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光のおとずれ 編集後記 令和元年5月

投稿日:2019年5月10日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 令和元年5月

★5/1いよいよ「令和」の御代が始まります。 新帝陛下は新たな時代にどのような希望を持たれ ているのでしょうか?今年2/23のお誕生日の ご会見で、ライフワークとしての「水」問題に触れ、 述べられたお言葉が印象的でした。「日本の変化に 富む豊かな国土は、同時に、自然災害、例えば台 風や豪雨、津波などの影響を受けやすいことから、 『水』問題への取組で得られた知見も、これからの 務めの中で、国民生活の安定と発展を願い、また、 防災・減災の重要性を考えていく上で、大切にい かしていきたいと思います」と、水問題による国 民生活の安定と発展に言及されたのでした。実は、 新帝陛下の水問題のご研究は既にライフワークの 域を超え、世界の水問題研究者や専門家のレベル に達しておられると言うことです。

 

★ 「一本の杭に記されし道の名に我学問の道はは じまる」平成10年の歌会始で詠まれた御製です。 「道」へのご関心は学習院大時代の中世の瀬戸内海 の海上交通についてのご研究、オックスフォード 大での18世紀のテムズ川の水上交通のご研究な ど「水の道」へと発展し、世界の水問題にまで取 り組まれるようになりました。陛下は「世界水フ ォーラム」などの国際会議で11回にわたってご 講演され、その内容は世界の研究者も驚くほどの 知見と示唆に富んだものだと言います。「視点の時 間軸が長く、話しの組み立てが抜群。だから世界 の聴衆の感情に訴える。われわれ学者は及ばない。 脱帽です」( 東京大学名誉教授・小池俊雄氏)

 

★平成30年3月、「第8回世界水フォーラム」で の基調講演にその片鱗を伺うことができました。 アマゾン川流域に降る大量の降雨は土壌のリンを 海洋に流出させ、生態系の維持に必要なリンが枯 渇してしまうはずなのに、アマゾン川流域の肥沃 な土壌が維持されているのは何故か?何とアフリ カのサハラからリンを含む大量の砂が大気の大循 環に乗って、大西洋を渡って南米大陸に降り注い でいるからとのことでした。陛下のご講演で、地 球規模の壮大な大気循環、水循環の全体像が描き 出され、地球全体の生命圏を形作っていることが 明らかになったのです。そして最後に、「21世紀 は水の世紀であると言われますが、その言葉が一 つ進み、21世紀は水による繁栄、平和そして幸 福の世紀であったと後世の人々に呼ばれることと なるよう願っています」と結ばれたのでした。新 帝陛下が水問題を通して、日本と世界の平和と繁 栄に貢献されようとしているお姿に、環境問題を 通して自然との調和を目指す生長の家との共通点 を感じ大変嬉しく思った次第です。「令和」の御代 は、自然と人間に幸福をもたらす「調和」の時代 となることでしょう。私達も「21世紀が生長の 家によって、繁栄と平和と幸福の世紀であった」と、 後世の人々から喜ばれるように6/9( 日) の講習 会を大盛会にして参りましょう。

 

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光のおとずれ 編集後記 2019年4月

投稿日:2019年4月2日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 2019年4月

★その人の価値は死んだ後にわかると言われます が、伊藤一郎さんの通夜に参列し、改めて一郎さ んが如何に多くの方々から愛されていたかを感じ ました。わが家の庭の剪定が縁で、一郎さんにお 茶出しをしていた家内も参列しましたが、驚いた のは佐藤佳樹会長の奧様も参列されていたことで す。これまで生長の家の行事には顔を見せたこと のない奥様が来られていました。佳樹会長の庭も 一郎さんが手がけた関係だと思いますが、それに しても葬儀に顔を出すのは余程一郎さんの人柄が 愛されていた証拠です。長女さんのご挨拶で、一 郎さんがとても優しくユニークな性格で、孫と会 う時はいつもサプライズを用意してくれていたと 話されていましたが、老若男女、性別、年代を問 わず誰にでも気さくに接してくれたのが一郎さん でした。小生も年齢的には9歳も年下でしたが、 互いに長男で嫁姑の問題も共通していたことから「 長男会」を結成し親しくさせてもらっていました。

 

★とにかく枠に囚われない性格で、宮城練成会で はラフターヨガを取り入れた笑いの練習が得意で、 いつも練成員や運営委員の殻を破ってくれました。 仙台のジャズフェスをこよなく愛し毎年聞きに行 っていましたが、本人がカラオケで歌っていたの は「刃傷松の廊下」でした。それも全く音程を無 視した歌で、いつも腹を抱えて笑ったことを思い 出します。型にはまらない性格のため職業は何度 も替わり、わが家にも24 時間風呂のセールスに来 たかと思ったら、次に合ったときには別の仕事に 変わっていました。それでも天性の楽天的な性格 が功を奏し、遂に天職となる庭師の仕事に出会う ことができたのです。どんなに暑くても寒くても 木と向き合い、黙々と剪定している姿は本当に活 き活きとしていました。剪定された松はとてもか っこよく庭木は蘇りました。一郎さんは誰よりも 長生きするものと思っていただけに、あっと言う 間の卒業に驚きました。狭い肉体の現象生活は窮 屈だったのかもしれません。これからは魂の自由 を得て、自由自在に顕幽を往来し愛する子や孫を 守り、生長の家の人類光明化運動を導いて下さい。 特に6/9は講習会です。一郎さん。どうか霊界 の諸先輩がたと講習会を応援してください。生前 のご活躍に心より感謝申し上げます。

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光のおとずれ 編集後記 平成31年3月

投稿日:2019年2月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成31年3月

★ 「贈られしひまわりの種は生え揃ひ葉を広げゆ く初夏の光に」。今年の歌会始で詠まれた天皇陛下 の御製です。このひまわりの種は、阪神・淡路大 震災で犠牲になった加藤はるかさん( 当時11歳) の自宅跡に半年後の夏に咲いたひまわりが、「はる かのひまわり」と名付けられ復興と鎮魂のシンボ ルとして全国にその種が配られたものです。両陛 下も平成17年に阪神・淡路大震災十周年追悼式 典のため神戸を訪問された際、遺族代表からその 種を贈られました。両陛下は御所の庭に種をまき、 毎年ひまわりを観賞し咲き終わると種を採取して 再び種をまいていたのです。被災地を忘れること なく被災者に心を寄せられ続けてこられたのが天 皇皇后両陛下でした。東日本大震災直後の3月 16日、未曾有の大震災に際し天皇陛下は「国民 一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも 長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復 興の道のりを見守り続けていくことを心より願っ ています」とのお言葉を述べられました。あれか ら8年目の3/11を迎えようとしています。教 化部では「東日本大震災物故者追悼八周年慰霊祭」 を開催致します。被災した方々のご冥福を心から お祈りし、「神・自然・人間の大調和した世界」の 実現を誓う日にしたいと念願する次第です。

 

★東日本大震災の時に復興の合い言葉となったの が「絆」でした。千年に一度と言われた大震災は、 死者・行方不明者数で戦後最大の犠牲者を出しま した。反面、被災者同士が励まし合い、助け合い、 秩序を守り、協力し合っている姿は世界の賞賛を 呼び、勇気と感動を与えたのでした。その震災で 母娘の「絆」を取り戻したのが松田あゆみ職員で した。母文江さんが講習会で話した体験談です。「 この大震災のあと、私には喜びばかりがつながり ます。娘のこともそうです。解雇になって戻って きてからだんだんに二人の間に築き上がっていた 高い壁は日毎に低くなっていき会話もその辺の母 娘の会話に似てきてどんどん和やかになり、娘の 口から『おかあさん!』って自然に出るようにな っていたことにふと気づき、目のあたりが熱くな ってしまった私でした。日に日に柔らかくなって ゆく娘の言葉や態度に、改めて私が変わらなけれ ばならなかったことを思い知りました。」その娘は、 その後教化部職員となり、宮城の光明化運動に活 躍することになり、事務局次長として宮城の将来 を担う人材に成長しました。ところが、そのあゆ み次長がこの度国際本部に奉職することになりま した。しかも3/1からです。吾々にとっては断 腸の思いですが、立教90年の記念すべき日に奉 職するのはやはり神縁としか言いようがありませ ん。あゆみ次長には「今起て! 」の立教の精神を 忘れずに、これからは本部職員として更に成長し てくれることを心から念願する次第です。フレー フレーあゆみ!ガンバレガンバレあゆみ!

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光のおとずれ 編集後記 平成31年2月

投稿日:2019年2月1日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成31年2月

★ 1/13 に開催された「新年祝賀式」で、齋藤貴之生教会会長が話した新年の挨拶が印象的でした。 息子さんが中学校で卓球部に入ったそうですが、 なかなか上手くなれず顧問の先生にも「へたくそ」 と言われたので、練習用具を買って練習させたそ うです。練習中にも度々「できない」と言うのを 聞いて、練習は内なる無限力を引き出すためにするので「できない」と言わずにやり続けたらきっと上手くなると励まして親子で練習を続けたそうです。その内に息子さんも「できない」と言わな くなり、先日行われたダブルスの試合に出場して、 何と準決勝まで勝ち進み、顧問の先生からも「上手くなった」とほめられたとのことでした。「できない」で思い出されたのが『真理の吟唱』の「至福無限を喚び出す祈り」です。

「私たちは今後、決して『できない』ということを言わないのである。 『できない』のは『できない』のではない、『しない』のである。私は今より『できない』精神を棄てたのである。私はできるのである。不可能はないの である。」

息子さんも今回の体験を通して「できない」精神を棄て、きっとこれからは何事も「やれ ばできる」精神を身に付けたのではないかと嬉しく思った次第です。いよいよ講習会の推進が始まりました。私達も「できない」とは言わず「やればできる」の精神で、内なる無限力を発揮して講習会の推進に頑張りましょう。

 

★ 2/11 は建国記念の日です。初代神武天皇が橿原の地で即位され、わが国を建国されてから今年で 2679 年になります。もちろん現存する世界最古の国であり、初代神武天皇より今上陛下まで、125 代 にわたって連綿と皇位が継承されてました。古事記や日本書紀を作り話として建国の歴史を否定す る人々もいますが、その古事記や日本書紀の神話を護ってこられたのが他ならぬ天皇様でした。天皇様の皇位継承の御印は何か。「三種の神器」です。 「八咫鏡( やたのかがみ)」「草薙剣(くさなぎのつ るぎ)」「八坂瓊曲玉( やさかにのまがたま)」。いずれも天照大御神が天孫・瓊瓊杵尊に授けられた 物で、それを現実に歴代の天皇様は継承されてきたのです。5/1 皇太子殿下が新天皇に即位されるときに最初にする「剣璽等承継の儀」は、まさにそ のための儀式なのです。又、11/14 夜から11/15 朝 にかけて行われる「大嘗祭( だいじょうさい)」は、 皇位継承に伴う一世一度の重要な儀式ですが、天皇様自ら天照大御神に新穀をお供えになると共に、 お召し上がりになられ「天皇が神と一体になられる儀式」です。まさに神話由来の古代の儀式をそ のままに現代に再現する、「神代の風儀をうつす ( 一条兼良)」儀式が大嘗祭であり、それを2千年 にわたって続けてきたのが日本のご皇室なのです。 6/9 の講習会は「御代替わり」を迎えて最初の歴史 的講習会と言えます。是非大勢の皆様を集めて講 習会を大成功に致しましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成31年1月

投稿日:2018年12月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成31年1月

★新年明けましておめでとうございます。
平成31年 を寿ぎ皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

平成30年の世相を表す「今年の漢字」は”災”でし た。西日本豪雨や北海道胆振東部地震など、災害の多 い年だったことが理由のようです。今年は是非とも”災” 転じて”福”となす年にしたいものです。

毎月の普及 誌に掲載されている「生長の家インフォメーション」 には、「悪現象( 会社のリストラ・夫婦の不調和・病 気など) には、これまでの自分の生き方を方向転換す べきことを教えてくれる”チャンス”であるという光 明面があるのです。」と書かれています。私事で恐縮 ですが、昨年の11月、母が食欲不振で一ヶ月間入院 するという出来事がありました。食欲旺盛だった母が 全く食べなくなり、毎日寝てる姿に心配になり病院で 診察してもらった結果、お腹に炎症が見つかり入院治 療することになりました。練成会の「祈り合いの神想 観」で母の実相顕現を祈ってもらった時、母の病気の 原因が自分にあったことに気づかされました。自分の 愛情不足、表現不足が原因だったことに気づき、心か ら懺悔してそれから母と会話をするようにしました。 その直後の入院だったので、一ヶ月間毎日お見舞いに 行き1~2時間母と会話をするようにしました。その 間、聖経十巻読誦や「祈り隊」の皆様からも、母の実 相顕現を祈願して頂きました。病院に行くたびに母が、 「( 病気で入院していても) 痛くもない、苦しくもない、 眠れるのは本当に有難い。これも皆さんが祈ってくれ ているお陰だね。祈りの力は凄いね」と、大変感謝し ていました。お陰様で全ての数値が平常に戻り、食欲 も回復して無事退院することができました。その意味 で、母の入院は家族や兄弟にとっては心配事でしたが、 小生にとってはまさに自分の生き方を方向転換すべき ことを教えてくれる”チャンス”となったのです。

 

★災害と言えば、今から232年前の天明7年(1787) に「天明の大飢饉」が起こりました。全国的に凶作に 見舞われ数万人が餓死、百万人近い人々が疫病で亡く なりました。人々は京都所司代や京都町奉行所に嘆願 しましたが幕府は効果的な救済策を出さず、江戸や大 坂では一揆や打ち壊しが頻発しました。幕府に落胆し た人々は天皇に救済を求め、御所の周りを回るように なります。これは「御所千度参り」と称されました。 きっかけは天明7年6月初め頃に京都市中の所々に張 られた札で、豊作を願うため御所へ千度参りしようと 呼びかける内容だったのです。初めは10人、20 人だったのが、全国からも参拝者が増え日によっては 3万人、最高では7万人に達したと言います。時の天 皇は第119代光格天皇です。光格天皇はすぐさま京 都所司代に使者を派遣し、幕府に窮民救済を講じるよ う申し入れました。朝廷が幕府に指示を出されるのは 異例のことでしたが、幕府はこれを受けて千石の救い 米による救済措置を講じたのです。その際詠まれた御 製が、「みのかひは何いのるべき朝な夕な民安かれと 祈るばかりぞ」です。朝夕に祈るはただ万民の幸せだ けだという歌です。光格天皇もまた国民を慈しまれま した。人々の祈りが光格天皇を動かし、異例とも言え る幕府に対する「窮民救済勅書」となり、救い米とな って多くの命を救うことになりました。”災”を転じて “福”となしたのは、まさに人々の”祈り”であり天皇 の”祈り”でした。平成31年元旦には教化部で「元 旦神想観始め」があります。平成最後の「元旦神想観 始め」に参加して、今上陛下の「四方拝」に併せ国家 国民の幸福と世界平和の実相顕現を祈り、今年は”災” ではなく”福”となす一年に致しましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成30年12月

投稿日:2018年11月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成30年12月

★11/8の産経新聞の1面は、米国の中間選挙結果 に憮然とした表情のトランプ大統領と、歓喜している 民主党支持者の写真が掲載されていました。上院は共和党が勝利し下院は民主党が勝利したのです。米議会は完全にねじれ状態となり国民の半数は大統領にNOを突き付けたと言えるでしょう。翌日の1面は平成最後の園遊会の記事でした。そこには天皇皇后両陛下が 一つの傘を差しながら、笑顔で招待者を回られている姿が掲載されていました。あいにくの雨で天皇皇后両 陛下も濡れながらも、着物姿で臨まれた車イスの平昌 パラリンピックアルペンスキー金メダリスト村岡桃佳さんに、「おぬれになって大丈夫ですか」と気遣いのお言葉をかけられました。招待者には五輪メダリストや時の人ばかりではなく、農家や看護師、ボランティ アなど、その道一筋で地域社会に貢献している人達もたくさん招待されています。事前に招待者の説明を受 けているとは言え、両陛下はそのような名も無き民へ のお心遣いも決して忘れることはありません。

 

★今年の春の園遊会。両陛下は、東京都昭島市で元受刑者を雇ってダイレクトメールの封入を請け負う会社を営む、渡辺道代さんの前で足を止めました。渡辺さんに向かって、天皇陛下は「何年やっていますか」、皇后様は「状況はいかがですか」と声をかけられました。 渡辺さんは1987 年に会社を立ち上げた頃、従業員の女性から「実は夫が服役しているんですが、私はここにずっと居ていいですか」と涙ながらに打ち明けられ、 罪を犯した人に対する社会の厳しさを実感し、更生を目指す人を雇い始めたといいます。皇后様は渡辺さんの夫にも「これからも奥さまを支えてくださいね」と言葉をかけられました。渡辺さんは「有名人でもない 私にまで声をかけてくださった。ご関心の幅の広さに驚き、励みになりました」と大変感激されていました。

 

★福沢諭吉は『帝室論』の中で次のように述べています。

「我帝室(皇室) は人民の精神を収攬するの中心なり。 其功徳至大なりと云う可し。国会の政府は二様の政党相争ふて、日の如く水の如く、盛夏の如く厳寒の如くならんと雖ども、帝室は独り万年の春にして、人民こ れを仰げば悠然として和気を催ふす可し。国会の政府 より頒布する法令は、其冷なること水の如く、其情の 薄きこと紙の如くなりと雖ども、帝室の御徳は其甘きこと飴の如くして、人民これを仰げば以て其慍( いかり) を解く可し。」

日本は国の中心に世俗を超えた存 在として御皇室があり、国民の父母の如き慈愛に満ち た天皇皇后両陛下がいらっしゃいます。それがどんな に有難くまた希有なことなのか。大統領と国民が対立し国論が二分する極寒の如き米国と、皇室と国民が談笑し和気を催ふす万年の春の如き日本の姿に、改めて2千年の「歴史と伝統の国・日本」の素晴らしさを実 感した次第です。来年5/1に御即位される皇太子殿 下は、今年2/23のお誕生日に

「象徴天皇、そして 公務の在り方については、…国民と苦楽を共にしなが ら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、そ の望ましい在り方を求め続けるということが大切であ ると思います」

と、”国民と苦楽を共に”し”国民の幸せを祈る”ご皇室の伝統を今後も継承していきたいと 述べられました。国家の中心者が日々国民の幸せを祈られる国・日本。12/23は平成最後の「天皇誕生 日」です。「祈りの国・日本」に生まれた喜びを心から噛みしめ、御在位30年を迎えた天皇陛下に心から 感謝申し上げ、御皇室の弥栄と聖寿の万歳をご祈念致 しましょう。今年一年のご愛読に心から感謝申し上げ ます。どうぞ良い年をお迎えください。

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光のおとずれ 編集後記 平成30年11月

投稿日:2018年11月6日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成30年11月

★10/13( 土) の「生長の家宮城自然の恵みフェ スタ2018」は、神様に祝福された本当に万事好都合のフェスタとなりました。まず一つ目は教化部長が 無事に参加できたことです。直前に不慮の事故で左手首を骨折。10/9( 火) に手術、10/11( 木) に 退院して10/12( 金) の準備、13日当日の本番に間に合うことができたのです。まさに神業、神計らいでした。二つ目は天候です。前日は雨や風の天気でしたが、当日は本当に秋晴れの風一つ無い爽やかな好天に恵まれました。それでオープニングセレモニーも予定どおり外の駐車場で実施することができたのです。 三つ目は、来賓に安久地区の町内会長さんにお越し頂 きご挨拶を頂戴したことです。当初は町内の別のイベ ントがあるので午後に来られるとのことでした。それが急に午後に仕事が入ったため午前の開会から来て下さることになったのです。町内会長さんが生長の家のイベントに参加し挨拶までして頂いたのは、小生の記憶ではこれが初めてでした。お陰でオープニングから盛り上がることができました。又、11月の宮城練成会から3日目の行事に「クリーンウォーキング」を実 施することになりましたが、五者会議で事前に町内会 に連絡してその事を伝えておいた方が良いということ になっていました。その件もその場で佐藤佳樹会長から町内会長さんに話しをして頂き快諾して頂くことが できたのです。まさに万事好都合の展開となりました。

 

★四つ目は駐車場です。いつも使用している臨時駐車場が、10月一杯道路工事の車両が使用することに なり3分の1しか使えないことになりました。昨年も 40台入れて目一杯だったので、今年はどうするか頭を悩ませていたところへのまさかの臨時駐車場縮小の 話しです。困った末に神想観で思い出したのが臨時駐車場のオーナーが以前話していた、近くに弟さんの空き地があるという話しでした。早速オーナーさんに連 絡をしたところ、弟さんと親戚に連絡をしてくれ近所の空き地を2ヵ所貸してくださることになったのです。 万歳!万歳!お陰で当日は3ヵ所の臨時駐車場を使うことができたのです。終了後駐車場係の白鳥チーフに聞いたところ、全て満車になったが無事収容すること ができたということでした。本当に神計らいでした。 五つ目は教化部がお付き合いしている証券会社の営業 マンが参加してくれたことです。何が万事好都合かと言うと、今回の参加は単なるお付き合いで参加したということではないからです。たまたま仕事の話しをし ていた時にフェスタの話しになり、自転車の展示をすることを話したのです。そしたら彼の目が輝き、実は今年東京から仙台に転勤になって、身体を鍛えるため にマウンテンバイクで夜この辺を走っているというのです。仙台駅前から太白大橋を通って名取まで走って いるということでした。だから、生長の家では今環境のために自転車を奨励している話しやSNI 自転車部を作って自転車のミニイベントを開催している話しをしたのです。そしたら是非自分も参加したいと言いだし、 本当に当日マウンテンバイクで来てくれたのです。ノ ーミート料理もおいしい!おいしい!と連発するので、 生長の家が何故今ノーミート料理を奨励しているかを話し、単身赴任だというので『食卓にノーミート料理を』 のレシピ本を勧めたら、これなら作れそうだと言って買ってくれたのです。最後まで参加してすっかり生長の家に溶け込んでいました。フェスタが無ければ生長の家の話をすることはなかったので万事好都合でした。 今年も実りの秋に相応しい、実り多いフェスタとなりましたことを心より感謝申し上げます。

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光のおとずれ 編集後記 平成30年10月

投稿日:2018年10月5日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成30年10月

★9/17は”敬老の日”でした。厚労省の発表に よると平成2 9 年の日本人の平均寿命は、男性が 81.09歳、女性が87.26歳で、いずれも過去 最高を更新したとのことでした。男性は世界3位、 女性は世界2位の長寿国となりました。平均寿命= 健康寿命であれば本当に喜ばしい事ですが、現状は 決して手放しで喜んでばかりはいられないようで す。何故なら、平成27年度( 直近) の国民医療費は 42兆3,644億円。国家予算の4割に相当する金 額が医療費だということです。65歳以上だけでは 25兆1,276億円と全体の約6割を占めます。まさ に医療と介護に支えられた長寿国といえそうです。

 

★この増え続ける医療費に対して、病気の3分の1は 生活習慣の改善によって減らすことができる。医療費 は10兆円削減できると提唱しているのが、国立がん センターの疫学部長を務め、現在は公益社団法人生命科学振興会理事長を務めている渡邊昌( わたなべ・し ょう) 医師です。渡邊医師は疫学部長時代に糖尿病を患います。53歳の働き盛り、多忙な日々と不摂生が 原因でした。担当医師からは薬で血糖値を下げることを勧められましたが、日頃から生活習慣改善による病気予防を説いている関係上、安易に薬に頼る訳にはい かないと「食事と運動」で糖尿病の克服を決意します。 食事はそれまでの欧米型食生活から、玄米菜食を中心とした和食に切り替え、朝・昼・晩30分ずつかけて、 ゆっくりと、よく噛んで食べる。その合間に仕事をす るというライフスタイルに変えました。運動は通勤のひと駅を徒歩にして、病院内をこまめに歩き、毎日 1万歩を持続したのです。その結果、1年後には13 ㎏痩せることに成功し血糖は正常値に戻ります。それと共に、肩こりや足の疲れ、水虫などたくさんあった 身体の不調もすっかり解消してしまったのです。しか も、その後はマラソンを始め、国内の大会だけでなくホノルルマラソンにも挑戦し4回も完走しました。糖 尿病を宣告された当時は肥満状態でしたが、食事と運動を中心とするライフスタイルに切り替えたことで、 精神的にも肉体的にも元気になったと言います。その後東京農業大学に移り、農学、栄養学、食養生を学ぶ ことで患者の「体」だけを見る既存の西洋医学から、 患者の「食・心・体」を一体的全人的に見る統合医療 を目指すようになりました。

 

★ 「まごたちわやさしい」私の孫のことではありませ ん。渡邊医師が提唱するおかずです。豆、ごま、卵、乳類、 わかめなどの海草類、野菜、魚、しいたけなどのキノ コ類、いもの9種類の食品の頭文字を並べたものです。 玄米とみそ汁、おかずは「まごたちわやさしい」。普段からごはんとみそ汁を中心とする和食(できれば玄 米菜食)、および適度な運動( 1日1万歩) をする。 そうすれば生活習慣病( ガン・糖尿病・高血圧症・心 臓病・脳卒中) が予防でき、医療費の軽減につながると言います。「食」と「心」と「体」のバランスが生活習慣の改善に繋がるということです。その意味では、 現在生長の家が提唱している「オーガニック菜園部」「 クラフト倶楽部」「自転車部」の活動は、まさに「食」 を選び、「心」を豊にし、「体」を動かす、最高のライフスタイルと言えるのではないでしょうか。当月号で 紹介している各部のミニイベントは誰でも参加できま す。いつまでも若々しく健康な人生を全うするために、 皆様ふるってご参加ください。10/13( 土) の「 自然の恵みフェスタ2018」には各部の作品展示やノーミート料理もあります。お子さんやお孫さんと一 緒にご参加ください。お待ちしております。

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光のおとずれ 編集後記 平成30年9月

投稿日:2018年8月31日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成30年9月

★残暑お見舞い申し上げます。『写経のご案内』に、谷 口輝子先生著『人生の光と影』より抜粋した”写経のこころ”の一文があります。それによると弘仁9年 (818 年) の春、天下に悪病が大流行しました。防疫の方法もなく見る見る日本中に広がり死屍累々という悲惨な状態であったので、時の嵯峨天皇(第52 代) は弘法大師を召して悪病退散の方法を御下問になったそうです。大師は「陛下御みずから般若心経を御浄写なされ、私は陛下の驥尾に伏して御祈念申し上げます」と 奉答しました。嵯峨天皇は一字三礼(さんらい) の真心を尽くして御写経なされたところ、「未だ結願(けちがん) の言葉を吐かざるに蘇生の輩(やから) 途(みち) にたたずむ、夜変じて日光赫々(かくかく) た り」と、その霊験の素晴らしさを般若心経秘鍵の奥書きに書かれています。この嵯峨天皇の御宸筆(しんぴ つ) の般若心経は、現在も大覚寺(真言宗・京都) に 祀られているそうですが、谷口輝子先生はこの写経が恐らく日本における「写経祈願」の最初であり、その代表的なものと言うことができると書かれています。

 

★皇太子殿下は昨年2月23日のお誕生日の記者会見 で、一昨年8月に愛知県西尾市の岩瀬文庫をご訪問さ れた折に、後奈良天皇(第105 代) が洪水や天候不順による飢饉や疫病の流行により苦しむ人々のために、 諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰 (しんかん) 般若心経を拝見する機会に恵まれたと述べられました。災害や疫病の流行に対して、般若心経を写経して奉納された例は、平安時代の疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め、鎌倉時代の後嵯峨天皇 (第88 代)、伏見天皇(第92 代)、南北朝時代の北朝の後光厳天皇(北朝第4 代)、室町時代の後花園天皇(第102 代)、後土御門天皇(第103 代)、後柏原天皇(第104 代)、そして、今お話しした後奈良天皇などが 挙げられますと仰られ、次のように述べられました。「私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきた いと思います」と。来年5月1日、第126代天皇に 即位される皇太子殿下が、しっかりとご歴代の御事績と御足跡を学ばれ、「国民の幸福を祈り国民と苦楽を共にする」とのご皇室の伝統をきちんと受け継がれようとするお姿に、日本国の安泰を確信した次第です。

 

★ところで、嵯峨天皇が般若心経262文字を「一字 三礼」の真心込めて写経したら、何故疫病で苦しんで いた人々が病床から起ち上がり病から癒される奇跡が 起きたのでしょうか。やはり『写経のご案内』に谷口雅春先生が書かれていました。「一字一字、感謝の念 に心を集中しながら余念なく真理の言葉を写しながら、 その深いところへ這入って往くと、”人間・神の子、本 来無限力”という文字と自分のいのちとが一体になり、 人間無限力の意味が潜在意識の底の底まで自覚されるから、すべてがよくなるということになるわけであり ます。」現象は心の影。その心とは潜在意識であり、 日本国の命と一体である天皇陛下が、潜在意識の底の 底まで「物質無し・肉体無し・病無し」との般若心経の真言をご自覚なされた時、日本国中の病者が癒されたのは当然と言えるのではないでしょうか。その意味 で、一字一字真心込めた「大調和の神示」の写経祈願は、 神・自然・人間の大調和した世界を実現する力となり ます。9/27(木) の「大調和の神示祭」に向けて全会員が「大調和の神示」を浄写し奉納致しましょう。 吾祈れば天地応え吾動けば宇宙動く!

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光のおとずれ 編集後記 平成30年8月

投稿日:2018年8月11日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成30年8月

★嬉しい知らせがありました。石巻の仮設住宅で暮らしていた雄勝相愛会の生出信明会長が、この度家を新築され引っ越したとのことです。震災から7年4ヶ月。 この日をどれほど待ち焦がれていたことか。7/12には新築の家で誌友会が開催され、松田教化部長が「実相軸奉戴の祝詞」を誦げられたとのことでした。これでやっと東日本大震災にも区切りが付き、新たな一 歩を踏み出すことができるのではないでしょうか。これからの生出家のご多幸を心からお祈り申し上げます。

 

★月日と共に震災の痛手は忘れられ記憶から薄れていきます。しかし、被災地のことを片時も忘れずに心を 寄せ続けられているのが天皇皇后両陛下です。両陛下 は6/10、第69回全国植樹祭のために福島県南相馬市をご訪問になられましたが、植樹祭に先立つ9日にいわき市をご訪問になりました。いわき市は南相馬市から約80㎞も離れています。何故いわき市まで足を伸ばされたのか。いわき市には富岡町、双葉町、大熊町、浪江町から避難した約450人の人々が住んでいる復興公営住宅「北好間団地」があり、その被災者の方々のお見舞いに立ち寄られたのでした。11日には相馬市東日本大震災慰霊碑をご訪問されました。雨が降りしきる中、白菊の花束を供えられ、深々と頭を 下げられ犠牲者の霊を慰められました。その後、相馬市水産漁協共同利用施設をご訪問され、住民の避難誘導中に津波に巻き込まれて亡くなった消防団員の遺族とお会いになられています。両陛下から「( 息子さんは ) いっぱい人を助けて下さいましたね。本当にありが とう」というお言葉を頂いた消防団員の遺族・阿部洋子さんは、「優しい言葉をかけていただき、しっかり前を向いて生きたいと思いました。両陛下の言葉をい つまでも心に残して頑張っていきたいです」と涙なが らに話されました。10日の夜には感謝の「提灯奉迎 」が行われ、約1,400人の県民が相馬市の松川浦環 境公園に集まりました。「復興途上の大変な時にもか かわらず、大変多くの人に提灯で迎えて下さってあり がとう。この地も含め、福島の復興がさらに進んでい くことを願っています」との陛下のお言葉が紹介され、 雨天により肌寒い提灯奉迎でしたが、参加者の顔は本当に晴れやかだったとのことでした。内堀雅雄知事は、 「改めて両陛下の福島に対する思いの強さを感じた」 と記者会見で述べましたが、今回の両陛下の総移動距離が約280㎞にわたったことにも、福島に対する並々ならぬ思いを感じます。又、両陛下が御心を寄せ続け ておられることが被災者の大きな励みと支えになって いることを、今回の福島ご訪問は教えてくれました。

 

★今年6月9日銀婚式を迎えられた皇太子同妃両殿下が記者の質問にお答えになった中に、雅子妃殿下の次 のようなお言葉がありました。「特に、東日本大震災 をはじめとする様々な災害の被災地において、私たちは、人々が共に支え合うことの大切さを深く感じるとともに、困難な状況に置かれている方々の悲しみや苦しみに思いを寄せ、そのような方々の生活が少しでも良くなるようにと願ってまいりました。これから先、 復興が一歩一歩着実に進み、被災された方々に安心できる暮らしが一日も早く戻りますよう心から願いつつ、 被災地の今後に永く心を寄せていきたいと思います。」 “国民と苦楽を共にする “皇室の伝統は、確実に両殿下に受け継がれていることを実感した次第です。8/4は「先祖供養祭・盂蘭盆供養大祭霊牌奉送祭」があります。ご先祖様に感謝の聖経を誦げて”命のバトン ” をしっかりと受け継いで参りましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成30年7月

投稿日:2018年7月10日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成30年7月

★6/10(日) の「相愛会教区大会決起大会」で、 関東廣志講師が体験談を発表されました。昨年脳梗塞 で倒れ入院治療とリハビリでやっと健康を取り戻した 体験でした。入院中は「歩けない、しゃべれない、眠 れない、食べられない、吐き気がする」の後遺症で本当に苦しい毎日だったそうです。食べれば吐くし歩けば目眩がする。闘病中65㎏あった体重が48㎏まで激減したそうです。食べても地獄、食べなくとも地獄。 やり場のない苦しみはお医者さんや看護師さん、奧さんへの八つ当たりとなり、リハビリを勧められても動かない身体をどうやって動かすのかと反発していたそうです。そんな或る日、いつも見舞いに来てくれる奧さんの代わりに息子さんが見舞いに来ました。そして、 奧さんが来ない理由を息子さんから聞かされたのです。 「お父さんは生長の家の講師です。いつも人間は神の子で病気は無い、肉体は無いと説いている。それなのに今のお父さんはまるっきり病人で、食べられない、 歩けない、目眩がする吐き気がすると病気の症状ばかり訴えている。あれほど人間は神の子だと言っていな がら、あの言葉は嘘だったのか」と怒っていたと。そ れを聞いた関東さん。その奧さんの言葉に目覚めてリハビリをする決心をしたそうです。それから半年、補助具を使って立ち上がる訓練から一歩二歩と歩く練習を重ねて、遂に自力で歩けるようになり、自動車の免 許も更新して脳梗塞の後遺症から復活を遂げることが できました。『新版真理』第10巻P251 に、「神は愛する子の能力を鍛えるために、或る期間困難の『場』に置くことがある。現在の困難は却って潜在的な勝利の確保だとも言うことが出来るのである。だから常に勇 気を失ってはならない。現在の困難をつぶやいてはならない。明るい心を失ってはならない。自己を常に『神 の子・無限力』と念じて祝福せよ。」とありますが、 今回の体験を通して、関東講師は更に本物の講師へとレベルアップしたのではないかと思った次第です。

 

★関東講師の話を聞いて大野勝彦さんを思い出しまし た。大野さんは45歳の時に農機具に両手を挟み失い ます。しかし、その後両手に義手を付けて筆を持ち、 絵や書を描いてその作品が見る人達に感動と勇気を与えるようになり、講演で全国を飛び歩くような有名人 になりました。その大野さんに「プレゼント」という詩があります。「神さま誕生日のプレゼントに一日だ け両手を返してくれませんか。この事故で心配かけた人辛い思いをかけた人の手を心をこめて握りたいのです。そのぬくもりを大切に心の中にしまいたいのです。 子供達の手をいつ握ったろうか。思いだせない。一日 だけつけてもらったらしっかりにぎりしめ父親の手のぬくもりを教えたい。そして子供達の手の感触をもう一度だけ覚えさせて下さい。先祖の仏壇に心の中だけではなくて生きていますと手を合わせたいのです。」 関東講師にとって、歩けること、しゃべれること、眠 れること、食べられること、吐き気がしないことはそれだけで最高の幸せでした。大野さんにとって両手があることはそれだけで毎日が天国だったはずです。手がある足がある目がある耳がある。歩ける話せる食べられる眠れる。夫がいる妻がいる子供がいる孫がいる。 家がある家族がいる職場がある。なんと多くの幸せを与えてもらっていたことか。「ある」ものに目を向ける”日時計主義の生き方”の大切さを、改めて気づか せてもらった次第です。7/8(日) は「相愛会教区大会」、7/25(水) は「白鳩会女性のための講演会 」です。多くの方々をお誘い致しましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成30年6月

投稿日:2018年6月5日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成30年6月

◆間もなく「谷口雅春大聖師33年祭」を迎えます。 谷口雅春著作集第1巻、『光明法語』のはしがきに次のようなことが書かれています。発刊に当たって編集者から谷口雅春先生に、はしがきを書いてほしいとの依頼があり、その案の書き出しが「私が運動の第一線から退いて長崎の風光明媚な大村湾に面した公邸に移り住んでから約10年になる…」と書かれていたそうです。 それに対して雅春先生は、「私が長崎に移転したのは決して運動の第一線から退くためではなかった。第一 線より更に奥深く現象界の前線よりも一層深く現象以前の世界と交通するためであった。」更に「正直に謂うならば、私は此の地に移り住んでも風光明媚な大村 湾をまだ一度も見たことがないのである。」と書かれ ています。まさにそのとおりでした。雅春先生、輝子先生が龍宮住吉本宮建立の陣頭指揮をとるために、住み慣れた東京を離れ、長崎に移転されたのは昭和50年1月13日のことです。雅春先生82歳、輝子先生79歳の時でした。輝子先生はこの「13日」を「出発の日である」と言われました。関東大震災で被災し富山の実家に旅立ち、新たな生活を出発したのが大正12年9月13日。雅春先生が「今起て! 」の神啓を受けられて、『生長の家』誌を創刊されることになっ た日が昭和4年12月13日。そして、長崎に出発さ れたのも同じく「13日」なのです。まさに新しき生 活への出発の日であり、輝子先生はその日のことを「 80代の青年もこれからの人生である。大いなる理想 を抱いて、いよいよ前進しよう。あとには20代30代の青年がつづいて来る」(『光を見つめて』P37) と、 その日の高揚したお気持ちを綴られています。

 

★谷口雅春先生は龍宮住吉本宮建立の意義を次のよう に述べられました。「龍宮から住之江大神の御神威の出現を願って、この世界を浄化して頂いて、天照大御神の御光を六合に照り徹らして頂く道を開いて頂き、 日本国家を千万年安泰にする霊的礎を築くために建立する住吉本宮であって、吾々個人が御利益を貰うため に拝むとかいう、そんなお宮ではないのです。端的にいえば、鎮護国家を目的とするお宮であって住吉大神の御出御をお願いするための社である。それが”龍宮住吉本宮”である。」(『生長の火をかざして』P68) そして、昭和53年11月21日、谷口雅春先生が斎主となられ、自ら龍宮界に下り給い、龍宮の大神たる住吉大神を勧請されて、龍宮住吉本宮に大神を顕斎し給い、ついに龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕斎殿が落慶することになったのです。雅春先生85歳の秋のことでした。その後、昭和56年11月21日に、伊邪那美大神を御祭神として霊界を浄化する「龍宮住吉霊宮」が建立され、ここに顕幽両界兼ね備えて住み吉しの極楽世界を成就するお社が完成することになったの です。昭和57年9月には、世界の宗教がその本来の目的たる人類の行く手を照らす光となるために、「七つの燈台」が建立されました。雅春先生御年89歳の ことでした。そして、昭和60年6月17日、午前7時53分、神様の使命を全て果たされたかのように、 雅春先生は満91歳の天寿を全うされました。最後の最期まで神様の御使命に生きた谷口雅春先生。生長の家総本山は谷口雅春先生ご夫妻が、鎮護国家、世界平和、 人類光明化のために、運動の第一線に立たれて神様からの最後の大使命を果たされた地なのです。その総本山で、6月17日に「谷口雅春大聖師33年祭」が 執り行われます。宮城からも多くの皆様の「団体参拝練成会」へのご参加をお待ちしております。

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光のおとずれ 編集後記 平成30年5月

投稿日:2018年4月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成30年5月

★今年は桜の開花が例年よりも早く、仙台では既に満開に咲いています。今日4/7は、鈴木直人君と冨永由梨子さんの結婚式が仙台の愛宕神社で行われました。直人君は平成18年9月に宮城県教化部に奉職し、 8年間勤務してくださいました。その間青年会の事務局長や光実議長を歴任し、青年会活動に頑張ってくれたのです。奉職当初はスリムで八木山の自宅から自転 車で通っていた精悍な直人君が、いつの頃からか体重100キロの巨漢となっていました。ただの食べ過ぎ かと思っていましたがそうではあませんでした。食 生活も日常生活も狂い始めていたのです。自律神経も 麻痺し体感の調整もできなくなり夏でも毛糸のセータ ーを着ていたり、机の上も書類の山となりどこに何が あるのかわからない状態になっていました。何度か宇 治の練成会にも参加しましたが良くならず、病院へも 通うようになりました。最後は入院して薬の治療に頼 らなければならない状況に追い詰められたとき、この ままでは駄目になるとの思いから当時の髙坂教化部長とも相談して、教化部を退職して「背水の陣」を敷い て宇治の練成会を受けることを勧めました。誰よりも 一番苦しんでいたのが本人でしたので、宇治行きを納得してくれ、平成26年8月宇治に旅立ったのでした。

 

★平成28年4月。その日も桜が満開でした。直人君 から嬉しい便りが届いたのです。「お久しぶりです。 宇治に来て約1年半になりました。毎日慌ただしく色々 なことがありますが、毎日道場生活をさせていただい て、一所懸命働いて、沢山勉強しています。食堂でも色々 と仕事を任されるようになり、僕が料理を担当する機 会も増えてきました。練成部の一員としても、より素 晴らしい練成会を開催するために、仲間と共に祈って アイディアを出し合い、一所懸命頑張っています」そこには自分の居場所を見つけて、イキイキと働いてい る直人君の姿がありました。その後、里帰りのたびに 教化部にも顔を出してくれるようになり、その度に身体も心もスリムになっていくようでした。その直人君 が昨年、何と清楚で素敵な女性を連れて来たのです。 その女性が冨永由梨子さんでした。同じく宇治で練成 部に所属し図書や受付を担当されているとのことでし た。誰もが皆こんな日が来るなど予想だにしなかった だけに本当に驚きましたが、心からわが事のように喜 びました。そして今年、目出度く結婚式を挙げたのです。 満開に咲いた桜を見ながら、直人君は私達に病の姿を見せながら、人間は神の子で完全円満なんだ!病気は 無いんだ!現象は無いんだ!一陽来復の春は必ず来る んだ!ということを身を以て教えてくれたのではないかと思われてなりませんでした。人生の春。二人の前途に幸あれと心からエールを送った次第です。

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光のおとずれ 編集後記 平成30年4月

投稿日:2018年3月31日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成30年4月

★3月、4月は卒業式や入学式のシーズン。皆様のお子さん、お孫さんにも対象の方はいるのではないでしょうか。
小生も子供達の卒業式、入学式には欠かさず 出席したことを思い出します。
その時いつも気になっ たのは「君が代」の斉唱でした。式典では必ず国歌斉唱があるのですが、生徒達も先生も父兄も蚊の鳴くような声でほとんど歌わないのです。
必然小生だけの声が目立つので、いつも家内に「声が大きい! 」と注意されていました。子供達は小中高の学校教育を通して、 「君が代」を大きな声で歌う練習をすることが無いため、大人になっても歌うのが恥ずかしくて歌えないようになるのです。
しかし、そんな国は日本だけであり、 世界中のどの国の国民も大人から子供まで、自国の国歌は堂々と誇らしげに歌っています。
サッカーでも野球でも、日本チームの選手は国歌を歌わず、対戦相手の選手達が胸を張って国歌を歌っている、そんな光景を目にするたびに残念であり羨ましく感じていました。

 

★そんな中、とても感動したのが平昌五輪での羽生結弦選手でした。ご存知のように、仙台市出身の羽生選 手は、昨年11月のNHK杯で右足首を負傷し、直前まで練習ができないというプレッシャーの中、見事に金メダルを獲得しました。
アナウンサーが「異次元の滑り」と表現しましたが、まさに王者の滑りでした。 しかし、もっと感動したのはメダルセレモニーの時です。
羽生選手は掲揚される国旗に向かい、大きな声で 「君が代」を歌っていたのです。はっきりとした声で 誇らしげに歌っていました。
この姿は多くの感動を呼び、ネット上でもたくさんの書き込みがありました。「 見事に君が代を歌いきった羽生選手、ありがとう! 」「 オリンピックで聴く君が代最高だ」「平昌の一番高い所に日の丸がしかも金銀フィニッシュで2つもあがって 君が代聞けて幸せだった 」「セレモニーで君が代を熱唱してる姿に涙が止まりません」「君が代がこんなに素 晴らしい国歌だって改めて思います」等々。誰でも日本国民である以上、金メダリストがメダルセレモニー で国歌もまともに歌えない姿を見るのは、恥ずかしいし悲しいのではないでしょうか。
その意味で、平昌五輪という国際舞台で「君が代」を堂々と歌う羽生選手の姿に、小生はもちろん多くの国民が感動したのです

 

★国歌斉唱と言えば3年前のラグビーW杯を思い出し ます。 日本代表が強豪南アフリカを破る歴史的快挙を 遂げました。その試合の前に、日本代表はスクラムを 組んで「君が代」を大きな声で歌ったのです。
日本代 表は31人中10人が外国人選手でした。しかし、全 員が声を揃えて「君が代」を歌いました。主将のリーチ・ マイケル選手が、試合前の合宿中に歌詞をローマ字で 書き、英訳して歌詞の内容も理解して歌えるように練 習したのです。
その「君が代」の熱唱で、選手の心が一つになり日本代表は桜のマークを背負って戦い、見 事強豪南アフリカに勝利しました。2019年は日本でラグビーW杯が開催されます。そして、2020年には東京五輪が開催されます。
世界が注目するのはメダルの数だけではないはずです。国歌を堂々と歌える日本人選手達、卒業式や入学式でも恥ずかしがらずに 「君が代」を歌える子供達、日本もそんな当たり前のことができる国になってもらいたいと思った次第です。
5/25(金)~ 27(日) には「青年練成会」が開催され ます。青年達が神の子に目覚め、地球環境を守り、羽生選手のようにきちんと「君が代」を歌えるようになる貴重な場でもありますので、皆様のお子様、お孫様に是非お勧めください。お待ちしております。

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光のおとずれ 編集後記 平成30年3月

投稿日:2018年3月2日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成30年3月

★間もなく3/11の東日本大震災から7年目を迎え ます。宮城県出身のお笑い芸人サンドイッチマンは、 テレビのロケ中に気仙沼市で被災します。しかし、翌 日にはブログに『戦後、俺たちのじいちゃんやばぁち ゃんは日本を復活させた。世界には奇跡と言われた日本の復興。必ず復興します! 日本をナメるな! 東北をナメるな!』という一文を掲載し、早速「”東北魂”東北地方太平洋沖地震義援金口座」と銘打った銀行口座を開設、募金活動を開始します。2人で1千万円を寄付し東北魂のロゴ入りチャリティグッズも販売を開始。 わずか10日間で、義援金口座には26,297人から 振込みがあり、チャリティライブとチャリティグッズ の収益を含め2億9,722万円が集まり、その義援金を岩手県や福島県、宮城県など計6県に渡して回りま した。その後も月に何度も被災地を訪問している2人 は、ライブの売上などを震災復興に寄付し続け累計金額は4億円を超えるとのことでした。また、毎年3/11には気仙沼に足を運んで14時46分に黙祷を捧 げ、震災を風化させない活動を続けているそうです。 何故彼らはそこまで頑張れるのでしょうか?一時的な同情や売名行為では続きません。彼らにあるのは故郷宮城への郷土愛であり、育ててもらった故郷への”報恩感謝の真心”ではないでしょうか。「大自然の恵みも、 衆生の恩も、父母の恩も、国家の恩も気がつかなかっ たら、それは無いのと同じことである。『ある』ものに 気がつかないのは盲人と同じことである。私たちは盲 人になってはならないのである。すべての恩恵をみとめたとき、私たちはその恩恵の所有者になるのである。 」( 機関誌『生長の家』H30_01月号法語「天地の恩」)

 

★3/1は生長の家の立教記念日。今年で立教89年を迎えます。宮城県に生長の家の教化部ができたのは、 昭和40年5月16日のことでした。当時仙台市青葉 区本町にあった既存の旅館建物を補修改築して、待望の教化部が開設されたのです。そして、同年7月20日に「宗教法人生長の家宮城県教化部」が正式に登記されました。その後、教化部の老朽化や手狭になった こともあり、新しい境内地を求めて新教化部会館建設に向けて募金活動を開始したのが平成元年3月1日。 翌平成2年に現在の西中田に所有地を取得しました。 そして、平成3年3月31日に総工費3億5千万円で 現在の教化部会館が完成したのです。同年4月14日 には教化部会館落慶奉堂式、落慶祝賀式が盛大に開催されました。ですから、今年は昭和40年の宮城県教化部の誕生から数えて53年、平成3年の現教化部会館の誕生からは27年を迎えます。その間多くの先輩 方が御教えを伝えてくださり、聖使命会員を増やして 教勢を拡大してくださいました。その尊い挺身・致心・ 献資の真心によって宮城教区の光明化運動は発展し、 教化部会館も真理の燈台として今日まで続いてきたのです。その際、宮城教区の教化部会館を子々孫々に恒 久的に残していくために、先輩方が始めたのが「教化部会館維持報恩会」の制度でした。(『菩薩手帳』P12 参照) 言わば「教化部会館維持報恩会」への入会は生長の家へのご恩返し、故郷宮城への報恩感謝の証と言 えます。しかしながら、現在の宮城の組織会員436名の中で、毎月「道場維持費」を奉納して下さる方は130名あまりなのです。立教記念日に当たり、生長の家の御教えを伝える真理の燈台としての宮城県教化部を、これからも恒久的に維持していくためにも、多くの誌友・会員の皆様の「教化部会館維持報恩会」へ のご入会をお願い申し上げる次第です。

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光のおとずれ 編集後記 平成30年2月

投稿日:2018年1月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成30年2月

★NHKの大河ドラマ「西郷( せご) どん」が始まり ました。今年は明治元年(1868年) から150年の節 目の年です。当時は欧米列強がアジア・アフリカの有色民族国家を根こそぎ植民地支配していた時代でした。 その中でわが国だけは明治維新を成し遂げ、近代国家として新生し、国家の独立を守りました。明治維新は世界史の奇跡であり、歴史的偉業と言えるのです。その明治維新の最大の功労者が西郷隆盛です。幕府軍と官軍の全面戦争を回避した江戸城での「談判」。幕府軍の代表として西郷とまみえた勝海舟は後年こう語っています。

「西郷はおれの言うことをいちいち信用してくれ、その間一点の疑いをはさまなかった。『色々む づかしい議論もありましょうが、私が一身にかけてお引き受けします』西郷のこの一言で江戸百万の生霊もその生命財産を保つことができ、また徳川氏もその滅 亡をまぬかれたのだ」「今日の日本があるのはすべてみ な西郷のおかげだよ」

と。
談判終了後、西郷は政府や 官軍の人々から徳川に譲歩しすぎたと猛反発され、勝もまた幕臣から裏切り者と非難されました。しかし、西郷も勝もあらゆる批判に屈せず、万難を排して皇国 日本の新生に一身を捧げたのでした。

 

★明治維新の完成は明治4年の廃藩置県の実行でした。 廃藩置県もまたとても困難な事業でした。これも西郷の決断と指導のもとに実現したのです。明治天皇は西郷をよび、この重大事の実行においてもし不測の事態が起きた場合いかに対処するかにつきご下問されました。すると西郷は「おそれながら、吉之助がおります れば、御心を安じ下さいませ」と一言きっぱり申し上 げました。天皇はその言葉に深く安堵されたのです。 しかし、薩摩藩の藩主だった島津久光は廃藩置県に猛反対でした。ですから西郷を「不忠者、裏切者」と激しく怒り、憎んだのです。西郷はこのような久光を主君に持ちながら、明治維新というわが国最大の変革に自己を捧げました。このような西郷を誰よりも深く親愛し信頼してやまなかったのが明治天皇でした。明治天皇が身近に西郷に接せられたのはわずか2年余り、 19歳から21歳の時ですが、西郷から受けた感化は甚大でした。明治天皇は欧米より「大帝」とまで称賛されましたが、天皇がかくも偉大になられる上で最大の人格的感化を及ぼしたのが西郷隆盛だったのです。 明治天皇は西郷について次のような御製を詠まれてい ます。

「おもふこと なるにつけてもしのぶかな もと ゐさだめし人のいさをを」( 世界の一等国になったいま偲ばれるのは、明治維新という国家の礎を定めた西郷隆盛である)

 

★ 「人を相手とせず、天を相手にせよ。天を相手にし て、己を尽くして人を咎めず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」

「天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛す る心を以て人を愛するなり」

今も心に響く西郷が遺した珠玉の言葉です。間もなく2/11の「建国記念の日」を迎えます。国旗を掲げて建国2678年を祝うと共に、欧米列強の外圧からわが国の独立を守り抜いた明治維新。その歴史的大事業を成し遂げた先人達にも思いを馳せ、感謝したいと思った次第です。

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光のおとずれ 編集後記 平成30年1月

投稿日:2017年12月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成30年1月

★新年明けましておめでとうございます。平成30年を寿ぎ皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

工藤房美さんの『遺伝子スイッチ・オンの奇跡』を読 んで、改めて「当たり前の幸せ」を教えられました。 工藤さんは48歳のときに子宮ガンを発症します。発見時にはすでに末期でした。バルスという苦しい治療を3回。それはタオルを口に詰め込まれ3時間動けないまるで拷問のような治療で、3時間泣き叫び一睡もできませんでした。2回目の治療の前日、友人が村上和雄先生の『生命の暗号』という本を届けてくれました。「人間のDNA のうち実際に働いているのは5% 」「 人間はいつも前向きで元気でハツラツしていると良い DNA をオンにし悪いDNA をオフにする」それなら、私の眠っている良いDNA がオンになったら今より元気に なるかもしれない。そう思った工藤さんは、これまで 人生を支えてくれた遺伝子にお礼を言ってから死のうと思い、髪の毛、目、腕と、自分の身体の隅々に「ありがとう」を言い続けたそうです。2回目の治療中も 「ありがとう」を言い続けました。そしたら拷問のような治療が痛くありませんでした。3回目も同じでし た。その後も自宅療養中ずっと「ありがとう」を言い 続けたのです。1ヶ月半後、医師の診察を受けたとこ ろ子宮ガンが綺麗に無くなっていたのです。

 

★ところが、ガンは肺と肝臓にも転移していました。「 余命1ヶ月」と宣告されるのです。抗がん剤治療で髪の毛が全部落ちました。10万本くらいあった髪の毛を全て集めて、毎日1本1本に「ありがとう」と言い 続けたのです。すると有り難い気持ちが雪のように積 もってきて、一切のことが悲しくも苦しくもなくただ 有難い気持ちになり、生まれて初めてのような幸せな気分になり、感動の涙が滝のように流れてきました。 余命1ヶ月もないなら残りを家族と過ごしたい、その後の抗がん剤治療を休みます。3ヶ月後に出た検査結 果で何とガンが全部消えていたのです。しかも、医者が言わなかった骨のガンも消えていました。

 

★元気になった工藤さん。知り合いのネパール人のコ ックさんとカレー店を始めました。そして、彼らの行 動に驚きます。彼らはキッチンに入ったら何と水道の蛇口、ガスの元栓の前でヒンズー教のお香を焚き、お経を唱え始めたのです。聞くと、日本人は水やガスが 出るのは当たり前かもしれないが、世の中に当たり前の事なんかない。日本で働けること、水が出て火がつ くことを神様に感謝している、と言うのです。彼らが 日本に来て一番良かったことは、「安心して眠れること」だそうです。インドやネパールでは孤児院のような施設が無いので、親が亡くなると親戚の人が来て子 供を売るそうです。日本はどれ程有難い国なのか。しかも日本では、天皇陛下が元旦の早朝から「四方拝」 というお祭りをして国の安泰と国民の幸福、世界の平 和を祈られるのです。こんな国は世界中で日本しかありません。髪がある。親がいる。家族がいる。水やガスが使える。安心して眠れる国がある。今年はそんな 「当たり前の幸せ」に日々感謝する1年にしたいと思 った次第です。今年も宜しくお願い致します。

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光のおとずれ 編集後記 平成29年12月

投稿日:2017年12月12日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年12月

★11/26は最高の天候に恵まれ、まさに神様に 祝福された講習会日和となりました。半年間にわたって推進活動に取り組んでくださいました 幹部会員の皆様、本当にお世話様でした。バス の手配や乗車場所の連絡など、当日まで参加者をまとめお連れくださいました地区責任者の皆様、本当にお疲れ様でした。特に気仙沼や登米、 栗原、河南、石巻、白石、亘理など、遠方より バスでお越しの皆様は、早朝より夜遅くまで一 日がかりの送迎、本当にご苦労様でした。又、 連日教化部で対象者・受講者の祝福を祈願してく ださいました相白青講の各組織の皆様、本当にありがとうございました。前日、当日と準備や 運営に携わってくださいました運営役員の皆様、 特に寒い中、参加者の誘導に当たってください ました交通整理部、場外誘導部、車イス部の皆様、玄関で参加者の対応に当たってくださいました受付部の皆様、本当にありがとうございま した。皆様の半年間にわたる推進と祈り、当日の笑顔と合掌のお陰で平成29年度の「講習会」 も無事、大盛会裡に終了することができました。

 

★ 体験談はどれも感動的なものばかりでした。 姑に感謝できない自分に苦しみながらも、遂に姑を観世音菩薩として拝める日がきた勝又ふみさん。姑の厳しい言葉でどれほど傷ついたことか。身につまされる体験に幾度も涙しました。 母親に感謝できなかった苦しい日々を話してくれた佐藤厚子さん。実の母親に感謝できない苦しみ、どれほど辛かったことか。しかし母親を失うことで初めて母を愛していたことに気づき 感謝できた喜び。わが事のように嬉しい体験でした。東日本大震災をきっかけに通勤を自転車 に切り替えた千葉満さん。今では県内どこにでも自転車で行けるようになったとのこと。自然 と調和した生活の実践として自転車の素晴らしさを伝える貴重な体験でした。バスの中で貰った1 冊の白鳩誌が縁で生長の家に触れ、4人の子供を授かり子育てに明るく楽しく取り組んで いる櫻井真紀子さん。少子化で人口減少の危機に直面する日本に明るい希望を与えてくれる体験でした。使わなくなった洋服や着物を小物に作り替えて再利用している寺﨑たかよさん。旦那さんの闘病生活や親の介護など、辛く苦しい 体験も生長の家の信仰で明るく前向きに乗り越 えた体験。物事の光明面を見る生活が古着に新たな命を吹き込むクラフトに生かされていることを実感致しました。5人の皆さんの体験は多 くの人々に希望と光明を与えるものであり、どれ程多くの方々が救われたかわかりません。

 

★ 最後になりましたが、講習会を通して生長の家の教えの素晴らしさ、信仰の有り難さ、運動の大切さを改めてお教え頂きました生長の家総裁谷口雅宣先生、白鳩会総裁谷口純子先生に心 から感謝申し上げます。終わりよければ総て良 し!平成29年の締めくくりを「講習会」という 最高の行事で終えられましたこと、その幸運を宮城教区の全ての皆様と共に喜びたいと思いま す。今年1年のご愛読に心から感謝しつつ、来る平成30年が宮城教区の飛躍の年となり、皆様にとりましても最高の喜びの年となることを 心よりご祈念申し上げます。感謝合掌。

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光のおとずれ 編集後記 平成29年11月

投稿日:2017年11月2日 カテゴリー:編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年11月

★ 1 0 / 1 6は「世界食糧デー」。国連が世界の飢餓 や食料問題について考える日として制定された 日です。恥ずかしながらそんな日があるとは知 りませんでした。ところが最近、W F P ( 国連世界 食糧計画)から度々メールが届くので世界で起き ている飢餓状況を知ることになりました。今年3 月から教化部事務局会議の日を「一汁一飯の日」 として、職員1人5 0 0円合計3千円をW F Pに寄付 することにしました。これは子供1 0 0 人に1 日 ですが栄養たっぷりの給食を食べさせることが できる金額です。世界には学校に通えない子供 達が6 , 1 0 0 万人もいます。何故子供達が学校に 通えないのか? 家のために働かなければならな いからです。しかし学校で給食が食べられれば 親は子供を学校に通わせます。そして子供達が 学校に通えれば教育を受けることができ、教育 を受けた子供達は将来その国を担う人材となり、 国を発展させることができるのです。わずかな 金額ですが子供達の役に立てればと思って、月1 回ですが職員もご飯とみそ汁で頑張っています。

 

★ ところでW F P は、世界の飢餓人口が2 0 1 6 年に 再び増加に転じ、世界の人口の1 1 %に当たる8億 1 , 5 0 0 万人に達したと伝えています。その主な 原因として「武力紛争」と「気候変動」を上げて います。実に9人に1人が飢餓で苦しんでいるの が世界の現実なのです。その主な原因は「武力紛 争」と「気候変動」なのです。どちらも自然現象 ではなく人間が起こしているものです。武力紛 争が領土や資源の「奪い合い」から起きるのは、 中国による尖閣諸島の領海侵犯や南シナ海の実 効支配を見れば明らかです。それでは気候変動 や異常気象はどうなのか。谷口純子先生は『この 星で生きる』のはしがきに「私の世代の人間は、 戦後の経済発展を通して、そのつもりがなくと も自然破壊を進めました。しかし今は、その反 省に立って、自然と共に伸びる生き方を考案し、 提案し、そして生活の中で実践する道を歩んで います。地球を資源争奪の場ではなく、素晴ら しい楽園にしていきたいのです。」と書かれてい ます。つまり、今日の異常気象や気候変動の原 因となっている地球温暖化は、人間が自然を破 壊し地球の資源を「奪ってきた」結果なのです。

 

★ 総裁先生は3 / 1 1 「神・自然・人間の大調和祈念 祭」でのお言葉の中で、” リンゴの木” の話しを されました。純子先生の『この星で生きる』に紹 介されている話しです。その中では「無償の愛」 を表現した物語として書かれていますが、総裁 先生は木を自然の代表、少年を人間の代表とし て捉え、人間が自然から奪っていったら結局は 自然も衰え人間も衰えてしまう。自然がなくな ったら人間もダメになり、自然が力を回復すれ ば人間も力を回復する。そのような「自然に与え 返す」活動を真剣に実践する時期を今人類は迎え ていると言われました。つまり、「奪い合い」で はなく「与え合い」「生かし合い」の生活こそが、 世界平和を実現し地球温暖化から人類と全ての 生物を救う道なのです。この事を多くの県民に お伝えする最高の場が1 1 / 2 6 の「講習会」です。 後1 ヶ月、県内隈無く推進して1 , 3 9 0 名以上の 人達を集め、神・自然・人間の大調和した世界を 一日も早く実現して参りましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成29年10月

投稿日:2017年9月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年10月

★実りの秋、スポーツの秋。遂に日本人初の9秒台が生まれました。桐生祥秀選手が100m「9秒98」の記録を達成し、10秒の壁を突破したのです。高校3年生の時に10秒01を出して日本を驚かせ、色紙に「目標世界最速9秒台」と書きました。それから4年、大学生活の全てを捧げて挑戦したにも関わらず、わずか100分の2秒の壁、わずか20㎝の壁を超えることができませんでした。その重圧と10秒の壁に幾度となく悔し涙を流したのです。そんな桐生選手が師事したのがハンマー投げの室伏広治氏でした。後半背中が反ることでスピードが落ちると考えた桐生選手は、体幹を鍛え直すために室伏氏に師事し体幹を鍛えるトレーニングを始めたのです。桐生選手は「目に見えない部分を鍛える」ことが大切だと気づいたのです。その結果ピッチの数とスライドの幅が増えて遂に100分の2秒、20㎝の壁を超え日本人初となる「9秒98」の記録を達成したのでした。

 

★記録と言えば、宮城教区の盂蘭盆供養大祭の霊牌数は15,714柱と前年度を1,323柱も上回りました。しかも相白青全ての組織が昨年度成果を上回ったのです (拍手 )。講習会も9/11現在で受講券が1,816枚、前回同時期の+207枚で相白青の全組織が前回同時期を上回っています。そしたら今( 9 / 1 3 )白鳩会が受講券目標1,680枚を突破したとの嬉しい報告が入りました。万歳!万歳!万歳!このように宮城教区は現在記録を次々と塗り替えています。前回までと何が違うのか。それは宮城教区が「目に見えない部分を鍛えている」からではないでしょうか。目に見えない部分とは何か?もちろん神様の世界、実相世界のことです。そこに波長を合わせる「祈り」が毎日行われています。松田教化部長は教化部長の仕事は「祈ること」と言われます。言葉どおり、教化部に来ると毎朝教化部長室の神棚、祈りの間の「新生祈願」、大講堂の実相額の前で祈りを捧げておられます。着任以来10ヶ月が経とうとしていますが、今も毎日続けられています。『いのちの環』 N o 8 9に「すべての生活を祈りに始まって祈りに終る生活となせ」と書かれています。又「祈りは “神の心 “と”人間の心 “との波長を合わす最良の道である。 …”神の世界”に波長を合わす事によって、その欲するものを受像して、現象界に具体化することができるようになるのである」とも書かれています。それを実証されているのが松田教化部長の毎日の「祈り」なのです。しかし、講習会は教化部長一人の力でできるものではありません。私達一人一人が講習会大盛会実現を祈り、神様の世界に波長を合わせることが大事です。教化部では毎日「講習会対象者・受講者祝福祈願」を実修することになりました。祈願担当者はもちろん、そうでない方も時間のある限りいつでも教化部に来て祈りを捧げましょう。実りの秋を「祈りの秋」としようではありませんか。

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