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光のおとずれ 編集後記 平成29年10月

投稿日:2017年9月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年10月

★実りの秋、スポーツの秋。遂に日本人初の9秒台が生まれました。桐生祥秀選手が100m「9秒98」の記録を達成し、10秒の壁を突破したのです。高校3年生の時に10秒01を出して日本を驚かせ、色紙に「目標世界最速9秒台」と書きました。それから4年、大学生活の全てを捧げて挑戦したにも関わらず、わずか100分の2秒の壁、わずか20㎝の壁を超えることができませんでした。その重圧と10秒の壁に幾度となく悔し涙を流したのです。そんな桐生選手が師事したのがハンマー投げの室伏広治氏でした。後半背中が反ることでスピードが落ちると考えた桐生選手は、体幹を鍛え直すために室伏氏に師事し体幹を鍛えるトレーニングを始めたのです。桐生選手は「目に見えない部分を鍛える」ことが大切だと気づいたのです。その結果ピッチの数とスライドの幅が増えて遂に100分の2秒、20㎝の壁を超え日本人初となる「9秒98」の記録を達成したのでした。

 

★記録と言えば、宮城教区の盂蘭盆供養大祭の霊牌数は15,714柱と前年度を1,323柱も上回りました。しかも相白青全ての組織が昨年度成果を上回ったのです (拍手 )。講習会も9/11現在で受講券が1,816枚、前回同時期の+207枚で相白青の全組織が前回同時期を上回っています。そしたら今( 9 / 1 3 )白鳩会が受講券目標1,680枚を突破したとの嬉しい報告が入りました。万歳!万歳!万歳!このように宮城教区は現在記録を次々と塗り替えています。前回までと何が違うのか。それは宮城教区が「目に見えない部分を鍛えている」からではないでしょうか。目に見えない部分とは何か?もちろん神様の世界、実相世界のことです。そこに波長を合わせる「祈り」が毎日行われています。松田教化部長は教化部長の仕事は「祈ること」と言われます。言葉どおり、教化部に来ると毎朝教化部長室の神棚、祈りの間の「新生祈願」、大講堂の実相額の前で祈りを捧げておられます。着任以来10ヶ月が経とうとしていますが、今も毎日続けられています。『いのちの環』 N o 8 9に「すべての生活を祈りに始まって祈りに終る生活となせ」と書かれています。又「祈りは “神の心 “と”人間の心 “との波長を合わす最良の道である。 …”神の世界”に波長を合わす事によって、その欲するものを受像して、現象界に具体化することができるようになるのである」とも書かれています。それを実証されているのが松田教化部長の毎日の「祈り」なのです。しかし、講習会は教化部長一人の力でできるものではありません。私達一人一人が講習会大盛会実現を祈り、神様の世界に波長を合わせることが大事です。教化部では毎日「講習会対象者・受講者祝福祈願」を実修することになりました。祈願担当者はもちろん、そうでない方も時間のある限りいつでも教化部に来て祈りを捧げましょう。実りの秋を「祈りの秋」としようではありませんか。

(T)

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光のおとずれ 編集後記 平成29年9月

投稿日:2017年8月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年9月

★ 「あゝモンテンルパの夜は更けて」という曲を ご存知でしょうか? 昭和27年渡辺はま子さん のヒット曲です。

この曲を作詞作曲された方は 終戦後フィリピンのモンテンルパの刑務所に戦 犯として収容された日本人捕虜でした。

フィリ ピンは日米最大の決戦場となったため、首都マ ニラの市街戦だけで十万の市民が犠牲となり反 日感情が燃え上がり、その矛先は日本人戦犯に 向けられました。

裁判とは名ばかりの、冤罪による死刑宣告を受ける日本人が後を絶ちませんでした。「無実の死刑」が次々に行われたのです。

日本人捕虜を救うために現地で戦犯釈放運動に 取り組んだのが教誨師・加賀尾秀忍氏でした。

加 賀尾師はG H Q の指令でモンテンルパに赴任し ましたが、6 ヶ月の任期が終わった後も現地に 留まり、日本人全員が帰国するまでは自らも帰 らぬ覚悟で釈放運動を続けました。

日本人捕虜 に歌を作ることを勧めたのも加賀尾師でした。

 

★ 加賀尾師はフィリピンのキリノ大統領との会 見にこぎつけます。大統領は加賀尾師らが戦犯 の釈放を求めてくるだろうと身構えていました。 大統領の奧さんと3 人の子供、5 人の親族が戦 争の犠牲となって亡くなっていたのです。

加賀 尾師はおもむろに写真帖を取り出しキリノ大統 領に差し出しました。大統領が表紙に手を触れ るとオルゴールが鳴り出したのです。その曲が「 あゝモンテンルパの夜は更けて」でした。

望郷の 思いが込められた曲が大統領の心の琴線に触れ、 大統領は2 名の日本人捕虜の釈放を約束するの です。しかし、加賀尾師は全員釈放に向けて最 後の力を振り絞り、遂に昭和2 8 年7 月4 日フ ィリピン独立記念日にキリノ大統領の恩赦によ って日本人105名の「全員釈放」が実現しまし た。

「私は、妻と3 人の子供5 人の親族を日本人 に殺された者として、彼らを赦すことになると は思いも寄らなかった。… 私は、キリスト教国 の長として、自らこのような決断をなし得たこ とを幸せに思う。

私を突き動かした善意の心が 人類に対する信頼の証として、他者の心の琴線 に触れることになれば本望である。

人間同士の 愛は、人間や国家の間において常に至高の定め であり、世界平和の礎となるものである」( エル ピディオ・キリノ大統領) 昨年1 月フィリピンを ご訪問された皇后陛下の御歌「許し得ぬを許せし 人の名と共にモンテンルパを心に刻む」。世界平 和の礎は、何時の時代も愛と許し、和解と調和 だと思われた次第です。

9/27は教化部で「大 調和の神示祭」を執り行います。万物調和・世界 平和・講習会の大盛会を祈りましょう。(T )

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光のおとずれ 編集後記 平成29年8月

投稿日:2017年7月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年8月

★ 間もなく8 / 1 5 の「終戦記念日」を迎えま す。中央アジアにウズベキスタンという国があ るのをご存知でしょうか。終戦直後5 7 万人も の日本人捕虜がソ連軍に抑留され、過酷な労働、 劣悪な環境、粗悪な食事で強制労働を強いられ、 約6 万人もの日本人が命を落としました。ソ連 の支配下にあったウズベキスタンでも、多数の 日本人捕虜が収容されビルなどの建設工事に従 事したのです。しかし日本人の働きぶりは、現 地の人々に感動を与えました。ある母親は、子 供を毎週のように捕虜収容所まで連れて行き、 こう言いました。「見なさい、あの日本の兵隊さ んを。ソ連兵が監視しなくてもあのように働く。 他人が見ていなくてもきちんと働く。あなたも そんな人間になりなさい」と。この少年は母親の いいつけを守り、技師となったのち、やがて大 統領となりました。2 0 1 6 年9 月に亡くなっ たイスラム・カリモフ大統領です。大統領は後に 「あの日本人たちのおかげで大統領になれた」と 述懐しています。

 

★ この抑留日本人およそ4 0 0 人が建設に従事 した建物の一つに、首都タシュケントにあるナ ヴォイ劇場があります。このオペラとバレエの 劇場は、日本人の献身的な働きぶりによって工 期3 年の予定を2 年で完成しました。しかし、 完成から1 9 年後の1 9 6 6 年4 月2 6 日、タ シュケント大地震がウズベキスタンを襲います。 市内の建物の3 分の2 が倒壊するなか、ナヴォ イ劇場はびくともせず多くのウズベク人の避難 場所となりました。その直後、カリモフ大統領 はナヴォイ劇場に日本人が建てたことを記した プレートを作らせます。そのとき大統領は「われ われは日本人を捕虜にしたことはない。日本人 捕虜とはせず” 日本国民” と記しなさい」と指示 したのです。ウズベキスタンには、あちこちに 日本に帰ることなく現地で命を落とした抑留日 本人( 8 8 4 人) 達のお墓があります。ソ連政府は この日本人墓地を撤去して更地にしろと命令し ました。日本人捕虜の抑留と強制労働は明らか に国際法違反であり、人道上も許されないもの であり、ソ連はその事実を隠蔽したかったので す。しかし、地元のウズベク人たちはその命令 に背き、遠く祖国を離れて亡くなった日本兵を 気の毒に思い、お墓を整備し今日に至るまで抑 留日本人の墓地を守り続けてくれているのです。

 

★ 8 / 1 5 になると首相の靖国神社参拝に必ず 文句をつけてくる国があります。しかし一方で、 日本兵の墓地を今もしっかり守り慰霊してくだ さっている国もあることを知り、心から感激し 感謝した次第です。8 月はお盆の月です。8 / 6は教化部で「盂蘭盆供養大祭霊牌奉送祭」が執 り行われますので、皆様も既にご先祖様やご縁 のある方々の霊牌を奉納されたと思いますが、 まだの方はお早めにご奉納ください。

(T)

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光のおとずれ 編集後記 平成29年7月

投稿日:2017年6月26日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年7月

★ 今年4 月仙台市青葉区の中学2 年生がいじめ を苦に自殺しました。平成2 6 年9 月には泉区 の中学1 年生が、2 8 年2 月にも泉区の中学2 年生がいじめが原因で自殺しています。仙台の 中学生がここ4 年で3 人も自殺しているのです。 アンケートによると、男子生徒は日常的に「臭い 」とか「きたない」などの悪口や「無視される」「 物を投げられる」などのいじめを受けていたとの ことです。しかし、今回明らかになったのは先 生も生徒に「体罰」を与えていた、ということで した。詳細は不明ですが、男子生徒は日頃から「 先生が怖い」とおびえ「(いじめを)先生に言って も一方的に自分が悪者にされる」と周囲に漏らし ていたということですから、男子生徒にとって の悲劇は、いじめられていたことよりもそれを 救ってくれるはずの先生がいなかったことです。 たとえ周りの友達がみな自分を無視しても、先 生だけは自分を庇ってくれる守ってくれる、そ んな先生が1人でもいたらこの男子生徒は自殺し なかったのではないでしょうか。その意味では、 市教委が第三者委員会を立ち上げていじめた生 徒や先生の責任を究明しても、学校の先生と生 徒の信頼関係が築けなければ、いじめや自殺を なくすことなどできないのではないでしょうか。

 

★平成27年度「生長の家教育学会」の報告書の 中に次のような教育実践発表がありました。兵 庫教区の中学校教諭、淨閑養子先生の報告です。 教員3 年目。昨年中学校3 年生を担任。不登校 経験者3 名、女ボス1 名、周囲に合わせられな い子1 名と荒れたクラスでした。そこで先輩教員からアドバイスをもらうと「生徒指導は先手必 勝。細かいところもビシビシ指導すること」とのことでした。それを素直に実行して生徒の悪い ところを指摘すると、クラスは益々悪化。6 月ついにクラスの最大欠席者数、授業をサボる人数、保護者対応数、保健室利用者数の全てで学 年ワースト1 位。5 冠を達成しました。困り果てて地方講師をしている母親に相談すると、「あ んたが悪い! 」と一喝されたそうです。そこで初めて自分が神想観をさぼっていたことに気がつ き、生徒の「祝福」を始めると生徒が愛おしく感 じてきました。問題がある生徒と一人一人向き 合い話し合うと、自分に自信が無く自分が嫌い な子が多いことに気づきました。そこで、問題 のある生徒を「讃嘆」しようと交換ノートや、仕 事を頼んだ生徒にその都度「感謝」の言葉を贈る ようにしたらクラスの雰囲気が一変したそうで す。9月、ワースト1位だったクラスはついに「 問題数ゼロ」となり、親御さんにも感謝され無事 に子供達を卒業させることができました。

 

★ 人間はみな神の子。いじめる子供もいなけれ ばいじめられる子供もいない。先生が子供達の 神性を礼拝する「生命の教育」を実践すれば、日 本中の学校からいじめも自殺も無くなるし、将 棋の藤井聡太4 段や卓球の張本智和君のように、 世界に飛躍する素晴らしい中学生が続々と誕生 するのではないでしょうか。8/4 (金)~5 ( 土) は「夏季青少年一泊見真会」「お父さんお母 さんのための一泊見真会」が開催されます。子供 達の神性を開発する最高のチャンスであり貴重 な場です。一人でも多くのお子様お孫様、親御 さんのご参加をお待ちしております。

(T)

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光のおとずれ 編集後記 平成29年6月

投稿日:2017年5月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年6月

★ 「自然の恵みフェスタ2017 」に関わられた 全ての皆様お疲れ様でした。昨年の11月に開催してからわずか半年しか経っていないのに、 しかも「講習会受講券奉戴式」の翌日です。どう なることかと思いましたが、結果170名の方々 が参加し大盛会でした。後から知った話しですが町内会長さんも参加して花を買って行ってく れたそうです。隣のサンクスのおばちゃんも、 参加したら勧誘されるのではと心配していたお客さんに、「なんも心配ないから楽しいから行っ たらいいよ」と勧めてくださったそうです。M職員情報によれば来年は店にポスターも貼ってくれると言うことでした。生憎の雨で通行人は少なかったものの、それでも町内会やご近所の皆 さんが、屋台コーナーや直売コーナーに顔を出して楽しんでもらうことができました。フェス タが着実に地域の皆様と絆を深める「ムスビの行事」となってきたことを実感した一日でした。

 

★今回のフェスタの成功は、全組織挙げて「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」を開催して、各誌友会の作品を展示したことにありました。4月をBタイプ誌友会の強化月間と位置付け、地方講師研修会でも徹底し各組織の会議でも徹底した結果、相愛会では15相愛会が、白鳩会で は3総連、5地区連、11支部、2個人が、青年会では2単位青年会と1ヤングミセスが、そ して生命学園と松田教化部長も作品を展示して くれました。その参加人数約1 5 0 名、作品の 点数約5 0 0 点でした。絵はがき、俳句、短歌、 写真、石アート、端布小物入れ、牛乳パック小物入れ、新聞紙小物入れ、箸置き、コースター、 パッチワークなど様々な作品が展示されました。 まさに「オール宮城」で取り組んだ成果であり、 全国のフェスタでも教区挙げてBタイプ誌友会 に取り組んだり、その作品を一堂に展示するというのは宮城が初めてではないかと思います。 その意味で、今年度は宮城教区の信徒さんが総参加した本当に画期的なフェスタとなりました。

 

★フェスタ成功のもう一つの要因は「駐車場係」の皆さんの存在でした。終日雨の中を教化部と 臨時駐車場に待機して、参加者を臨時駐車場に誘導し送迎してくださいました。最後は臨時駐 車場に過去最高の43台が駐車。満車となり教化部の駐車場にも7台入れて50台。もうこれ以上入らないところでぎりぎりセーフでした。 午前9時から最後運営委員の車を出す午後4時まで対応してくださいました。フェスタを見ることも楽しむことも食べることもできなかった 5人の皆様の無償の愛、影の力こそフェスタ成功の最大の要因だったと思います。5名の皆様に衷心より感謝申し上げます。感謝合掌

(T)

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光のおとずれ 編集後記 平成29年5月

投稿日:2017年5月1日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年5月

★今年1月にN H Kで「ばっちゃん」という番組が 放送されたのをご存知でしょうか。

広島市基町 で市営住宅の自宅を開放し、子供達に食事を提 供している中本忠子(ちかこ)さんの話です。

保護司として1人の少年を担当することになった中本さん。

中学2年生の少年はシンナーを買う金欲しさに空き巣をして少年院に入りました。

何故シンナーを吸うかを尋ねると「お腹が減ったのを忘れられるから」と答えたと言います。

この豊かな日本にお腹をすかせた子供がいるのに驚きました。

『食が結ぶ人・地域・自然』に書いてあ る「日本国内でも子供の貧困の問題があり、6人に1人、16.3% が貧困状態」というのは本当だったのです。

中本さんはこの少年に毎日食事を食べさせるようになります。

すると少年はシ ンナーをやめ、同じ境遇の友人を連れて来るよ うになりました。

いつの間にか中本さんの自宅 は、彼女を「ばっちゃん」と呼ぶ子供達のたまり場になっていました。

中本さんは、お金のない少年達に自分の生活費と貯金を切り崩して食事 を与え続けました。

子供達に食事を食べさせるために「ばっちゃん」は休みも取らずに台所に立 ち続けました。

「空腹」が少年達を非行に走らせてしまうとわかっていたからです。

「万引きは悪いこと腹が減ったら家へ来なさい! 」そう言って子供達を招き、ご飯を食べさせ、話す場を与え、 多くの子供達が立ち直っていくのを支え続けま した。

「広島のマザー・テレサ」と呼ばれている中本さん。今年83才になりますが、これまで30年以上にわたって300人以上の子供達に「できたての食事」を与え続けて来ました。

子供達にとって中本さんは安心の拠り所、まさに母親のような存在でした。

中本さんの原点になっているのはお父さんの言葉でした。

「人間の優しさって言うのは見返りを求めたらいけない。

見返りを求めるのは優しさじゃない。」

中本さんの無償の愛は今も多くの子供達を救い続けているのです。

5/14(日)は「母の日」であり「自然の恵みフェスタ2017」の日です。

私たちも父母から受けた無償の愛と自然の恵みに心から感謝し、「心の 食事」「魂の食事」である人間神の子の真理を多くの方々にお伝えして参りましょう。

(T)

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光のおとずれ 編集後記 平成29年4月

投稿日:2017年3月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年4月

★2/11読売新聞に生出拡夢(ひろむ) 君の写真 が掲載されました。そうです。

石巻相愛会長の 生出信明さんのお孫さんです。

拡夢君は震災直後の3/29に生まれました。けが人でごった返す病院。

節電のため薄暗い病室での出産でした。

それから6年、拡夢君は明るく元気に育ち今年無事小学校に入学することになりました。

生出さんは孫の入学祝いにランドセルをプレゼント したそうです。

6年が過ぎてもまだ仮設住宅での生活を余儀なくされている方々は本当に大変なご苦労をされていると思います。

しかし、そ んな大変な生活の中でも、生出さんは仮設住宅の自治会長として団地の方々のお世話活動を続 け、尚且つ「誌友会」も毎月開催し続けているのです。

入居時に部屋数は2部屋と言われていたのが入ってみると3部屋になり、しかも両隣は道路と長男家族。

「神様が誌友会場として用意してくれた部屋だ」と思ったそうです。

以来5年間、 毎月誌友会を開催。

今も会員誌友の皆さんが毎月の誌友会を楽しみに参加してくれています。

その結果、この6年間で孫も産まれて家族も増え、生長の家の会員誌友も増え、震災関係で県内はもとより全国に仲間もできて、お金では買えない貴重な宝を得ることができました。

「衆生劫尽きて大火に焼かるると見るときも我がこの土は安穏にして天人常に充満せり」。

3/11を前に痛ましい震災特集が報道される中、久しぶりに生出さん宅の誌友会に参加し、笑顔溢れる会場に信仰生活の素晴らしさを感じた次第です。

 

★ その誌友会場で驚いたことがありました。

生出さん宅の誌友会に毎月参加していたO職員。

毎月自家用車で参加していたのですが、車検で修理代40万円かかると言われ廃車にしたそう です。

さすがに電車やバスで行けない場所なので参加は無理だろうと思っていました。

ところ が、午後7時からの誌友会に来たのです。

聞くと自転車で来たとのこと。

岩沼から片道約80キロの距離ですが6時間かけて自転車で来たと、 平然と話していました。

皆驚き言葉を失いましたが、本人はいたって正気です。

競輪選手でもあるまいし、日頃から自転車に乗って訓練して いる訳でもないのに無謀とも思える行動でした。

それでも6時間もかけて誌友会に来てくれたO職員の熱意は、仮設団地の自治会長として孤軍 奮闘している生出さんにとって何よりの励ましであり、エールになったのではないかと思いま す。

困難をものともしない二人の姿に真理を生きる者の逞しさを感じた次第です。

さあ! もう すぐ春です。「喜びの真理講演会」「自然の恵み フェスタ」に多くの新人をお誘いし” 真理の種まき”を致しましょう。

(T)

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光のおとずれ 編集後記 平成29年3月

投稿日:2017年2月25日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年3月

★3/1は生長の家の立教記念日です。昭和5年に『生長の家』創刊号が発行され、生長の家の教えが初めて世に出た記念すべき日です。

しか し、もっとすごいことは谷口雅春先生ご自身が自己限定を破られて、「人間神の子」の真理を実証された日であると言うことです。

神様から啓示を受けられて「人間神の子」の真理を悟られた先生。しかし、現象の先生は虚弱体質で、会社の仕事を終えてから真理の雑誌を発行することは不可能だと思われたのです。

そのため先生は、 資金を貯めてから会社を辞めて雑誌を出そうと考えられました。ところが、お金が貯まった頃に盗難に遭われます。

しかも2度も。その時先生は再び神様の声を聴かれるのです。

「今起て! 今のほかに時はない。『今』の中に無限があり、 無尽蔵がある。軍資金ができてから、時間の余裕ができてから、身体の余裕ができてから、光明化運動を始めようなどというのはまちがいだ。 」(『生命の實相』第20巻P158)

「わたしは決心した- 経済的余裕の来る日などをもう断じて待つまい! 自分の身体が弱いという理由で自分の勇気のないことをもう断じて自己弁解すまい、… 死なば死ね。生きる道をつたえるために起ち上 がってそのため自分が死ぬならば、自分の伝えようとした道は嘘だったのだ。わたしはその時、 潔く死んでもよい。…わたしはこの時『背水の陣』 を布いて起ち上がった。」(『生命の實相』第7巻 P147)

 

立教記念日とは、谷口雅春先生が自己限定を破って人間神の子を実証した日であり、もし先生が「背水の陣」を布いて起ち上がらなければ3/1の立教記念日は無かったということです。

 

★『人生はたのしく』という本の中で徳久克己先生がこんな事を書かれています。徳久先生が 先輩方から石橋をたたいて渡れと言われたので、 谷口雅春先生に石橋をたたいて渡らなければい けませんかと聞かれたそうです。

そしたら先生は「たたく石橋がなかったら何をたたく! 」と一 喝されたのです。

そして「君は橋を架けるような 人間になれ。

なかったら橋をかければいいんだ よ! 」と言われたそうです。

松田教化部長が「目標は自己限定の殻を破るためにあるんだ。」と言 われました。

まさにその通りです。

前回実績よ りも低い目標を立ててそれを達成して神の子無限力を発揮したことになるのでしょうか。

自己限定を打ち破ったことになるのでしょうか。無理だと思えるような目標を達成したときにこそ、 「汝世に勝てり! 」との魂の歓びを感じることができるのではないでしょうか。

梅の花も開き始 めました。自己限定の殻を破って神の子無限力の花を咲かせて参りましょう。

 

(T)

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光のおとずれ 編集後記 平成29年2月

投稿日:2017年1月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年2月

★ 享年95歳で大髙愛子先生が天寿を全うされ ました。

大髙先生は私が青年会委員長時代の地方講師会長でしたから、その頃から息子のよう にかわいがってもらいました。

当時は女性の地方講師会長はめずらしく、全国の走りのような存在でした。信仰心が篤く光明化運動への燃え るような情熱はまるで青年のようでしたが、先 生の信仰を鍛えてくれたのはご主人の酒と女性問題でした。

夫婦調和、陰陽調和の道は凄まじいものでした。

唯々「ハイ」の実行。「カラスが白いと言われてもハイですよ」という厳しい「ハ イ」の実践でした。

どれ程悩み苦しみ、そして祈りと実行を繰り返したことか。

唯々「この道を行けば必ず幸福になる」と信じての実践でした。

圧巻はご主人が女性を家に連れて来た時です。

何とその女性を泊めて新しい下着まで与え、一言の文句も言わずにご主人に「ハイ」を行じ女性を 拝んだそうです。

「妻として足りないところを補って下さる有難い観世音菩薩ですよ」という尊師の御声に実相が呼び出され、何事も無く静かにそれが実行出来たそうです。

その結果、女性は去りご主人は酒を辞めて優しいご主人に変わっ たのです。

以来、報恩感謝の誠を尽くそうと「愛 行一筋」の道を歩まれたのです。

自己紹介の時にいつもご自分の名前を、「大きく高く愛せよ」 と神様からご氏名(使命)頂いたと笑っていましたが、本当に先生は「愛行こそわが使命」を身を以て教えて下さった掛け替えのない先達でした。

宮城練成主任の時はいつも「宮城練成会は日本一!」と唱え、本当にどんどん参加者が増えて毎月200名ほど集まる活気に満ちた練成会になったのです。

「人間神の子の道、菩薩の道、愛行の道こそは一切を解決できる尊い道です。一人でも多くの方にこの菩薩の道を歩んで頂きたいと声を大にして歩んで行く決心です。」

この先生の言葉を胸に刻み,11/26の講習会に向けて私達 も愛行一筋の道を歩んで参りましょう。

(T)

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光のおとずれ 編集後記 平成29年1月

投稿日:2016年12月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年1月

★ 新年明けましておめでとうございます。昨年過激な発言で物議を醸したトランプ氏。1/20にはいよいよ米国大統領に就任致します。 米国と言えば世界一の軍事大国であり経済大国です。米国がクシャミをすれば世界中が風邪を引きます。そんな国の大統領にトランプ氏が就任すると言うことですが、その自覚が果たしてご本人にあるのでしょうか。早くもTPPから の離脱を表明するなど、世界のリーダーと言うよりも米国優先、国益第一主義の大統領としての片鱗を見せています。だからこそ米国民はト ランプ氏を選択したのだと思いますが、世界の平和や調和よりも自国だけの富、自国だけの利益を考える指導者で、果たして「大国」の指導者と言えるのでしょうか。トランプでも「ジョーカ ー」でないことを祈るばかりです。

 

★ 更にお隣の韓国。朴槿惠大統領は友人の崔順実(チェスンシル) 被告を国家政策や高官人事に関与させたり、企業に資金拠出を強要するな ど職権乱用が発覚しました。韓国国会は大統領を弾劾し何と大統領が職務停止となったのです。 前代未聞の不祥事かと思いきや韓国では当たり前のことでした。大統領が容疑者となるのは今に始まったことではなく、朴槿惠大統領を含め ると歴代大統領10人中9人もが、一族も含めて不正蓄財、不正資金疑惑等で逮捕され、亡命、 失脚、死刑、懲役刑、暗殺、自殺をしているのです。 つまり、韓国は国家の指導者でさえ犯罪者とな るのが当たり前の国であり、とても仁義礼智信の教えを学ぶ「徳の国」とは言えないようです。 韓国ではなく「アカン国」と言えるでしょう。

 

★ 翻って日本はと考えると、元旦の早朝5時30分、大晦日に紅白を見て国民がまだ眠りについている頃、皇居では祭祀が行われています。 天皇陛下が神嘉殿の南庭で、伊勢神宮を初め、 神武天皇御陵、天地四方の神々を遙拝され、世界の平和と国民の幸福をお祈りする「四方拝」を斎行されているのです。つまり、わが国では国の中心者である天皇陛下が、年の初めに「神事= 祭祀」を実践されているのです。「凡(およ) そ 禁中の作法、神事を先にし他事を後にす。」とい うのがご皇室の伝統であり、歴代天皇が125代にわたって守り続けてこられたのが宮中祭祀、 祈りでした。「ななそぢを迎えたりけるこの朝も祈るはただに国のたひらぎ(昭和45年) 」「我が庭の宮居に祭る神々に世の平らぎをいのる朝々(昭和50年) 」わが国は国の中心者が毎朝世界の平和と国民の幸福を祈って下さっているのです。 何と有難いことでしょうか。今年も元旦は教化部で「元旦神想観始め」を実修致します。一年の計は元旦にあり。天皇陛下と共に世界の平和と万物調和を祈れる幸せをかみしめつつ、平成29年も祈りから出発致しましょう。

(T)

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光のおとずれ 編集後記 平成28年12月

投稿日:2016年11月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年12月

★ 寒くなってきましたので心の温まるエピソー ドを紹介致します。9/28天皇皇后両陛下は 国体の開会式ご臨席のため岩手県をご訪問にな られました。その際、震災で被害にあった沿岸部の大槌町と山田町もお見舞いになられたので す。宿泊されたのは大槌町にある「三陸花ホテル はまぎく」です。何故「はまぎく」と言う名前がついたのか。平成9年に全国豊かな海づくり大 会のため大槌町を訪れた両陛下は、浪板海岸にあった同ホテルの前身のホテルに宿泊されました。当時案内役を務めた千代川茂さん(現同ホテ ル社長)は、天皇陛下から海岸に群生する真っ白な花の名前を尋ねられたのです。花と無縁の生活だった千代川さんは誤って「ハマナス」と答えました。すると陛下は側近に「あれはハマギクじ ゃないのかな」とつぶやかれたと言います。陛下の前で大失態を演じた千代川さん、ホテルの役員だったお兄さんがお詫びに後日ハマギクの苗を両陛下に贈ったそうです。そのお兄さんは平成23年の大震災の際、津波で亡くなりました。 ところが、同じ年の10月、皇后さまのお誕生日に宮内庁が公開した写真を見て千代川さんは思わず驚きます。何とその写真に御所に咲く真っ白なハマギクの花が映っていたのです。

★ 津波で壊滅的な被害を受けた同ホテルの再建 には10億円が必要とされ、再建するかどうか 当時千代川さんは逆境に立たされていました。 そんな千代川さんの背中を押してくれたのは御 所に咲いていたハマギクでした。何故ならハマ ギクの花言葉は「逆境に立ち向かう」だったから です。両陛下が力を与えてくれていると思いました。そして平成25年8月、ホテルは見事に再建され「はまぎく」と銘々されたのです。9/28千代川さんはホテルの玄関で万感の思いで両陛下を出迎えました。「お待ちしておりました 」千代川さんの言葉に陛下は「頑張りましたね」 と声をかけられたのです。これまでの苦労が報 われた瞬間でした。皇居と被災地を結んだハマ ギクの花。もし天皇陛下がハマギクの苗を御所に植えていなければ「ホテルはまぎく」の再建もなかったことでしょう。国民はもとより一木一草まで慈しまれ愛される天皇陛下の大御心に触れ、日本国民として生かされている喜びをしみ じみと感じた次第です。12/23(金)は天皇誕生日、教化部では「冬季青少年一日見真会」が 開催されます。子供達に天皇陛下のご聖徳と日本国の素晴らしさを伝える最高のチャンスですので、お子様お孫様を連れて是非ご参加下さい。 今年一年のご愛読に心から感謝申し上げます。 どうぞ良い年をお迎え下さい。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年11月

投稿日:2016年10月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年11月

★ 実りの秋を迎え早くも新米が店頭に並ぶ季節 となりました。”米” と言えば、今年”米寿” を 迎えられた石巻の眞野昭子講師より嬉しい便りが届きましたのでご紹介致します。

「秋映えの候となりました。この頃あちこちで生長の家をはなれられる方をききますが、私は生長の家にて善人となり幸せとなりました。(中略) 家庭の不和、夫婦不調和になやんでいた私が、教化部の練成会に何回も参加して、自分の考えが一番で、 他の人は全部悪いのだと思っていたことが間違っていたことがわかりました。夫を中心に姑さんにも真心を尽くし次第に調和しました。夫が病になりベッド生活となり9 年間看護しました。何事もさせていただくのを心から感謝して、若い時の悪いコトバを発したことを詫びて、毎日二人のうれしい楽しい日々を過ごせ、昨年の3月97才の長寿を安らかに全うして霊界へ移行されました。
素晴らしい人生を終えられた主人、 私もかくありたいと思う。
“朝夕に心静かに神想観真心こめて甘露の法雨” “ありがとうございます” は一日中唱えます。
生長の家の文章は素晴らしいので毎日声を出して言います。神の子は法則を守り、笑顔を忘れず、愛深いコトバを 語り、人を心から褒める人となり、私は今聖典を読み、聖歌を歌い、今、今、心のやすらかさを感じ、いのちある限りみ教えをかみしめ、家族大調和の生活が出来るのも、みんな生長の家を学んだおかげでございます。ありがとうござ います。」
米寿を迎え柿の実が熟するように魂も成熟していく、眞野昭子講師のお便りを読んで小生もかくありたい思わされた次第です。

「歓びの言の葉幸(さきは)ふお便りに 尊き姿拝す嬉しさ」
「年月を重ねるごとに歓びの言の葉( ことのは)増える幸せの秋」

 

★ 新しいと言えば,11/1より松田正道教化部長が宮城教区の教化部長として赴任されます。
こちらは” 新米” ではなく石川教区、空知教区の教化部長を歴任されたベテランです。
11/2午前10時30分より「教化部長就任神前奉告祭」が執り行われます。
新教化部長着任の祭祀ですので、近隣の信徒の皆様はぜひご出席下さい。 大勢で松田先生をお迎え致しましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年10月

投稿日:2016年9月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年10月

★ 髙坂教化部長の転勤はまさに寝耳に水でした。 もちろん一番驚かれたのはご本人だと思います。 生長の家では人事は神事ですから天命というこ となのでしょう。髙坂教化部長が宮城教区に赴任されたのは、平成23年4月1日です。小生の長い職員生活でも忘れることのできない、千年に一度の東日本大震災に見舞われた直後のこ とでした。震災で教化部業務も停止し信徒さんの安否確認をしている最中にも関わらず、故有好教化部長が3月31日で退任し、その替わりに髙坂教化部長が赴任されたのでした。教区がこんな大変な時に教化部長を替えるとは、本部は一体何を考えているのかと憤りを感じ、宮城のことを全く知らない教化部長が来ても、何の力にもならないのではないかと、正直不安に思ったことを覚えています。

★しかし、実際は違いました。単身仙台に来られ、引っ越しの荷物が届かない中、何も無いマンションで一人暮らしを始められたのです。今でも覚えていますが、初日の夜小生の携帯に「部屋に 蛍光灯がない」との電話が入りました。事前に部屋を見たときは昼間だったので蛍光灯が無いこ とに気付かなかったのです。愕然としましたが時既に遅し。事務局長として一生の不覚でした。 奥様のいない不自由な生活を続けられながらも、 髙坂教化部長は宮城教区の復興の先頭に立って 陣頭指揮を取られました。定期的に復興支援会議を開きながら支援物資の支給や支援活動に取り組み、救援募金の配付やお見舞い訪問など被災した信徒宅を精力的に訪問し励まされました。

★ 一方で教区行事の再開にも力を入れられ、5月には震災後初めて宮城練成会を再開しました。 震災後の暗闇に復興の光が灯ったような瞬間でした。又、その年は講習会の年でした。ピンチはチャンス!  禍転じて福となす! その頃の教化部長は、まさにその言葉通り「良き言葉」「明る き言葉」「前向きな言葉」を言い続け、使い続けながら会員、信徒の皆さんに真理の言葉を雨降らせ、勇気と元気とやる気を引き出され、気づいたら震災後わずか7ヶ月しか経っていないの に講習会を開催していたのです。こんなに感動した講習会は後にも先にも無かったと思います。 当時の編集後記には「10月23日、宮城教区の講習会が大感動と大感謝の内に無事終了しまし た。当初は震災の影響で受講者の激減も予想さ れましたが(聖使命会員の被災者件数は死亡、 全壊、半壊を合わせると現在300件)、何と結果は1,679名。前回実績より41名少なかっ たものの目標の1,610名は、みごと突破することができました。万歳!万歳!万歳!」と喜びが綴られています。宮城教区復活の瞬間でした。

★ 教区の最も大変な時に何故髙坂教化部長が着任されたのか。それはあの時宮城に「最も相応しい教化部長」だったからです。髙坂教化部長でなければ教区をまとめることも、復興を加速させることも、講習会を成功させることもできなかったでしょう。まさに神様の配剤としか思えません。千年に一度の震災から、宮城教区を復興させて頂いた御恩に心から感謝申し上げ、髙坂教化部長ご夫妻の今後益々のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。5年7ヶ月間のご指導、本当にありがとうございました。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年9月

投稿日:2016年8月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年9月

★ 残暑お見舞い申し上げます。地球の裏側リオでは連日熱戦が続いています。中でも日本体操男子は団体で悲願の金メダル獲得。個人総合でも内村航平選手が金メダル2連覇の偉業を達成しました。2位のオレグ・ベルニャエフ選手(ウクライナ)とはわずか0.099点差の大逆転劇でした。ところが、会見の席上で男性記者が「ミスタ ー・ウチムラ、あなたは審判に好かれているから良い得点が取れると感じていますか?」という意地悪な質問をしました。内村選手は怪訝な表情をして「ジャッジは公平だと思う」と発言。するとベルニャエフ選手が「航平さんはキャリアの中でいつも高い得点をとっている。それは無駄な質問だ」と一喝、「航平さんを一生懸命追っているが簡単じゃない。この伝説の人間と一緒に競い合えていることが嬉しい」と称賛したのです。 3位のマックス・ウィットロック選手(イギリス) も「彼は皆のお手本です。今日の最後の鉄棒は言葉が無い。クレイジーとしか言えない」と内村選手を絶賛しました。共に戦った戦友だからこそ理解し得る内村選手の偉大さであり、戦い終 えたらお互いの健闘を称え合うスポーツマンシ ップ、ノーサイドの精神に大変感動しました。

★ ノーサイドの精神はスポーツだけでなく国どうしにもありました。かつて日露戦争の旅順攻囲戦で日本軍が勝利を収めたとき、乃木希典大将はロシアの敵将ステッセルと水師営で会見、 その際将軍に帯刀を許し最大限の名誉を与えました。この戦いでの日本の戦死者は約1万6千人、ロシアは約1万人でした。しかし、「昨日の敵は今日の友、語ることばもうちとけて、我はたたえつかの防備、彼は称えつわが武勇」と歌に もあるように、戦い終われば共に祖国のために 戦った勇者として、相手の名誉を重んじ武勇を称えたのが日本精神でした。まさにノーサイド の精神です。しかし、オバマ大統領が広島を訪問した際、中国の王毅外相は「(原爆) 被害者に は同情するが加害者は永遠に責任を回避できな い」と述べ、中国の中央テレビは「米国大統領が 被爆地を訪問したからと言って日本の戦争責任が帳消しになるわけではない」と何度も報道したそうです。彼の国にはノーサイドの精神はないのでしょうか。わが国を侵略国と批判しながら、 南シナ海の岩礁を違法に埋め立て軍事基地化し、 多数の公船漁船を以て尖閣諸島を領海侵犯している国は侵略国ではないのでしょうか。

 

★ と、一人憤慨していたとき『いのちの環』No77の、「人をさばくこと勿れ。… もしその人がよき人と現れなかったならば、それは相手が悪いのではなく、自分自身が実相を見る力の修練が足りなかったからなのである。… すべての人間が神の子であり、仏の子であることを自覚する時 どこにも悪しき人はいないのである。」との文章が目に止まりました。彼の国とも調和しているのが実相世界である。信仰者としてまず彼の国の実相顕現と世界平和の実現を祈ることに致しました。『甘露の法雨』ではありませんが「大調和の神示」を写経して、小さくは個人の病を癒し、 大きくは国家の大病・世界の大病を癒すべきだと思った次第です。9/27の「大調和の神示祭」に向 けて一人でも多くの皆さんに写経を奉納して頂 き、世界平和の実現を祈願致しましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年8月

投稿日:2016年7月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年8月

★楠本加美野著『よろこびの先祖供養』に集録さ れている「破れ寺の若坊主」の話。ある30戸足 らずの小さな漁師村に若い住職が赴任して来ました。お寺は破れ寺、最初は後悔しましたがこれも仏のご縁と、過去帳を懐にその日の物故者の霊を供養するために部落を周り始めました。 初めは村の連中も馬鹿にしていましたが5年も続くと、朝食を出す家や米を持たせる家も現れました。この村の沖にしかけた鰤網に網が破れんばかりに鰤の群がかかり、一日で巨万の札束が転げこんだのはその頃です。よその村の網には一匹もかからずにこの村の網にだけ鰤がかか ります。不思議だ、謎だ。「ひょっとしたらあの若坊主が毎日経を読んでくれるせいかもしれんぞ」誰かが言ったこの言葉は皆を納得させました。5年間1日も欠かさず家々の古仏を掘り起こして読経して歩いているのだ。その祖先をまつる心に仏は幸運の矢を向けてくれたのかもしれぬ。家々から金を集めて寺を復興し、せめてあの和尚の寝る部屋の雨漏りをふせいでやろうではないか。村人に仏心が芽生え、高台に分不相応な巨大な庫裡、本堂、山門が厳然とそびえ立つことになったという話です。

 

★ 教化部では、生前役職者として貢献された方を布教功労物故者として、祥月命日の「月次先 祖供養祭」と、春・秋の「布教功労物故者慰霊祭 」の年3回感謝のご供養をさせて頂いています。 現在260柱ほどになっていますが、ある方から一般の霊牌は宇治に送って1年間聖経供養をされているのに、功労者の霊牌は教化部で供養しているとはいえ、その都度宇治に送らないのは大変申し訳ないのではないかと言われました。 功労者は言わば教化部のご先祖様。教化部でのご供養の後は宇治に送って聖経供養をした方が良いとのご指摘でした。言われてみればその通 りなので、以後毎月その月の功労者の霊牌は別に記載し、宇治にお送り致しました。その年の教化部決算が? 百万円の赤字決算になりました。 ところが、購入していた国債がそれまでにない高利率で売れ、何と赤字とほぼ同じ売却益が入ってきたのです。そこで思い出したのが「破れ寺の若坊主」の話でした。何故同じような金額が入ってきたのか。教化部のご先祖様が喜んで下さ っているのだと思わざるを得ませんでした。今月の「宇治だより」に、「誌友、信徒の皆様は朝に夕に先祖供養を三度の食事同様に日々修しておられることと存じます。意識して行ずるのでもなく、習慣とも違う。おのずから仏前、神前に座して聖経供養を実践しておられますこと祝福申し上げます。」と書かれていました。いつの間にか、毎日のご供養を義務感や責任感でしていたことを反省させられた次第です。8/6は「盂蘭盆供養大祭霊牌奉送祭・先祖供養祭」です。ご先祖様はもちろん縁ある方々の霊牌も宇治に送 り真心込めてご供養させて頂きましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年7月

投稿日:2016年6月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年7月

★東京都の桝添知事が辞任しました。海外出張 に5,000万円の出費や毎週土日の別荘通いに公用車を使用。公務時間で年間36回の美術館巡りはさすがにやり過ぎであり、甚だしい公私混同と言えるでしょう。

しかし何故都民が怒っているのかさえ理解できないことが桝添知事の悲劇と言えます。

ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領は「世界で一番貧しい大統領」と言われていますが、自分の給料の9割は慈善事業に寄付し約10万円( 同国の平均月収は6万円)で生活し、 国際会議にはビジネスクラスや他国の大統領専用機に便乗させてもらい国の経費を節約しています。そのムヒカ大統領は「貧しい人とは少ししか持っていない人ではなく、無限の欲がありいくらあっても満足しない人だ」と言っていますが、その意味では自らの権限に胡座をかき、都民の税金を湯水のごとく使って贅沢三昧な生活 をしながら、何の痛みも感じない都知事はまさに「心貧しき人」と言えるでしょう。

『無私の日本人』で磯田道史氏は次のように書いています。

「ほんとうに大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力を宿らせた人である」

と。

桝添知事の間違いは、人生の価値をお金や財産、世間的地位や名誉などの現象的価値に置いたことです。

その意味では、東大は出ても「七つの燈台」を出ていな いことが最大の誤りだったと言えるでしょう。

 

★ かく言う小生も、若かりし頃は公立高校に入って国立大学を出て、一流会社に就職して社会 的地位を得ることが価値ある人生と考えていま した。

ところが、高校2年生の時に初めて日本武道館で開催した生長の家の全国大会に参加しました。

同じ高校生が体験発表でアルバイトしたお金で『理想世界』誌(現在の普及誌)を購入、 クラス全員に愛行しているという話を聞いて、 驚き感動したのです。

アルバイト代を自分のた めではなく学園光明化のために使っている、こんな高校生が世の中にいたのかと。

谷口雅春先生は『青年の書』で

「真の人間の価値は”彼が何を持つか” ということにはないのであって、” 彼が何であるか” ということにあるのである。… 包紙や宝石箱がいかに立派であろうともその中の宝石が偽物であったならば何の値打ちもないのである。

外の冨や名声が立派であるのはただ宝石箱を華麗絢爛に包装するのと同じである。それよりも真の自己の魂の宝石を本当のものたら しめなければならないのである。」

と説かれてい ます。

人生の価値は外側ではなく内なる魂や人格を高め輝かすことにあると。都知事の失敗を繰り返さないためにも、正しい人生の目的、真の人間の価値を多くの人達に伝えていくことの 大切さを改めて感じた次第です。

7/10の「相愛会教区大会」、7/16~ 18の「青年練成会」に多くの皆様のご参加をお待ちしています。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年6月

投稿日:2016年5月31日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年6月

★大和町吉岡が舞台となった映画「殿、利息でご ざる! 」が公開されました。この映画は史実を基 に作られたものですが、原作の『無私の日本人』 を読んで驚きました。こんな立派な人達が宮城 県にもいたのかと。250年前吉岡は吉岡宿と呼ばれた宿場町でした。その吉岡で酒屋を営ん でいたのが穀田屋十三郎です。十三郎には悩みがありました。それは吉岡の町が年々寂れていくことです。その原因は「伝馬役」と呼ばれる藩の重い労役にありました。年貢の他に課せられた重い負担に耐えられない町民は、町を出るため町は寂れていく一方でした。「このままでは吉岡は亡ぶ」というのが十三郎の悩みでした。十三 郎は吉岡きっての知恵者と言われた菅原屋篤平治に相談します。すると菅原屋もそのことに心を痛め吉岡再生の秘策を考えていました。その秘策とは藩にお金を貸してその利息を町民に給付するというものでした。藩に貸すお金は千両、 現在の3億円。利息は年に1割で百両、3千万円です。しかし、貧しい宿場町で千両を集めることは容易なことではありません。二人は例え家屋敷、家財道具、衣類を売り払って身代が潰れてもこの大願を成し遂げることを誓いました。

★ その大願に9人の同志が集まりました。中でも十三郎の生家浅野屋は吉岡きっての酒屋でし たが、父甚内も吉岡宿の疲弊を憂え浅野屋の銭は吉岡再生のために使うことを遺言し、父の遺 志を受け継いだ弟は浅野屋の身代を投げ出して千両の約3分の1に当たる1億円を出資したのでした。その結果、千両の大金が集まりましたが、 そのお金を藩に貸し付けるまでには、更に嘆願書を藩の上層部に届け許可を取るという前代未聞の苦労がありました。しかし、十三郎らの大願は代官所を動かしついに藩の財政を預かる出入司、萱場杢を動かして許可を得ることができたのです。吉岡宿には毎年百両の利息が届くよ うになり、吉岡宿はそのおかげで潤い、幕末に至るまで人口が減ることは無くなりました。七夕には毎年豪華な飾りが家々の門前に立てられ、人々の歓呼の声がこだましたそうです。

★ 「積善の家に余慶あり」と言いますが、身代が傾いた浅野屋にはその後藩主伊達重村が訪れ、 直筆の「霜夜・寒月・春風」の書を賜り、それを銘酒としたことで浅野屋の酒は飛ぶように売れ潰れずにすみました。十三郎の穀田屋は他の店は絶えたにも関わらず、何と平成の今も続いているとのことです。私心を捨てて公のために尽くす” 捨徳” を生きた先人の姿に心から感動し感謝した次第です。しかし、吉岡宿の話は決して他人事ではありません。宮城県教化部も度重なる聖使命会員の減少に伴い厳しい財政状況に陥 っているからです。このままでは「十三郎の悩み」が現実のものとなり兼ねません。教化部再生のために千両とはいかなくとも月額1万円の「特志会員」や「道場維持費」を奉納して下さる、平成の穀田屋十三郎の出現を期待しています。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年5月

投稿日:2016年4月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年5月

★桜花爛漫の春を迎え各地で桜の便りが聞かれ た頃、教化部にも嬉しい便りが届きました。宇 治別格本山に勤務している鈴木直人君からの便 りです。

「お久しぶりです。宇治に来て約1年半になりました。毎日慌ただしく色々なことがあ りますが、毎日道場生活をさせて頂いて一所懸命働いて沢山勉強しています。食堂でも色々と 仕事を任されるようになり、僕が料理を担当する機会も増えてきました。練成部の一員として もより素晴らしい練成会を開催するために、仲間と共に祈ってアイディアを出し合い一所懸命頑張っています。今朝、本山の精霊招魂神社近くの林から筍を掘ってきました。お早めにお召し上がり下さい。又、是非宇治にもお越し下さい。 僕も時間ができましたら教化部に顔を出したいと思います。」

教化部を退職して1年10ヶ月。 今や宇治別格本山の正職員となり練成会の炊事担当として元気に働いているとのこと。当時を知っている誰が今の直人君の姿を想像し得たでしょう。「聖霊天降る宇治」と言われますが、宝蔵神社の御祭神そして宇治の自然や道場生活が直人君の病んだ心と身体を癒し、神の子の実相を引き出してくれました。

「落葉したときに、その木は萎縮したのではなく、年輪をきざみつつ、 その木質は堅緻となる。而して来春の花のために準備がすすめられつつあるのである。それと 同じく、人間も失敗したように見え、行き詰ま ったように見え、足ぶみしたように見えるときに、その魂は進歩しつつあるのである。」

(『新版 栄える生活365章』P205 )

春の便りに、宇治の 筍の如く大きく逞しくすくすくと成長している 直人君の姿を思い心から嬉しく感じた次第です。

★今年は例年よりも早く教化部前の八重桜が咲 きそうです。その八重桜を見る度に思い出され るのは昭和天皇の

「風さゆるみ冬は過ぎてまちに まちし八重桜咲く春となりけり」

「国の春と今こ そはなれ霜こほる冬にたへこし民のちからに」

の御製です。
昭和27年4月28日サンフランシ スコ講和条約が発効し、日本が独立を回復した ときの歓びを詠まれたものです。昭和天皇にと って昭和27年の春は国民と共に国難を乗り越 えた歓びそのものでした。大東亜戦争の敗戦占領はわが国にとって未曾有の国難でした。その国難に対し、昭和天皇は国民を慰め励まし、生きる勇気を与え復興に起ち上がってもらうことが自らの責任であると「全国ご巡幸」を始められたのです。ご視察日数165日、距離数3万3千キロ。沖縄を除く全国46都道府県を隈無く歩かれました。被爆地広島では7万人の県民が陛下の御巡幸に感泣し生きる希望を見出しました。 佐賀の因通寺では両親の位牌を抱えた戦災孤児を涙を流して励まされました。静岡では巡幸反対を唱える共産党員もお帰りの際には「天皇陛下万歳」を叫んでいました。戦いに敗れ焦土と化した日本は、陛下のご巡幸によって国民の心が一つになり奇跡の復興を遂げたのでした。独立回復から64年目の春を迎え、今も尚輝き続けている皇室と国民の絆に日本国の有り難さを感じた次第です。

4/29~5/1、「白鳩会全国幹部研鑽会」「相栄合同全国幹部研鑽会」「青年会全国大会」が開催されます。満開の八重桜と共に皆様のご参加を心よりお待ちしております。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年4月

投稿日:2016年3月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年4月

★ 「水をくむ少年」は水を入れた大きなペットボ トルを両手に抱え、口を真一文字に結んで歩く少年の写真です。気仙沼市のガレキの中で撮られた写真が新聞に載り被災者を励ましました。 一昨年他界した俳優の高倉健さんも励まされた一人です。健さんは新聞から切り抜いた写真を「宝物」として台本に貼り付け、「毎朝写真を見る とぎゅつと気合いが入る」と語っていたそうで す。少年の名前は松本魁翔(かいと)君。当時小学校4年生だった少年も、今年中学校を卒業し仙台の高校に進学が決まりました。津波で自宅が全壊し親戚の家に身を寄せていた当時、「みんなの役に立ちたい」と近くの井戸で何度も水を汲んだそうです。釘を踏み足を怪我しても黙って耐えたこの少年は、この5年間バスケと空手で心と体を鍛え、女手一つで自分と姉、妹を育ててくれた母親に「次は俺が守る番だ」と決意を固めています。母子家庭で家計が苦しい中でも3人の子供を必死に育てている母。その母の愛情に応えて逞しく成長している息子。まさに「この母にしてこの子あり」です。震災復興5年目を迎 えた春の嬉しいニュースでした。

★母と子と言えば「保育園落ちた日本死ね!」というブログが話題になっています。1歳の子供を保育園に預けられなかった母親が、怒りのままに書いたブログがツイッターで拡散。「待機児童ゼロ」を掲げる安倍政権への格好の攻撃材料になっているのです。しかし「初めに保育園ありき 」の議論には違和感を禁じ得ません。待機児童の年齢はわずか0歳~3歳。つまり一番母親の愛情と温もりが必要な乳幼児期なのです。皇后陛下が詠まれた御歌に「あづかれる宝にも似てある ときは吾子(わこ)ながらかいな畏れつつ抱く」 がありますが、わが子と言えど神様からの預かりもの授かりものです。中には望んでも赤ちゃんに恵まれない親もいれば死産流産する子供もいるのです。ならば折角授かった子宝。母親になれたことに感謝して、せめておむつが取れる までは母としての愛情を注いで大切に育ててもらいたいものです。ブログには「どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。ふざけんな日本。」と書いてありましたが、こんなママ達が増えたらそれこそ「どうなるんだよ日本」です。その意味では、今必要なのは「保育園」ではなく「母親教室」だと言えるでしょう。

「人間は神の子であ り、神が” 神の子” を生み給うのであるから、その生育に必要なる費用は、必ず神がそれを与えたもうのである」(『新版栄える生活365章』 P196 )

この真理の拡散こそ悩めるママ達の最高の救いとなり、待機児童ゼロを実現することにな るでしょう。母親教室の使命大なりです。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年3月

投稿日:2016年2月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年3月

★3/1は生長の家の立教記念日。33ある神示の中で谷口雅春大聖師に一番最初に天降ってきたのが 「生長の家の食事」の神示です。何故食事なのか? 疑 問に思った方もいるのではないのかと思います。しかし「真田町の奇跡」を知って疑問が氷解しました。 長野県真田町(現在の上田市) の教育長を務めた大 塚貢先生の教育改革はまさに「食事の神示」の実証と言えるのです。平成4年長野県の中学校に校長として赴任した大塚貢先生。廊下をバイクが走り抜け、 校舎に落ちているタバコの吸い殻を拾い集めるとすぐにバケツが一杯になる。授業を抜け出すのは当たり前、非行や犯罪事件は毎日のように起きる、中学校はまさに荒廃の極みにありました。いったい何が原因なのか。全校生徒を対象に食の実態調査をす ると38%が朝食を食べてこないことがわかりました。朝食を食べてきた生徒の食事内容も、菓子パン、 ハム、ウインナー、人口甘味のジュースが多い。夕食はレトルトカレーや焼肉が多かった。生徒が食べているのは肉類や加工品ばかり。血液をきれいにする野菜や青魚などは摂っていない。これでは血がドロドロになり必要な酸素や栄養分が行き渡らないため、情操や判断力を司る人間の脳が正常に機能しないことがわかりました。食事が原因だ! 大塚先生は、PTAを開いて食生活の重要性をお母さん方に訴えるのですが誰も聞く耳を持たない。全く無関心。そこで学校の給食を変えることを始めるのです。

★ 給食も、菓子パン、揚げパン、中華麺、スパゲティ、 それに副食は肉が主流。家庭の食事と同じでした。 そこで、主食はパンから米飯に、副食は魚や野菜に変えようとしました。ところが、待っていたのは生徒の反発、教師達からの反発、保護者からの猛反発でした。「あの校長は疫病神だ」と非難の嵐が巻き起こりました。しかし、しばらくすると生徒達に変化が現れてきたのです。本を読むようになったのです。 荒れていた頃は本を読む生徒はいなかった。それが給食を食べ終わると図書館に行って争うように本を 読むようになりました。図書館の120席が満席になり、床に腰をおろしたり廊下に出てまで読んでいます。荒れていた頃は図書の紛失が年間400冊もあったのに、本を読むようになってからは紛失がなくなりました。生徒の文章力が向上し「全国小中学校作文コンクール」に参加して1位2位に選ばれる ようになりました。校内にはあれほど落ちていたタバコの吸い殻が一本も無くなり、不登校も50人か ら2人に、非行やイジメはゼロになりました。そして、生徒達は自分から勉強するようになり問題校が優秀校へと変貌しました。大塚先生の食の改善は「真田町の奇跡」とまで呼ばれ、今では各地の学校、 行政、企業までが取り入れるようになりました。食事は自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式 であり、人の一生を左右する本当に大切なものであることを改めて実感した次第です。3/4 ~ 3/6は “日本一”  のおいしい食事が食べられる「第334回神性開発宮城練成会」が開催されます。3/5にはゲ スト講師古田圭司先生(山形教区教化部長) の特別講話もありますので、皆様ぜひご参加下さい。

(T )

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