうなれましたのもみなさまのおかげさまです。ほんとうに、ほんとうにありがとうございます。帰宅後、次の朝、しみじみとひとりごとのように娘が云ってました。

佐藤なみ子さん作成。教化部に寄贈されまし たので、是非一度ご覧下さい。

「よーし 私これから かわるぞ! 自分にいくら自信があっても他人を不愉快にさせたり、迷惑をおよぼすようなことのないように充分言動や行動には気をつけるぞー!!」って、娘も又、どんどん変わってゆく力が湧いてきております。ありがたいことですうれしいことです。今私は、とっても、とっても、幸せですありがとうございます。

合掌

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日本・世界中の祈りに感謝  石巻 佐伯英子

投稿日:2011年8月9日 カテゴリー:真理の証し

合掌、ありがとうございます。

皆さんに生きてこうして会えてよかったですね。この地域の皆さん大半の人が危機一髪のドラマがありますよね。一歩間違えたらこの場にいないという話になります。

私も信号ひとつ早く渡って右に曲がってたら、この場にいないと思います。信号の手前で地震に遭って右に曲がらず直行、我が家に戻って戸じまりして逃げました。

川の方から車が次々逃げてくるのに私達母娘は川に向かって走りました。門脇小学校の前を通って子供達が校庭にしゃがんで並んでいるのを見ました。その何時間後、テレビでよく見る通りです。

避難所生活は16日まで。はじめは油揚一枚を10人で分けて一日の食事でした。何の味つけもない一口の油揚のおいしかったこと。次の日は豆腐二丁を5人で食べました。あるだけましかと。

教室の三階にいたのでなかなか届かなかったようです。でも体育館にギューギューづめより住み心地は良かったはずなのでしかたないと思いました。

日が短いあかりもないところで、若いおとうさんがギターを持ってきて歌ってくれました。この家族は二晩で家に帰れたんですが。昔は生長の家の信徒さんだったはずの方と一緒の部屋で楽しくお茶をしました。災害のおかげで色々な人に出会いました。

災害のお陰で孫とも三ヶ月以上一緒にくらせました。入園入学・息子の転勤と大忙しの手伝いもできました。

娘のところには楽譜がたくさんおくられてきました。全然しらない人たちからも、生長の家の方からも届きました。送料かけて送ってくれます。

世界中何かしたい人がいっぱいいるそうです。

我が家は足場がものすごく悪く、電気も水もない状態で運んで来てもらって洗ったり荷物を出したりしてもらいました。たぶん、どこよりも大変だったはずです。私は無理だし危険だしとおことわりしましたが、本部と教化部の若い人たちの知恵と力と情熱で本当にきれいにしてもらいました。

自分の家のように一生懸命作業してくれる若い人達を見ていた主人がものすごく感動して喜んでおりました。

そのあと三年もかかると思った電気も水も三ヶ月にして届きました。 その間の巡りの良いこと、都合よく都合よく運んで、今度はどんなことになるか楽しみになるくらい巡りがよくて不思議でした。

震災以来、神想観も聖経読誦も一切やめてサボっていたのに、どういうことかといつも思っていました。ある時ふと気づきました。これは祈って頂いてるからだと。これは祈りの力しかないと思いました。日本中、世界中の皆さんのご愛念を頂いているからだと気づきました。ただただ感謝です。本当にありがとうございます。

私が孫とすごしている間、大変な状態の中に亡くなった昆野なほ総連会長さんの分も動いてくれた我が総連会長の阿部弘子さん本当にご苦労さまです。ありがとうございます。

作業する若い人たちを泊めてくれたり差し入れしてくれたり大橋さん、阿形さん。阿形さんには我が家の掃除用の水を、20ℓタンク10コで何回もいただいてきました。本当にありがとうございます。

想定外にたくさんの方にお世話になりました。

私に早くに写経を送ってくれた福田会長さん、眠れるから抱いてねるようにと。実は寝てないのは会長じゃないかと思いました。部長先生始め、教化部の皆さま、各組織の会長さん方中心に、被災していると同じように、またそれ以上に大変だったと思います。

お心づかいご配慮頂きまして本当に有難く感謝申し上げます。ありがとうございます。これからは講習会に向けてがんばって行きます。

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喜びの報告 (平成23 年6 月5 日「日曜見真会」より) 松山 矢吹りつ

投稿日:2011年6月30日 カテゴリー:日曜見真会 真理の証し

松山 矢吹りつ

4年前、市の臨時職員で採用されました。知的、身体、 精神に障害を持った方の指導員です。宮下くみ子(松山第 一支部長)保健師さんのお世話でした。入社した頃のメン バーさん達は、仕事に対する意欲もなく、仕事の手順も分 からずの状態でした。「メンバー達を神の子、完全円満で、 皆素晴らしい生命を神様から頂いている」のだと思い、神 想観、日時計日記を1人ずつ書きました。どうしても現状 が欠陥だらけに見えてしまう中、日記を毎日書き続けまし た。メンバーさん達に、「みんな、すばらしい力を持って いるのだから、何事にも挑戦しようね。誰でも初めて失敗 して覚えていくのだから、失敗を恐れず、分からない時は 聞きながら、頑張ろうね」と言って励まし、一緒に仕事をし、 共に汗を流し、休憩の時に自腹でジュースを買って、一緒 に飲んだり、お昼はみそ汁、自分達の畑で採れた野菜で料 理をし、食べさせたりと、愛情をかけ、上手にできてもで きなくとも褒めてあげたりしていました。

又、3月の震災の時は、他の事業所は休んでいたのです が、我が事業所は、休まず登所していましたので、電気が 通じるまで、炊き出しをして無報酬で食べさせてあげまし た。でも不思議と我が家の食事は、不自由しませんでした。 「神様の仕事をしていると、やはり無限供給でエコ生活も できて、改めて、感謝、感謝」でした。 保健師の宮下さんが、3年振りで松山支所に保健福祉課 長として、戻ってこられ、メンバーさんたちの姿を見て、 3年前とはメンバーさん達が変っていたことに驚かれまし た。以前は、仕事の意欲もなく、覚える気配もなかったメ ンバーさん達が、明るく、元気で、指導員が、付いていな くても、きちんと自分達で仕事をしている姿を見て「生長 したね、すっかり変って、しっかりしたね、よかった、よ かった」と言われたので、とても嬉しかったです。これか らも、何事にも挑戦し、共に頑張って行きたいと思います。 毎日が生長の家の御教えの生活を送っています。ありがと うございます。

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 「許せない心が、石になって現れた」 迫相愛会 伊藤範義さん

投稿日:2011年1月31日 カテゴリー:相愛会会員喜びの集い 真理の証し

イラスト くり

合掌 皆様ありがとうございます。
私は、迫相愛会の伊藤でございます。米づくりをしながら豚を飼って いる専業農家でございます。昨年の11月10日、いつもの様に豚舎で作業 をしていたのですが、突然、背中の左側に激痛があり、ぎっくり腰かと思 ったのですが、どうも様子が違う、だんだん痛みがひどくなり、がまんが 出来なくなり、買物に出かけた妻を呼び戻し、病院につれていってもらい ました。その日は何とか痛みも治まり、点滴を受け、自宅に戻る事がで きました。診断では、「尿管結石」とのことでした。
11月13日の早朝、豚舎に入って、作業をしていたのですが、又、背 中に激痛が走りました。今度の痛みは、前回よりもひどく、息も出来な いくらいでした。救急車を呼ぶと、騒ぎが大きくなるので、親戚に電話を し、病院に連れていってもらいました。あいにくの土曜日で、当番の医師 しかいなかったのですが、処置をしていただき、痛みは治まり、自宅に戻 ったのでした。それまで日中から布団の中で休むという事は、めったにな かったのですが、布団の中で様々な思いが涌いて来ました。健康には自信 があったのですが、なぜ、こんな事になってしまったのか。もし入院しろと 言われたら、豚の世話は、誰がやるのか、妻だけでは無理だ、どうしよ う…。その時、ふっと、今は亡き、鹿島台の清水先生に、何かの折に言わ れた、「因果くらまさず」という言葉を思い出したのです。私は、集落内に不調和な人が何人かいたのです。その人達には、何かと反発していま した。それまで様々ないきさつがあり、あいつだけは許せないと、いつも 思っていたのです。又、自分の父親にも許せない気持をもっていたのです。
週明けの月曜日、病院に行き、再検査を受けたのですが、医師がエコ ー検査の結果を見ながら、開口一番、「石持だな」と言ったのには、内 心「ドキッ」とさせられました。まさに、許せない心が、石のような頑な 心が、形となって現われたのではないでしょうか。左の腎臓だけでなく、 右の腎臓にも、石がたまっていると言われました。これではだめだ、働け なくなったら、生活も行き詰まってしまう、何とかしなければ。切羽詰ま って「和解の神想観」をする事にしたのです。「許せない。」なんて言っ ていられなくなったのです。
「誰々さん、ありがとうございます。私はあなたを許しました。あなたも 私を許しました。あなたと私は、神の子の名に於いて、兄弟であります。 すでに調和しているのであります。」相手の笑顔を思い浮べて祈りました。 父親に対しても祈りました。朝の神想観、仏壇の前での先祖供養の時、 夜眠る前にも続けたのです。激痛があってから、丁度一週間目にトイレに 行った時、米粒大の飴色の石が、オシッコと一緒に出て来ました。自分の 生活にブレーキをかけてくれたのが、この石だなと思い、しばしながめて いました。
再検査の際には、「入院しなくともよい。働きながら、薬を飲みなが ら治しなさい。」との事でした。ホッとしました。又、集落の集まりの際、 不調和であった方と顔を合わせたのですが、それまで見た事のない笑顔で、 話ができ、心が晴れる思いを致しました。最初の激痛から40日後に、 再度病院に行き、診察を受けましたが、尿検査の結果、異常なしとのこ とでした。現在は薬を飲み続けていますが、以前の体調に戻りつつありま す。
又、昨年の春より、長女の半身を聖使命会員に入会させていただき、 教化部の先祖供養祭にも参加させて頂いておりましたが、先日、長女の 結婚が決まりました。新しい年が喜びのスタートとなり、本当に喜んでい るところでございます。我家でも、この50年の間、色々な困難な出来事 がございました。その度に、神癒祈願を申し込み、甘露の法雨を誦げ、神 想観を続けながら、危機を乗り越えてまいりました。妻と二人で、「ま た救われたね」と言いながら、暮してきた様な気がします。
今では、妻も私より熱心な生長の家信徒になってくれました。これまで ささえてくれた妻に感謝し、常に我家を守り導いてくれた、御先祖様、 生長の家の大神様に感謝を申し上げ、我家に生長の家の信仰の火をとも してくれた父に感謝し、私の体験発表とさせていただきます。ありがとう ございます。

合掌 再拝

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「練成会」「日曜見真会」に参加して人生が好転 泉区 小山隆子

投稿日:2010年12月27日 カテゴリー:日曜見真会 真理の証し 神性開発宮城練成会

合掌 ありがとうございます。私は白鳩会の岡澤美佐子さんのご愛念で、数年前から講習会や誌友会に度々出させて頂いておりました。そして、平成19年8月の先祖供養の日に、入信させて頂きました。夫と、息子夫婦の孫(小六男児・年中組女児)との中で、他の人からみた理想像のように見えるのでしょうが、なぜか私の心の中は薄い霧がかかっている感じでした。

初めての参加の練成会。人を赦し、自分も赦す心、浄心行で長い人生の中でのこもごもの心を洗い流して頂き、神想観では左手が凍りつくようなしびれを覚えました。そして、先祖供養の大切さを学び、ようやく先祖供養の大切さに気づかせて頂いたのでございます。本当にようやく辿り着いた安堵の道でした。祈り合いの神想観での、我が力では及ばない愛念を皆さまから与えて頂く実践は、回を重ねる毎に、心から湧き上がる喜びとなって参りました。

話は息子の事になります。息子は以前からベーカリーの仕事に携わっておりまして、「いつかは自分の店を持ちたい」と願っておりました。それまでは「いろいろあるけれど条件が合わないんだよ」と言っておりました。そんな折、祈り合いの神想観で皆さまに祈って頂きますと、急転回しまして、今までの仕事を辞め、アルバイトについてもなかなか落ち着かず、やがてアルバイトを辞めて店舗さがしに専念いたしました。その状況が、不思議にも練成会に参加する毎に変わって参りました。学びのお陰で、「ルンペンとなりましても、良きことへのステップ」と心おだやかに待つことができました。「私は今、普遍なる神の内に生き、神の愛にとりまかれ護られているのである」との祈りの中で神の御前に跪き、あたたかな懐に抱かれているような思いで涙を流し帰宅しました。すると、その日「いいお店が見つかったよ」と息子からのうれしい報告がありました。

お陰さまで、昨年の四月に開店し、一周年を前に、テレビの「お取り寄せコーナー」にて紹介して頂きまして、今は皆さんに喜ばれております。これも一重に教化部で新生祈願と光のおとずれの広告を出し、祈って頂いているお陰です。

息子が自ら、天職と喜び携わらせて頂いておりますこと、嫁さんも息子に心を合わせて店を切り廻しております。私達夫婦の生まれ故郷であります信州の郷土料理のニラせんべいを、ナンの中に取り入れてのオリジナル製品がありますが、ご先祖さまが喜んでいる姿が浮かんで参ります。

十一月の、「日曜見真会」で” 喜びのメッセージ” を話しましたら、翌日から「七時半から開ると言って、嫁さんは早めに出掛ける毎日です。

息子達の開店と同時に、楽しみにしていた練成会にはなかなか参加出来なくなりましたが、日曜見真会や、先祖供養などには出来るだけ参加させて頂いております。

練成会に参加する度に、前進々々の兆しが現れること、又、日曜見真会、先祖供養祭等に心を向けさせて頂きますと、殊更に神の御加護を感じさせて頂けるこの頃でございます。「生長の家人」として加えられることが最高の幸せです。ありがとうございした。

再拝

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「主人の母へ感謝」  名取市 松村麻衣子さん

投稿日:2010年12月1日 カテゴリー:真理の証し 神性開発宮城練成会

平成22年11月13日(土) 神性開発宮城練成会「体験談」より

私は、今から15年位前に、主人の母から生長の家を伝えてもらいました。結婚後、当時は函館に住んでいました。主人はその頃、飛行機のパイロットの訓練生をしていまして、訓練に行き詰まった時期がありました。私は、そのことで母に困っているということで相談の電話をしました。母から、「生長の家があるから、行ってごらんなさい」と言われ、次の日、何も分からないまま函館の教化部に主人を連れて行き、教化部長先生に相談しました。すると、教化部長先生は主人に、「操縦桿に感謝してやってごらんなさい」とお話をして下さいました。

そして、主人は次の日からその通りやりましたら、「今まで何をしていたのか」と、教官に言われる位の変わりようで、全ての試験もうまく行き、飛行機のパイロットの試験に、全て合格しました。試験当日は、北海道は風が強く、珍しい位の良い天気に恵まれて試験を終えました。試験当時は、グループ会社の訓練コース入っていたので、そのまま普通に就職できるはずだったのですが、何故かそこから外れてしまい、就職浪人の時期がありました。その間2年位、試験に合格できなかった時期があり、私たちも生長の家から離れて、マイナスな生活が始まってしまっていました。

その頃、私の左目に影があり、近い所が見えない状態が出てきて、原因不明のまま眼科に行ったり、脳外科に行ったりしていました。病院に行っても原因がわからず、大学病院を紹介されて、大学病院に行ったところ、放置すると失明する可能性がある、脳腫瘍の疑いがある、など色々なことを言われ、死んでしまうかもしれないとも言われて、どうしようかと、主人と二人で落ち込んでいました。その時ふと生長の家を思い出し、その当時、函館教区から東京第二教区に移られていたのを思いだし、電話をしたら、「今、飛田給練成道場で、練成会が開かれているので、すぐ行きなさい」と言われ、翌日から、飛田給練成会に、10日間参加し、最終日が、ちょうど私の検査の日でしたので、道場から、精密検査をするために、大学病院に行きました。

精密検査の結果、何も異常が写らず、異常が見つかりませんでした。ただ、その後、「一時的に子供は授からない方が良いと」いうことを言われました。それから、私たちは夫婦で、生長の家の勉強を少しづつ始めました。そして、その年の飛田給道場で行われる(前総裁)谷口清超先生の御講演で、体験発表ということでお声をかけて戴きました。主人は、「俺は就職していないし、収入もない。本当に話していいのかなあ」という感じだったのですが、主人は素直に体験談をさせて戴いて帰宅しましたら、一年以上前から求職していた航空会社から「採用試験合格」の手紙が届き、無事就職することになりました。求職期間中は色々な事がありましたが、今振り返ると、その時期も無駄ではなかったということを二人で話します。その後、私の症状にも問題はなく、無事に子供も授かることができました。小学二年生になる男の子で、今、野球少年として頑張っています。

一昨年には、私に生長の家を伝えてくれた母が他界しました。母は胃がんで亡くなりました。母は、余命三ヶ月だと言われていたのですが、それから一年八ヶ月生きることができました。私たちは名取市に住んでいて、実家が神奈川にあって、私は毎月病院と検査に行っていたので、(母を)こちらに連れてこれないかと、考えていました。母と同居した方が良いのか、など色々考えていました。色々な病院に電話をし、最後には名取の病院にたどり着きました。そして、往診もしてくれる良い先生を見つけ、家に母を三週間だけ連れて来ることができました。車いす付きでの輸送など、手配をしていたにも関わらず、母は座れない状態になりました。民間の救急車を手配し、寝たまま名取のわが家に連れて来ました。それでも、母は元気で「来年は一緒に出かけようね」などと話しは盛り上がり、母と最期の善い時間を過ごすことができました。先生から預かっていた薬も、一度も使うこともなく、安らかに母は亡くなりました。「まだまだ、色々なことをしてあげれば良かったのではないか」など思いましたが、母が安らかに最期を迎えられて、善かったと、主人は言ってくれました。

そして、私の子供にも「おばあちゃん」の人格の素晴らしさを、共に過ごすことで伝えられて良かったと思います。生長の家を教えてくれた母に、心から感謝しています。ありがとうございます。  再拝

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