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光のおとずれ 編集後記 令和3年10月

投稿日:2021年9月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★ 「落慶30周年記念ネットフォーラム」が、多くの 皆様のご尽力により無事終了することができました。 関わった者として、思った以上の出来映えに安堵しま した。お陰様で記憶に残る落慶30 周年行事となりま したが、次回の落慶40周年は無事開催されることを 念願する次第です。

ところで、落慶30周年に当たっ て記念パンフレット『30年の歩み』を作成しました。 実行委員会でそれぞれの担当者を決めましたが、記念 パンフレットは「光のおとずれ」の編集者として、小職が担当することになりました。そのため、落慶当時 からの「光のおとずれ」や「責任役員会議事録」に目を通す機会が与えられ、改めて30年の歴史を振り返 ることになりました。驚きだったのが講習会です。当時は毎年開催していたのは覚えていましたが、ナント 平日の水曜日に開催していました。それでも3千名台 を集めていたのですから驚きです。平成13年の講習会から2年に一度の開催となり、仙台サンプラザホー ルで日曜日の開催となりました。小職は平成14年 10月1日付で教化部事務局長になりましたが、その 翌年に当時副総裁であった谷口雅宣先生と純子先生お 二人での講習会が始まり、会場も仙台サンプラザホー ルと名取市文化会館の2会場での開催となって、夜遅くまで一人教化部に残って講習会の準備をしてい たことを思い出しました。平成16年には教化部会 館の補修工事とそれに伴う募金活動が始まり、加えて ISO14001 の認証取得、太陽光発電装置の設置等、 教化部業務はもちろん( 練成会は毎月開催)、本部、業者、NEDO( 国) への対応など、今考えてもよくやっ てきたものだと感心します。当時47歳、働き盛りの元気な時代だったということでしょう。

★この30年で一番大きな出来事はやはり千年に一度 と言われた「東日本大震災」でした。宮城教区の信徒 さんも本人や家族に犠牲が出たり、津波で家が流され たり、仮設住宅の生活を余儀なくされた方々も多数出 ました。大東亜戦争で焦土と化した、日本の戦後復興 を彷彿させるような体験でした。被災地の復興支援活動、被災者の心の復興支援に、宮城教区挙げて必死で 取り組んだことを思い出します。忘れられないのは、 その年に開催した講習会でした。誰も開催できるとは 思っていなかった講習会。それが実現できた喜び。震災後初めて顔を合わせる方々。被災地からも馳せ参じ てくれた信徒の方々。震災の痛手を信仰によって乗り越えた方々が、初めて一堂に会した講習会。涙、涙の講習会は後にも先にもこの時の貴重な体験でした。

3 年前の「台風19号」による丸森町、角田市の豪雨災 害も忘れることはできません。被災地の光景は東日本 大震災を思い出させました。被災した信徒の皆さんの 力になればと、相白青教化部一致団結して取り組んだ 復興支援活動。その直後に天皇皇后両陛下の行幸啓を 仰ぐことができ、本当に神様からのプレゼントだと思 いました。定年を前に11/ 14の講習会が最後のご 奉公と思っていましたが、中止となった今、記念パン フレットの作成に携われたことは、まさに神様からの プレゼントと思われた次第です。

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光のおとずれ 編集後記 令和3年9月

投稿日:2021年8月31日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★ 「若人われらの理想の国は 青葉の都よ ああ東北学院 世の光 わがほこりいざほめよや 友よ もろごえ あわせてわれらの学院」これはわが母校、東北学院高校の校歌です。この夏、東北学院高校野球部 が宮城県代表として甲子園に出場しました!もちろん 初出場であり、創部50年目の快挙でした。それだけでも驚きですが、ナント8/11大会2日目の第4試 合で、あのイチロー選手を輩出した名門・愛工大名電高校と対戦。伊東大夢投手の気迫あふれる投球と、山田将生選手の走者一掃の二塁打などで、接戦の末みご と5対3で愛工大名電を破りました!初出場で初勝利 の大金星です。まさか甲子園で母校の校歌が聞けると は思いませんでしたが、その時に歌ったのが上記の校 歌でした。

小生が卒業したのが昭和50年(1975 年 ) ですから、46年ぶりの校歌でしたが、不思議なも ので歌うことができました。小生の高校時代は帰宅部 でしたが、友人は野球部に入り毎日黙々と練習をして いたのを覚えています。今から思えば、その時は創部 して間もない2年目のチームだったのです。それから 50年、先輩たちが日々の厳しい練習に耐え、時には 悔し涙を流し、時には喜びの涙を流しながら、営々と 築いてきた野球部の伝統という「バトン」を、後輩た ちがしっかりと引継ぎ、ついに今年甲子園出場という 夢の切符を手にすることができたということなのでし ょう。甲子園初勝利の影には、創部50年の歴史があったことも忘れてはならないと思った次第です。

★歴史と言えば、宮城県教化部も今年で落慶30周年を迎えました。平成3年4月14日に現在の西中田に 教化部会館が落慶してから今年で30年を迎えました。 本当であれば、落慶30周年をお祝として、この秋に 「記念練成会」「記念式典・祝賀会」を開催することに なっていました。しかし、コロナの収束が見込めない ため残念ながら「記念練成会」「記念式典・祝賀会」と も中止となり、その変わり、9/19( 日) に「生長の 家宮城県教化部落慶30周年記念NF 」を開催するこ とになりました。現在30年の歴史を紹介する「写真 で綴る30年の歩み」を製作中です。林光彦教化部長、 泉英樹教化部長、伊藤八郎教化部長、菅原孝文教化部長、 渋谷晴雄教化部長(代行)、安藤満教化部長、有好正光 教化部長、髙坂幸雄教化部長、そして現在の松田正道 教化部長まで、9代30年の膨大な量の写真から、代表的な写真をピックアップして画像に取り込む作業を しています。その写真の選別作業をしてくれているの が、当時の状況を熟知している福田みどり講師会長と 関口洋子講師です。お二人には大変ご苦労をかけてい ますが、この「写真で綴る30年の歩み」こそ、宮城教区の光明化運動を次世代につなぐための、まさに光 明化運動の「バトン」になるのではないかと思ってい ます。又、教化部では落慶30周年をお祝いして、1 口5百円で「協賛金( お祝い金)」を募集しています。 一人でも多くの皆様のご協賛をお願い申し上げます。 因みに、甲子園出場を祝して小生にも1口5千円の寄付依頼が来ましたので、初出場祝いとして?口、初勝 利祝いとして?口を寄付させて頂きました。

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光のおとずれ 編集後記 令和3年8月

投稿日:2021年7月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★皆さんは「金澤翔子さん」をご存知でしょうか。 1985年生まれの女流書家です。5歳からお母さん に師事して書を始め、20歳で銀座で個展を開き、その後、法隆寺、東大寺、薬師寺、大宰府天満宮、伊勢 神宮、春日大社等、名立たる神社仏閣で個展を開き、 揮毫を奉納しています。ローマ教皇に書を差し上げ、 天皇陛下の御製を揮毫した石碑が立ち、ニューヨーク、 チェコ、シンガポール、ドバイ、ロシア等でも個展を 開催した凄い経歴の持ち主です。その翔子さん、実は 「ダウン症」という障害を持って生まれて来ました。

★ダウン症だと知った母の泰子さんは、背筋が凍るほ どのショックを受けたと言います。すっかり希望を失 って、二人で死のうとそれだけを考えて5年間苦しみ 続けました。翔子さんは5歳のときに始めた書道教室をきっかけに書に目覚めます。しかし、小学4年のと きに学校から進級を断られ、家で朝から晩まで般若心経を写経する生活になりました。泰子さんの厳しい指 導に涙をこぼしながらも書き続け、10歳の時に書い た般若心経は「涙の般若心経」と呼ばれています。し かし、泰子さんは「涙の般若心経」がなければ、今の 翔子の書の基本、そして集中力、持続力は培われなかったかもしれないと言い、普通学級への進級を断られ たことも必然であったと思われると言います。

★ 「翔子はダウン症だけど、こんなに立派な字を書け るのだから、20歳になったら翔子の書をお披露目しよう」52歳の若さで亡くなったご主人との約束で、 銀座で個展を開いたそうです。そしたら、全国から 2,000 人を超える方々が見に来られ、皆さん翔子さん の作品を見ながら涙を流されたのです。テクニックな ら私の方がずっと上、ただ、翔子はみんなに喜んでほしいという思いだけで書きます。そんな汚れを知らな い純粋な魂が、見る人の胸を打ったのかもしれないと 泰子さんは言います。そして、彼女には競争も、他人との比較も、地位も名誉などの欲望も一切ありません。 いつでも慈愛に満ち溢れ、100% 豊かな時間を生きて いると。そして、今では泰子さんも翔子さんのお陰で 世俗の価値観で生きなくなり、生きている人は皆尊いと思えるようになったと言います。

★その翔子さん、30歳から一人暮らしを始めました。 見事な位に自立して、自宅に帰ってきたのは大晦日の1日だけ。翔子さんは今日も、跡継ぎのいないお店の店主とお話をし、足の悪いおばあちゃんの様子を見るために立ち寄り、毎日午後6時に布団屋さんのシャッ ターを閉めるのを手伝い、寝る前に野良猫のブラックを抱っこしに行きます。翔子さんはいつでもその場で 一番悲しい人のところに行き、そばで寄り添っています。翔子さんは買い物はできますが、計算はわかりま せん。だけど、地元商店街の人々は、翔子さんを「街の誇りだ」「翔子さんは太陽だ」「小さな魔法使いだ」 と口を揃えて言います。実際、商店街はキラキラと輝く魔法の国になりました。この宇宙に満ちているものは、ただ一つ、愛である。コロナ禍の世の中で、不安や混乱、対立や分裂が満ちている中、今こそ結びの力が必要であることを教えられた次第です。

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光のおとずれ 編集後記 令和3年7月

投稿日:2021年6月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★7/ 24( 土)「自然の恵みに感謝するPBS活動N F 」が開催されます。今年もコロナの影響で「自然の 恵みフェスタ」が中止となりました。そこで自然の恵 みに感謝して活動しているPBS 活動をネットで紹介 することになりました。各PBS 活動の写真や動画を事前に収録して、それを時間内に編集し音楽や文字を 入れて作成する、言わば教区版PBS 活動紹介ビデオ という体裁になっています。そのために、現在SNI オ ーガニック菜園部、SNI 自転車部、SNI クラフト倶楽 部が、それぞれ写真や動画を撮影し編集しているとこ ろです。その努力の一端を紹介致しましょう。

★まずオープニングですが、講師会で作成した「電子紙芝居」を使用することになりました。生長の家が何故PBS 活動に取り組むのか、何故ノンロック・リレ ーをするのか、とてもわかりやすい内容になっていま す。紙芝居は三浦みか子副会長が作成(力作です! )。 それぞれの配役の「声」の出演は講師会の正副会長が 担当しています。教化部長も出演していますし、あのコロナビッチ君も登場します。どうぞお楽しみに!

★オーガニック菜園部は「ホッキ飯」と「家庭菜園」 の紹介です。ホッキ飯は3/ 10に収録したものです。 ホッキ貝は、加藤ゆう子さんの旦那さんがわざわざ魚市場で買って来てくれた、大ぶりの貝を使用していま す。ホッキ飯は亘理町の郷土料理ですが、加藤さんの 実家は相馬市でホッキ貝の卸業を営んでいたそうで、 子供のころからホッキ貝で育ったとのこと。貝の捌き方はまさに必見の価値ありです。収録後ご馳走になり ましたが、本当に美味しく大満足でした。「家庭菜園」 はオーガニック菜園部の会員さん宅で栽培された、花や野菜が紹介されます。珍しい野菜もありますので、 一体どなたの野菜なのか、楽しみにしてください。

★自転車部は、宮城県の「名所・旧跡」紹介のために、 長田職員が朝3時に岩沼の自宅を出発して、自転車で 4時間かけて松島に行き、瑞巌寺や五大堂を撮影して 来ました。両腕を見せてもらいましたが日焼けして真 っ赤でした。努力の跡が偲ばれます。千葉満会長は富谷の自宅から大郷町を自転車でポタリング。長閑な田園風景と鶯の声の映像には心が癒されます。途中、自生しているワラビや桑の実を紹介してくれますが、桑の実をジュース代わりに食べたりワラビを収穫したり、 本当はこれが目的だったのか?と思ってしまいました。

★クラフト倶楽部は、「段ボールイス」と「へちまタ ワシ」です。段ボールイスは災害時に活用できるアイ テムであり、へちまタワシは自然素材の環境に優しい アイテムです。へちまは昨年、登米フラワーさんから 頂戴した苗を教化部で育てて、屋上まで弦が伸びて大 きなへちまになりました。栗田職員が大鍋で茹でて実 を取り、乾燥させて作ったものです。実際お風呂で使 ってみたそうですが、ちゃんと洗えたと言っていまし た。興味のある方は挑戦してみてください。

★いずれも劣らぬ「力作」ですが、一番大変だったの は「編集作業」です。白鳥道雄さんと相澤職員が独学 で学び、担当してくれました。果たして旨くいくかど うか、乞うご期待です!

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光のおとずれ 編集後記 令和3年6月

投稿日:2021年5月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★宮城県・仙台市では独自の「緊急事態宣言」が5/ 31まで延長されました。
外出制限で打撃を受けるの が、飲食業や観光業。給付金で何とか急場を凌いでいますが、廃業や倒産する零細企業も相次いでいます。「告知」で紹介したフードバンクですが、コロナ禍で失業したり収入が激減して、食事にも事欠く家庭が増え ている現状は他人ごとではありません。そんな中、N HKの番組「逆転人生」で紹介された「佐藤繊維」の、 佐藤正樹社長に勇気と希望をもらいました。

佐藤繊維 は山形県寒河江市にある紡績・ニットメーカーの会社 です。その4代目の社長が佐藤正樹さん。東京のアパ レルメーカーに勤務して、故郷の山形に戻り家業を継いだときは、飛ぶ鳥を落とす勢いがあった繊維業界も終焉を迎えようとしていた時代でした。安い人件費を背景とした海外製品が大量に輸入されるようになり、 山形に約450社あった繊維業界も20社余りに激減 しました。苦闘を続ける中、佐藤さんはイタリアで開 催された糸の展示会を訪れ衝撃を受けます。日本では 安い海外製品と競争するために、如何に安く作るかを目指していたのが、イタリアでは自分たちが本当に作りたい糸を自由に作っていたからです。衝撃を受けた 佐藤さんは、自分の会社でもどこにもない独創的な糸を作ろうと熱く語りますが、古手の職人からは「正樹ちゃんはイタリアへ行っておかしくなった」と相手にされず、苦闘の日々を過ごすのです。

 

★それでも説得を続けた結果、遂に職人が動き出し、 ところどころに玉のような膨らみがあり、不規則なグ ラデーションがかかった見たことも無い不思議な糸が 生まれました。職人の「できない・編めない」が「やってみる・たぶんできる」に変わりました。その後、 アンゴラヤギの毛「モヘア」に出会い、当時不可能とされた「世界一細いモヘア糸づくり」にも挑戦します。 そして、通常1g 26 ~ 27 mのモヘア糸が、佐藤さんの会社では52 mにまで伸ばし、世界一細いモヘア糸を作ることに成功したのです。2007 年、イタリア のフィレンツェで行われた国際的な見本市に出展。翌年には世界一流のブランドが競って佐藤さんの糸を求 めたのでした。2009 年1 月、オバマ大統領就任式、 ミシェル夫人が着ていたニットのカーデガンは、有名ブランド、ニナ・リッチに納品した佐藤繊維の糸で編 まれたものでした。山形県寒河江市の町工場で作られた糸が、ナント大統領就任式やノーベル平和賞受賞式 で、大統領夫人が着用する服になったという話です。

 

★山形の小さな会社でも、やる気とアイディアで「オ ンリーワン」の製品を生み出すことができるのです。 どんな不況や不景気でも繁栄する道は残されているという事です。

「人類は永遠に繁殖し、常に新しきアイ ディアの実現せる商品を求めているのである。わが家の事業は、神から常に新しきアイディアを受けて、それを実現して人類に提供するのであるから、需要限り なく永遠に繁栄をつづけるのである。」

聖教『真理の吟唱』P172「事業に新生面をひらく祈り」

6/ 17は「谷口雅春大聖師三十六年 祭」。不況や不景気を乗り越える真理が、今こそ求め られている時はない、と思った次第です。

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光のおとずれ 編集後記 令和3年5月

投稿日:2021年4月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★4/13 教化部に新たにパート職員が奉職致しまし た。齋藤祥子さんです。ご存知のようにご主人は生教 会会長の齋藤貴之さん。青年会時代はヤングミセス対 策部長として活躍され、3人の子供たちは赤ちゃんの 頃から教化部に通い生命学園に入って、青少年練成会 の常連となっています。この度、長田弘職員が4/5 付 で教化部事務局次長に就任するに伴い、これまで長田 職員が担当していた聖典業務(特別会計)、相愛会、栄 える会の経理業務を他の方に担当してもらう必要があ り、一番適任の方を探していました。

そんな時に齋藤 祥子さんの名前が上がり、早速連絡するとちょうど3月末で勤めていた仕事の契約が切れ、新しい仕事を探 していたとのことでした。後で本人から聞いた話です が、次の職場は自宅から自転車で通える所、と言うの がご主人と話していた最大の条件だったそうです。そ んな絶妙なタイミングで教化部から連絡が入り、この度の教化部奉職となりました。ご本人は青年会からの 筋金入りの信仰者で、家族も生長の家一家。自宅からは自転車で25分で通える職場。教化部にとっても本人にとってもウィンウィンの関係で、まさに神縁の然らしめるところと心から感謝した次第です。

コロナ禍で教化部行事も誌友会も開催されない今こそ、日頃読めなかった『生命の實相』40巻を始め、万巻の真理 の書を心行くまで読破する絶好のチャンスです。春風 のような爽やかな笑顔の聖典担当が待っていますので、 皆様どうぞ聖典をお買い求めに教化部にお越しくださ い。皆様のお越しをお待ちしています。

★聖典と言えば、今年のNHK 大河ドラマは「青天( せいてん) を衝け」でした。主人公の渋沢栄一は明治から昭和初期にかけて、近代日本経済の発展に最も尽力し貢献した人物です。渋沢が創業に関わった企業は、 東京電力、東京瓦斯(現・東京ガス)、帝国ホテル、王子製紙、札幌麦酒会社(現・サッポロビール)、帝国劇場(現・東宝)、東京貯蓄銀行(現・りそな銀行)、横 浜正金銀行(現・三菱UFJ 銀行) など、その数実に 500社。現在も重要なインフラを担っている企業が多数含まれています。さらに経済活動だけでなく、社会公共事業が大切だと医療、教育を支援し、東京慈恵会、 日本赤十字社、聖路加病院、理化学研究所等の病院の設立に関わり、一橋大学や同志社大学、二松学舎、早稲田大学、日本女子大学等の学校の設立を助けました。 にも関わらず、渋沢は三井や三菱のように「渋沢財閥 」を作らなかったのです。何故か?渋沢の信念は「私の事業のために奔走するのは一念国家の利益を図るにある」だったからです。幼少期に学んだ『論語』を拠り所に倫理(論語) と利益(算盤) の両立を掲げ、富を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に富は全体で共有するものとして、社会に還元することを説くと同時に自身も心がけたのでした。生長の家で説く繁栄の黄金律、「与えよさらば与えられん」を実践した実業家が渋沢栄一だったのです。NHK のSDGs で紹 介された渋沢ですが、生長の家との共通点はここにあ ることも知ってもらいたいと思った次第です。

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光のおとずれ 編集後記 令和3年4月

投稿日:2021年3月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★3月は卒業シーズンでしたが、この度目出度く卒業式を迎えられた方がいます。3/13 に開催された「布教功労物故者春季慰霊祭」での話です。ご遺族代表として挨拶をされた涌谷町のF・Kさん。生長の家を信 仰していた姑さんから、子供が病気をしたと言っては 「母親の心の反映だ」と裁かれ、Fさんが病気で入院 したときは「病気は心の影だ」と言って裁かれました。 自宅で誌友会を開催していましたが、姑さんは話を聞 いているだけで、講師の送迎からお茶出し、参加者の食事のお世話はすべて嫁のFさんの役割でした。そんな姑さんに感謝などできるはずもなく、旦那さんに愚 痴や不満を言えば言うほど夫婦の間は不調和となり、 旦那さんはパチンコ三昧。子供達にもトラブルが続出 し、挙句の果てにFさん自身も脚立から落ちて全治2カ月の入院を余儀なくされました。嫁姑問題で人生のどん底を体験したFさんでしたが、それでも生長の家 の教えを信仰し続けました。姑さんが92歳になって自宅で介護生活を始めるようになってから、Fさんの気持ちに変化が起きました。お風呂で姑さんの髪を洗 い背中を流していると、実の両親に一度もしてあげられなかったことを思い出し、姑さんを通してさせて頂 いていると思えるようになったそうです。「ありがとう」と感謝して手を合わせる姑さんの姿に、自分を磨いてくれる観世音菩薩と思えるようになったと言いま す。昨年4月に94歳で姑さんは他界されましたが、 心から感謝して最期を見送ることができたと言われました。「姑さんという粗い砥石がなければ自分の我は 取れなかった」と、しみじみ感謝の言葉を述べられた F・Kさん。人生学校の課題を目出度く卒業された姿に、 勇気と希望をもらった次第です。

 

★嫁姑問題で思い出されたのが谷口輝子先生のお話で す。輝子先生が雅春先生と結婚した当時、舅姑さんから烈火の如く怒られました。「雅春の気狂には仕方な いが、せめて連れ添う女房でもしっかりしていたら、 この気狂のすることを止めてもくれようものを、同じ 気になって乞食の真似をしようという、お前のような 女房を持ったら、雅春は一生うだつが上がらない」激しい舅と姑との怒りの前に私は泣き伏した、と『めざめゆく魂』117 頁には書いてあります。それから20 年が過ぎ生長の家立教10 年を迎えた昭和15 年。東京の先生宅に訪ねて来られた舅姑さんが言われた言葉 です。「雅春の気狂は一番大きゅうなって、私は本当 に嬉しいよ。これもやはり連れ添うあんたが偉いからや」「いいえ私なんか何もできないんですよ」「いや、 そうでない、そうでない。あんたのお陰やと思うて、 私はあんたを拝んでいるよ」と。かつては「貧乏嫁、 貧乏嫁、お前のような貧乏の好きな嫁は、谷口の家を潰してしまうぞ」と罵っていた舅姑でしたが、輝子先生を拝む舅姑に変わっていたのでした。否、そうでは なく、舅姑さんは初めから神の子だったのであり、輝子先生も舅姑さんという観世音菩薩様から、拝めない人を拝む勉強をさせて頂いたということなのでしょう。 ならば私達も身近な観世音菩薩様を、拝んで拝んで拝み切って、一陽来復の春を迎えましょう。

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光のおとずれ 編集後記 令和3年3月

投稿日:2021年2月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★3月1日は「生長の家立教記念日」。今年で立教 92年を迎えます。今年はコロナの影響で〝森の中の オフィス〟からのライブ配信になりましたが、立教 100年を迎える時は全世界上げて「立教100年」 を盛大にお祝いしたいものです。ところで、立教記念 日というと「3/ 1」ですが、この日は昭和5年に『生 長の家』誌創刊号が発刊された日です。つまり、谷口 雅春先生が生長の家の教えを伝えるために立ち上がら れた日なのです。「教えを伝えるために立ち上がられ た」という意味で「立教」です。しかし、私はもう一 つ「立教の日」があると思っています。それは谷口雅 春先生が「生長の家の教えを信じて立ち上がられた日 」です。それが昭和4年12月13日でした。ご存知 のように、谷口雅春先生が神様から「今起て! 」との 啓示を受けられた日です。この日は、先生のご自宅が 関東大震災以来2回目の盗難に遭って、それまで生長 の家の教えを伝えるために必死で蓄えていた全財産が 盗まれ、こんなことをしていてはいつになったら生長 の家を世に出せるのか、そんな日は永久に来ないので はないかと絶望されていた時でした。その時「今起て! 」との神様の声が聴こえてきたのです。「今のほかに時 はない。『今』の中に無限があり、無尽蔵がある。軍資金ができてから、時間の余裕ができてから、身体の余裕ができてから、光明化運動を始めようなどというの はまちがいだ。…」「だけど、それは実相のことです。 わたしはまだ現象としては無力であり、現象としては 資力がありません」「無力なことはない。力は与えてあ る。資力も与えてある。」「実相はそうでも、現象の自 分は…」「現象は無い!無いものに引っかかるな。無い ものは無いのだ。知れ!実相のみがあるのだ。お前は 実相だ、釈迦だ、キリストだ、無限だ、無尽蔵だ! 」

★その時の心境を『生命の實相』第7巻で次のように 書かれています。「わたしは決心した-経済的余裕の来る日などをもう断じて待つまい!自分の身体が弱いという理由で自分の勇気のないことをもう断じて自己 弁解すまい、…死なば死ね。生きる道をつたえるために起ち上がってそのために自分が死ぬならば、自分の伝えようとした道が嘘だったのだ。わたしはその時、 潔く死んでよい。自分が今まで伝えようと、志してい た道の真偽がこれによって判明するのだ。わたしはこ の時『背水の陣』を布いて起ち上がった。」結核二期 生と言われ虚弱体質な身体で、サラリーマン生活をし ながら生長の家の雑誌を執筆する生活など絶対できな いと信じていた先生が、「死んでも良い」と思われて起ち上がられたのです。断崖絶壁から下を見降ろした ら岩が突き出し波が荒れ狂っているに、神様から「大 丈夫だから飛び降りろ」と言われているようなもので す。落ちたら確実に死ぬのにそんな断崖絶壁から皆さんは飛び降りられるか、ということです。谷口雅春先生は百尺竿頭進一歩、敢然と飛び降りられたのです。 ところが、落ちたところは実相の大地でした。教えを 信じて立ち上がられた「12/ 13立教の日」があっ て、3/ 1の「立教記念日」があるということもまた 私達は忘れてはならないと思った次第です。

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光のおとずれ 編集後記 令和3年2月

投稿日:2021年1月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★今年の冬は寒波の襲来で大雪が降り、昨年は関越道 で1,000 台の車が立ち往生し自衛隊まで駆り出され たとの報道もありました。そんな寒い冬の温かい話で す。

今年はコロナの影響で教化部の仕事始めが1/ 8 となりましたが、前日からの寒波襲来で教化部の駐車 場も雪かきをしなければならないと思いながらの出勤 でした。しかし、着いたら何と雪がありませんでした。 既に0職員が雪かきを済ませてくれていたのです。し かも、国旗掲揚のことも考えて屋上の雪かきもしてく れていました。後でわかったことですが、雪が凍ると 雪かきができなくなると1/ 6の雪が降った日に、休 みにも関わらずわざわざ教化部に来て雪かきをしてく れたそうです。本人曰く、1/ 6の『日めくり』を見 たら「今が時なり、躊躇すべからず」と書かれていた ので、躊躇せずに朝6時に教化部に来て駐車場の雪かきをしたとのことでした。1/ 12も朝から雪が降り、 仙台バイパスもノロノロ運転で教化部に付いたのが8 時40分頃でした。何と今回も駐車場では0職員が黙々と雪かきをしており、見ると頭から湯気が出てました。 相当前からやっていたのが一目でわかりましたが、聞 くと午前6時から始めて5回目の除雪作業とのこと。 早速私と教化部長も手伝い3人で雪かきをしましたが、 誰に知られるでもなく朝6時の暗い内から教化部に来 て、黙々と雪かきをしてくれる0職員。0職員の姿は まるで菩薩様でした。この尊い姿を雪と一緒に消してはならないと思い紹介させて頂いた次第です。

★2/ 11は「建国記念の日」です。今年でわが国は 建国2681年を迎えます。もちろん建国年数では世界最古の国です。しかし、日本が凄いのはただ長いと いうことだけではありません。日本を建国した初代神武天皇以来、現在の今上天皇まで126代、途切れる ことなく天皇の御位(皇位) が続いていることであり、 しかも「男系(父方の血筋)」によって続いてきたとい うことです。つまり、126代の天皇の父方を遡ると その血統は神武天皇に繋がるということなのです。歴史上は確かに8人10代の女性天皇がいらっしゃいま した。お2方(35 代皇極天皇、46 代孝謙天皇) は2度天皇になられています。しかし、この8人10代の 女性天皇はいずれも「男系」の天皇です。もしこの女性天皇が民間の男性とご結婚され、そのお子様が天皇 になられた場合は、母方が皇室の血を引く「女系天皇 」となり、神武天皇の皇統は断絶し日本は民間の男性の血統の国となる。つまり神武建国の日本は無くなる ということです。そのため、8人10代の女性天皇は いずれも未亡人か生涯独身を通されました。次の天皇 に繋ぐための中継ぎとして「万世一系」を護持してき たのです。神武建国の皇統は、このようにして守られ てきたからこそ続いてきました。男性皇族の減少から 女性天皇、女系天皇を容認する声が出ていますが、戦後GHQによって皇籍離脱させられた、現皇室と親戚関係にある旧宮家の若い男性が実は8人もいらっしゃ るのです。日本国民として「女系天皇」ではなく「神武建国」の皇統を守っていく、そのことを確認する日が「建国記念の日」であると思った次第です。( T )

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光のおとずれ 編集後記 令和3年1月

投稿日:2020年12月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★新年明けましておめでとうございます。
今年は教化 部も「落慶30周年」を迎えます。又、11/ 14に は「講習会」も開催されます。それまでには新型コロ ナウイルスも終息し、マスク無しの日常生活に戻り、 教化部行事も再開して皆様と共に教化部落慶30周年 をお祝いして、講習会を迎えたいと願っています。

昨 年はコロナの影響で暗い話題が相次ぎましたが、その 中で明るい希望を与えてくれたのは、「はやぶさ2」の 帰還でした。平成26年12月3日に打ち上げられた 「はやぶさ2」は、約3億㎞彼方の小惑星リュウグウに 平成30年6月27日に到着。そして令和2年12月 6日、6年ぶりに帰還したのです。「はやぶさ2」に与 えられたミッションは、小惑星リュウグウから砂や石を持ち帰ることでした。そんな砂や石に何の意味があ るのかと思いますが、実はスゴイ意味があるのです。

★小惑星は太陽系が約46憶年前に誕生した頃、惑星 に成長できなかった小天体の残骸です。そのため、小惑星は初期の太陽系の姿をとどめている「化石」とも 呼ばれています。ただ、地表にある物質は初代はやぶ さが採取したイトカワのように、太陽光や放射線を浴 びて風化しているのですが、リュウグウには風化を免 れ太古の状態を良好に保っている物質が地下にあると考えられています。つまり、地球が誕生した頃の「水 」や「有機物( 炭素を含む化合物)」が今も残されていると考えられているのです。水と有機物は吾々人類を 含む地球上の生物の最も基本的な要素であり、地球生命の原材料と言えるものです。もしそれが証明されれ ば、地球の水はどこから来たのか、生命を構成する有機物はどこでできたのか、その謎を解くことができ、 太陽系誕生と生命誕生の秘密に迫ることができるので す。まさに46億年前の地球からタイムスリップした 浦島太郎が、龍宮城から「玉手箱(カプセル)」を持ち 帰って来たのが「はやぶさ2」だったと言えるのです。

★小惑星リュウグウの大きさは約900 m、スカイツ リー(634 m ) よりも少し大きいくらいです。そんな 小さな惑星に到達することすら大変なことですが、タ ッチダウンすることは更に困難なことでした。当初直径100 mの平坦な場所への着陸を想定していました が、実際には平坦な場所が見当たらず直径6 mの円内 に着陸をすることになったのです。津田雄一プロジェ クトマネジャーは「甲子園球場に降りようと思ってい たのにマウンドを狙わないといけなくなった」と、そ の困難さを表現しました。しかし、「はやぶさ2」は見 事2回のタッチダウンを成功させ、12月6日リュウ グウから「玉手箱」を地球に届けてくれました。津田 雄一マネジャーは「採点するなら100 点満点で1 万点だ! 」とその喜びを表現しました。

★龍宮城から「玉手箱」を持ち帰った「はやぶさ2」。 龍宮海とは「実相世界」のことです。私達も「はやぶ さ2」を見習って、今年も元旦から「神想観」を実修し、 龍宮城から玉手箱を持ち帰る夢と希望のある一年と致 しましょう。幸い、今年は松田教化部長先導による「 元旦神想観」が、宮城教区のホームページで視聴でき ます。各自ご自宅で実修してください。

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光のおとずれ 編集後記 令和2年12月

投稿日:2020年11月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★ 早いもので今年も師走。「コロナに始まりコロナ に終わる」と思うと遣る瀬無い1 年になりますが、 「祈りに始まり祈りに終わる」私達の1 年は、コロ ナ禍でも神様に祝福された素晴らしい年となったの ではないでしょうか。

私事で恐縮ですが、私の娘も この1 2 月にようやく結婚することになりました。 娘の半身を聖使命会員に入れて、神様にお祈りしご 先祖様にお願いすること8 年。今年の2 / 2 3 の天 皇誕生日に初めて娘から彼氏を紹介され、その後何 度かわが家にも来て話をするようになりました。

わ が家の子供たちのことは練成会等でも話しをしまし たが、3 人とも親とはほとんど話をしません。こち らから話かけてもスル― されるか頷く程度、会話が 成り立ちませんでした。何でこんな子供に育ったの かと悩みの種でしたが、ナント結婚相手がよくしゃ べる方だったのです。長男の時もそうでしたがお嫁 さんがよく話をする明るい方でした。娘の彼氏もよ くしゃべる方で会話が成り立ち安心しました。つま り、子供たちが話をしなくても義理の娘や息子とな る方が話をしてくれるので、親子の会話が成り立つ ことになったのです。まさに「万事好都合」でした。

★ 「祈りに始まり祈りに終わる」と言えば、今年を 締めくくるに当たって教化部では1 2 / 1 9 に「大 晦大祓( おおつごもりおおはらい) 」を行います。「 祓」の起源は神代の昔、伊邪那岐大神( いざなぎの おおかみ)が筑紫の日向(ひむか)の橘の小戸(おど )の阿波岐原(あはぎはら)で、禊(みそぎ)祓いをし たことから始まります。国中の全ての罪穢れを祓う 祭儀を「大祓」と言い、太古より大祓は災害や疫病 などの災いがあるたびに行われてきたのです。平安 時代には、大内裏( だいだいり) の正面にあたる朱 雀門(すざくもん)に親王以下在京の百官が参集し、 大祓祝詞を奏上して、万民の罪穢れを祓ったと伝え られています。つまり私達日本民族は、悠久の昔か ら災害や疫病などの災いが起きるたびに、国を挙げ て大祓を行い国中の罪穢れを浄化して、国家の安泰 と国民の平安を祈ってきたということです。

★ 谷口雅春先生は昭和5 5 年1 2 月3 1 日の龍宮住 吉本宮における「大晦大祓」の中で、「にせものは皆 ふき祓へ大空の無きこそもとの姿なりけり」と祈ら れ、更に「虚妄をみな吹き祓って、実相完全の世界 を現すのが大祓であります」と、大祓の意義をお説 きになられました。つまり、私達が知らず知らずの うちに犯した罪穢れは、本来「完全円満なる実相」 を忘れた結果ですから、住吉大神の宇宙浄化のお働 きによって全ての人が〝本来罪無し〟の自覚を深め、 〝にせものの我〟を吹き祓うことで一人一人の実相 顕現はもとより、中心帰一・万物調和の実相世界を 地上に現していくのが生長の家の大祓だと言うこと です。平成2 6 年からは〝造化の三神〟もご顕斎さ れ龍宮住吉本宮で執り行われる大祓は、人類のみな らず有情非情を悉く祓い浄めて、神・自然・人間の 大調和した実相世界を顕現する更に荘厳なる御祭り となりました。「終わり良ければ全て良し」。コロ ナ禍で知らず知らずのうちに溜まった悪しき想念感 情を「人型」に移し、〝にせものの我〟を吹き祓って 今年1年を締めくくりましょう。

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光のおとずれ 編集後記 令和2年11月

投稿日:2020年10月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★ 今年もスーパーの店頭に新米が並び始めました。 昨年はちょうど稲刈りの次期に台風19号が直撃し、県内の農家は甚大な被害を受けました。今も丸森町の泥を被った水田と倒伏した稲の光景が目に浮 かびます。その意味で、今年は無事に稲刈りができ ることを祈らずにはおれません。そして、そのことを誰よりも心配し気にかけられていたのが天皇陛下 でした。9 /15に皇居内の水田で「お稲刈り」をさ れた天皇陛下は、次の様なご感想を発表されました。

「本年、種籾まき、田植え、そして稲刈りまでの一 連の作業を初めて経験することによって、我が国の農耕文化の中心である稲作への思いをより深めるこ とができました。本年は、豪雨等による被害や新型 コロナウイルス感染症の感染拡大により、農業に従事されている皆さんの御苦労もいかばかりかと思います。そうした中、実りの秋を迎え、各地で収穫が 無事に行われることを願っております」

天皇陛下も また、昨年の台風1 9 号の影響で被害にあった農家 の方々を思いやられ、今年は無事に新米が収穫され ることを切に祈られておりました。昭和天皇の御製。 「新米(にいよね)を神にささぐる今日の日に深くお もふは田子のいたつき」( 田子= 農民、いたつき= 苦労) 天皇陛下も今年は種籾まきから稲刈りまで一 連の作業をご体験されて、農家の方々の御苦労に思いを馳せられたのでした。

★ 天皇陛下と農家で思い出されるのは「皇居勤労奉 仕の物語」です。昭和2 0 年1 2 月8 日終戦直後の占領下の皇居に、青年男女60人が、食料、燃料、 草刈鎌を携えて馳せ参じました。その青年たちは皇居が空襲で荒廃していることを聞いて、それは相済 まぬこと、せめて草刈りや掃除の手伝いをしようと、 上京した宮城県栗原郡の青年達だったのです。食うに食なく住むに家の無い時代。皆自分達が生きることで精一杯の時代に、ナント宮城県栗原郡の若者達 が手弁当で、しかも占領軍に検挙されるかもしれな いと家族と水杯まで交わして、皇居に馳せ参じたのです。青年たちの3日間の奉仕で、瓦礫は撤去され 皇居はみごとに片付きました。そして、昭和天皇はその青年たちに是非会いたいと足を運ばれ、此処に前例のない対談が始まりました。陛下は「遠いとこ ろから来てくれてまことにありがとう。郷里の農作 の具合はどんなか、地下足袋は満足に手に入るか、 肥料の配給はどうか、何が一番不自由か」などご質 問は尽きず、かれこれ10分間ほどお言葉がありました。そして、対談が終わり陛下がお帰りの際、突如として君が代の合唱が起こりました。占領下誰も が口に出せなかった君が代が、誰に相談することな くほとばしり出たのです。最後は万感胸に迫り歌声 は嗚咽に代わりました。そして、最後に青年たちは 皇居の草を一把ずつ頂いて郷里の土産にしたいと、 次の如く言うのです。「私たちは農民です。草を刈って肥料のために堆肥を造ります。この一把の皇居 の草を頂いて持って帰って、堆肥の素とし私たちの 畑を皇居と直結したいのです」 占領下の国難でも、 皇室と国民の絆は決して揺るがないことを示してく れたのが、地元宮城の先輩達だったのです。コロナ 禍私達もかくありたいと思った次第です。

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光のおとずれ 編集後記 令和2年10月

投稿日:2020年9月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

★実りの秋を迎えましたが、今年はコロナの影響で残 念ながらフェスタも中止となりました。その代わり、 10/ 11( 日) に山梨県北杜市と宮城県をオンライン で結び、三浦光宏本部講師補による「ネットフォーラ ム記念講話」を開催することになりました。平成24 年に宮城県を離れて8年。オンラインとは言え初めて の宮城教区での記念講話となります。そのことを誰よ りも喜んでいるのは、曾祖父の蟻坂仲( ありさか・な か) 氏ではないかと思います。蟻坂氏は宮城県で最初 に生長の家の灯を点じられた大先達です。昭和10年 に雑誌『主婦の友』5月号掲載の広告を見て『生長の家』誌を取り寄せ、感激したことがきっかけで生長の家に入信。昭和10年7月には本部講師を招いて「第1回誌友会」を開催しています。その後誌友会場は田中嘉一氏宅、里見司馬太氏宅、遠藤哲之助氏宅でも開 催され次第に誌友が増加していきました。そして、昭和17年5月11日には仙台で初めて谷口雅春先生 の「講演会」が開催されたのです。この講演会は『明窓浄机( 飛躍編)』で紹介され(169 頁)、「仙台の公会堂での講演会は立錐の余地なきほどの盛会で聴衆約 二千と称せられました。」と記載されています。昭和18年8月14日には仙台で「講習会」が開催されま した。『新講「甘露の法雨」解釈』の中に「〝真理の書〟は火にも焼けず」の見出しで、伊藤徳四郎氏の体 験発表が紹介されています(357 頁~ 359 頁)。蟻坂氏は昭和24年に初代地方講師会長に就任され、昭和44年4月4日享年88歳で昇天されますが、直前 まで教化部道場での「早朝神想観」に通い続けられたとのことでした。そして、その蟻坂氏の信仰の遺伝子 を受け継いだのが曾孫( 蟻坂氏の次女三浦こう子様が 三浦君の祖母) の三浦光宏本部講師補なのです。現在広報・クロスメディア部プリントメディア課で機関誌 編集に頑張っています。今や5人のお子さんのパパに なり、信仰にも愈々磨きがかかったのではないかと思 います。多くの皆様のご参加をお待ちしております。 (谷口雅春先生の後が蟻坂仲氏です。)

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光のおとずれ 編集後記 令和2年9月

投稿日:2020年8月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★今年はコロナの影響で、ご家族がお盆の帰省を自粛された家も多かったのではないでしょうか。現在、世界各国で新型コロナウイルスのワクチン開発が進められ、早ければ年内にも実用化が始まるとのこと。ワク チン開発が期待されています。ただ、『神真理を告げ給う』(18 頁) には

「〝わたし〟は…その目的を達しない限り、どんな薬剤を与えても、その病菌は消えるものではない。しかしその目的を達して人間たちの心が 正しくなったとき、わたしはその微生物を現象界から 〝生命の素材の世界〟へ引き戻す。その時、あなた達の病気は癒えるのである。」

と示されています。その 意味では、コロナの本当の終息は、ワクチンの実用化ではなく〝人間の心が正しくなったとき〟であるということを、私達は忘れてはならないと言えるでしょう。

★奈良時代の聖武天皇の御代には「天然痘」が流行し、 当時の国民の25% ~ 35% が亡くなっています。ウイルスは、遣唐使や遣新羅使が大陸や半島から持ち込 んだものと言われ、北九州から全国に拡大。737年 には平城京でも感染が拡大し、国政を担う地位にあっ た藤原四兄弟(藤原不比等の子供) も、次男房前(ふささき)、四男麻呂(まろ)、長男武智麻呂(むちまろ )、三男宇合(うまかい) の順で次々にこの世を去りま した。聖武天皇は「良(まこと) に朕が不徳に由りて、 この災殃(さいおう) を致せり。天を仰ぎて慙(は) ぢ惶(おそ) り、敢へて寧(やす) く処(お) らず」と の詔を下され、諸国の神社に幣帛(へいはく) を捧げられました。そして、日本の国名表記を「大倭国(やまと)」から「大養徳国(やまと)」 に改められ、大いに徳を養う国にしたいとの切なる願いを込められたのです。つまり、聖武天皇は疫病の流行を自らの不徳が招いたことと受け止め、疫病終息のためには「正しい 心を養う」ことが大切であると自覚されたのでした。 そして、752年に7年の歳月をかけて建立したのが 「東大寺大仏」でした。大仏の建立こそ、疫病無き極楽世界の現成だったのでしょう。平安時代の818年、 大旱魃から全国に疫病が蔓延した際も、嵯峨天皇は「 朕の不徳にして多衆に何の罪かあらん」と仰せられ、 弘法大師(空海) の勧めにより〝一字三礼〟の誠を尽 くして般若心経を「写経」されました。ここでも嵯峨 天皇は、疫病の流行を自らの不徳の招いたこととして、 般若心経を写経し疫病の終息を祈られました。写経はそれが先例となり、宮中の慣例になったのです。

★9/ 27「大調和の神示祭」の写経の意義もまた、 令和の御代の疫病に心を痛められている天皇陛下の御心を憶念し、自らの心を神に振り向け、「天地一切のものと和解する心」になることで、コロナ無き実相世界を顕現することにある、と思われた次第です

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光のおとずれ 編集後記 令和2年8月

投稿日:2020年7月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★『いのちの環』8月号をご覧になって驚かれた方も 多いのではないでしょうか。51頁に掲載されたQ& Aの回答者が髙坂幸雄先生でした。しかもその質問の 内容が、「余命3ヶ月の宣告を受けた74歳の夫にど う接したら良いのか? 」でした。

髙坂先生はその回答 を執筆された後、6/ 3に70歳で卒然と昇天された のでした。もちろん、執筆の時は自分が病気になって いることも、ましてや死ぬこともわからなかったでし ょう。

しかし、不思議にも自分が同じ体験をすること になることを霊感で予兆し、生前にちゃんと自分の回 答を読者に伝えているのです。

実は、私も父が亡くな ったときに同じような体験をしました。前日まで仕事 をして元気だった父が、その夜突然胸の苦しさを訴え 救急車で病院へ運ばれ、治療室から出てきた時は既に 亡くなっていました。

それこそ、別れの言葉一つかけ られずあっという間の昇天でした。満62歳でしたか ら、今の私より若くして亡くなったのです。本人はも ちろん家族の誰一人、父がその若さで他界するとは思 っていなかったので、仙台に知っているお寺やお墓な どありませんでした。

ところが、生前父が通勤途中に ある真言宗のお寺に、「墓地有り」の看板が出ている のを見て、母にそのお寺のお墓を取得したいと言って いたそうです。まさか自分がすぐに入ることになると は思っていなかったと思いますが、結局はその遺言の お陰で突然の死ではありましたが、葬式も納骨もその お寺で無事済ませることができたのです。

既に念の世 界( 心の世界) では自分の運命が作られていて、それ を霊感で感じて準備していたということでしょうか。

 

★ところで、髙坂先生は質問者に対して次の様に回答 されました。「ご主人が自らの身を挺して、あなたや 家族の愛と感謝を引き出す『大いなる魂の修練』の場 を与えてくれているのです。決して暗くならず、明る い顔をしてご主人に寄り添い、見守ってあげてくださ い。

そうした姿を見せることが、優しいご主人への一 番の感謝になると思います。」平成3年3月1日、立 教記念日に父が他界して今年で29年が経ちます。今 では父が探したお寺のお陰で、お盆には子供や孫の家 族、ひ孫たちもお墓参りに集まるようになり、大勢で 集合写真を撮って父に感謝するのが恒例となりまし た。

父が築いた家族が、花咲き実を結んでいる姿を見 せることが、一番の供養になっているのではないかと 思います。8/ 8「盂蘭盆供養祭霊牌奉送祭」を行い ます。ご先祖様、先達の御霊様、ご縁のある御霊様に 「お陰様で元気で頑張っています」と感謝の気持ちを 込めて霊牌を書き、教化部にお届けください。

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光のおとずれ 編集後記 令和2年7月

投稿日:2020年6月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★6/ 3朝、髙坂幸雄先生ご逝去の訃報が届きました。 あまりに急な卒業でしたが、講話は1分の狂いもなく 時間どおりに終わり、会議も時間どおり2時間で終わ り、12時には昼食を食べ、5時には帰宅される。全 てにおいて時間を厳守される姿勢は人生の終焉におい ても変わらず、未練を残すことなく時間厳守で霊界に 旅立たれたのではないでしょうか。最期まで髙坂先生 らしい人生ではなかったかと思われました。

★髙坂先生は私達に生涯忘れられない思い出を残して くださいました。平成23年度の講習会です。その年 は3/ 11に東日本大震災が東北を襲い、直後の4/ 1に髙坂先生が宮城教区に赴任、しかも10/ 23に は講習会が控えていました。あの時誰が7ヶ月後の講 習会を想像し得たでしょうか。当時の編集後記には次 の様に書かれていました。「10月23日、宮城教区 の講習会が大感動と大感謝の内に無事終了しました。 当初は震災の影響で受講者の激減も予想されましたが ( 聖使命会員の被災者件数は死亡、全壊、半壊を合わ せると現在300件)、何と結果は1,679名。前回 実績より41名少なかったものの目標の1,610名 は、みごと突破することができました。万歳!万歳! 万歳!総裁谷口雅宣先生もFacebook で『2年前よ り41 人の減少ですが、大震災があったことを考えれ ば”大盛会”だと言えます。宮城教区の皆さんに、大 感謝!』と、”大”の字を2度も使って講習会の結果 を讃嘆してくださいました。」「白鳩会総裁谷口純子先 生がpostingjoy の中で、『会場は鎮魂と感動、感謝の 思いに包まれ、涙を抑えることができませんでした。』 と表現してくださいました。まさに鎮魂と感動、感謝 の思いに包まれた講習会でした。」一生の思い出とな った講習会。それが実現できたのも、着任直後から信 徒と苦楽を共にして、宮城教区の復興に尽力してくだ さった髙坂教化部長先生のお陰でした。

★来年は教化部も落慶30周年を迎えます。当然前任 の教化部長としてご招待申し上げ、好きなお酒と温泉 を楽しんでもらいたかったのですが…。残念です。こ れからは、コロナ禍の霊界の光明化運動と共に、自由 自在に顕幽を往来し生長の家の運動を導き給いますよ うお祈り申し上げ、お別れの言葉とさせて頂きます。 髙坂先生ありがとうございました。

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光のおとずれ 編集後記 令和2年6月

投稿日:2020年5月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★5/ 14全国に出されていた緊急事態宣言が39 県で解除されました。まだ予断を許しませんが、 新型コロナウイルス感染症が確実に収束に向かっ ていることは嬉しい限りです。5/ 14発表の各国 別感染者数を比較すると、米国は137万9千人、 ロシアは24万1千人、英国は22万9千人、ス ペイン22万8千人、イタリア22万1千人と続 きます。なんと日本は1万6千人です。世界を見 ると日本は米国の100分の1、英国の100分 の7と、先進国の中では極めて少ないことがわか ります。一体この差はどこからくるのでしょうか。 衛生観念とか医療技術など様々な要因はあると思 いますが、一番の違いは国民性の違いではないか と思います。欧米諸国や中国は、法律に罰則規定 を設け隔離やロックダウン( 都市封鎖) をして、強 制的に国民の外出を押さえました。しかし日本は、 政府が緊急事態宣言を出したと言ってもそれは罰 則の無い要請でありお願いでした。にも関わらず、 何件かのパチンコ店など要請に従わなかった店は ありましたが、ほとんどの店は休業要請に従い国 民は外出自粛を守ったのです。政府の言うことに はきちんと従い、非常時には私を捨てて公に尽く し、他を思いやり一致団結するのが日本人の国民 性でありDNAです。東日本大震災の時もそうで したが、日本の国民性が今回のコロナ危機でも遺憾なく発揮され、感染症の爆発的拡大を防いだと 言えるのではないでしょうか。

★山梨県の中学1年生が、薬局で高齢者がマスク を買えずに困っていたので、小さい頃から貯めた お年玉で布やゴムなどを買い、600枚以上の手 作りマスクを作って県に寄付しました。群馬県で はゴミ袋に、「コロナウイルスの流行する中ゴミ の収集ありがとうございます」「コロナウイルスに かからないように頑張ってください」と、清掃業 者の方に感謝する紙が貼ってありました。福島県 の県内約150カ所の道路情報の電光掲示板には、 トラックのドライバーに感謝を伝えようと、「物流 を支える皆様ありがとう」というメッセージが表 示されました。宮城県では大崎市のこども園の園 児が、新型コロナウイルスと闘う医療従事者に感 謝の気持ちを届けようと、手作りクッキーを作り「 ありがとう」のメッセージを付けて大崎市民病院 の医師や看護師らに贈りました。宮城県教化部で も3月、5月の練成会が中止となり、毎回お米を 奉納して下さっている方のお気持ちを無駄にして はならないと、食の支援活動をしている「ふうど ばんく東北AGAIN」さんに、お米を寄贈させて頂 きました。コロナ危機の中でも日本各地で「あり がとう」の感謝の言葉と行動が鳴り響いたことに、 日本人としての喜びを感じた次第です。

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光のおとずれ 編集後記 令和2年5月

投稿日:2020年4月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★4/7安倍総理は7都府県に「緊急事態宣言」 を発令しました(4/16 全国に拡大)。不要不急の 外出自粛、通勤者の7割削減、遊興施設等の休業 など。5/6まで「人との接触を8割抑えればウ イルスを収束することができる」と要請しました。 しかし、これは7都府県だけの問題ではありませ ん。宮城県も同じです。今が正念場ですので、教 化部でも引き続き各種行事や従来型誌友会を中止。 6人の職員を3人の勤務体制に削減。4/29( 水 ) ~5/7( 木) の連休期間は休館日として対応す ることになりました。皆様には大変ご不便をおか けしますが、今こそ国民一丸となってこの非常事 態を乗り越える時と思いますので、何卒ご理解と ご協力を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

★自粛しているのは国民ばかりではありません。 皇室も2/23の天皇誕生日の「一般参賀」を中 止し、秋篠宮殿下が皇位継承順1 位の皇嗣になら れたことを国内外に示す、4/19の「立皇嗣の 礼」も延期となりました。天皇陛下は長女敬宮愛 子様の学習院高等科ご卒業に当たりご感想の中で、 「現在、新型コロナウイルスの感染が拡大している ことを案じ、我が国の国民、そして世界の多くの 人々が直面している様々な困難や苦労に深く思い を致しています。この感染の広がりが早く終息に 向かうことを心から願っております」と記されて いました。かつて日本には天然痘( 疱瘡)、はしか、 赤痢などの疫病( 感染症) が流行した時代があり ました。平安時代に全国に疫病が蔓延した際、嵯 峨天皇は「朕の不徳にして多衆に何の罪かあらん 」と仰られ、弘法大師( 空海) の勧めにより一字三 礼の誠を尽くして般若心経を浄書され疫病の終息 を祈願されたと言います。戦国時代の後奈良天皇 も、飢饉や疫病の流行に心を痛められ、諸国の神 社や寺に宸筆( しんぴつ) の般若心経を3度に渡っ て奉納され、その奥書には「朕、民の父母と為り て徳覆ふこと能ず。甚だ自ら痛む」と記され自ら の身を責められました。そして今、令和の御代に も疫病が流行し緊急事態宣言が発令されたのです。 国民が困難な状況におかれていることに、天皇陛 下がどれほど心を痛めておられるかわかりません。 吾々は今こそ万難を排してこの国難を乗り越え、 宸襟( しんきん) を安んじ奉りたいと存じます。

★ところで、4/10付で青年会の相澤俊弘君が 教化部職員となりました。教化部でもオンライン 誌友会やオンライン会議、自宅でのテレワークが 必要不可欠の緊急事態に直面。そのような時に奉 職してくれたのが相澤君でした。まさに天の配剤 と言えるでしょう。昭和世代の職員ばかりの中で 平成生まれの存在は本当に頼もしい限りです。皆 様相澤職員をどうぞ宜しくお願い致します。

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光のおとずれ 編集後記 令和2年4月

投稿日:2020年3月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★中国発の新型コロナウイルスは世界中に蔓延し、WHOは遂にパンデミック (世界的大流行 )と発表しました。日本国内でも感染者が増え、政府は新型コロナ特措法を制定。学校の休校、イベントの自粛、不要不急の外出を控えるなど感染防止対策に取り組んでいます。しかし、パンデミックの真の恐ろしさは、ウイルスなどではなく、人々をパニックにさせる〝過剰な報道〟と〝過敏な反応〟ではないかと思います。マスク不足のニュースが流れるやスーパーやドラッグストアの店頭から忽ちマスクが無くなり、トイレットペーパーが入荷しなくなるとの情報が流れると、スーパーやコンビニから一斉にトイレットペーパーが無くなりました。株価は暴落し会社は倒産、内定を取り消される学生も出始めました。こうなるとウイルスよりも〝過敏な反応〟が、社会を混乱させ被害を拡大させていると言えるのです。厚生労働省の統計によると、例年のインフルエンザの感染者数は国内で推定 1,000万人。死亡数は 214(2001年 )~ 1,818人 (2005年 )とのこと。つまり、日本では毎年新型コロナウイルス以上の感染者や死亡者が出ていると言うことです。その意味で、パンデミックには〝過剰〟ではなく〝適切〟な報道を、〝過敏〟ではなく〝冷静〟な対応こそ、被害拡大防止に必要なのではないかと思った次第です。
★「天下無敵となる祈り」には次のように説かれています。「いかなる細菌も真菌もヴィールスも、すべて〝生〟あるものは、神のいのちを宿してこの世に出現せるものであるから〝神の子〟である私を害することは決してないのである。…生き物たがいに相冒し合いて病いを起すなどということはあり得ないのである。…決して如何なる生物も、実相においては自分を害するものはないのである。」 感染症の歴史に詳しい長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授は、「文明は感染症のゆりかご」と指摘しています。例えば、麻疹はイヌ、天然痘はウシ、百日咳はブタ、インフルエンザはアヒルに起源を持つそうです。文明が進み元々は野生生物だったものを人間が家畜化し、自然を開発して都市化して、ヒトと動物の距離を縮めたことが感染症の拡大につながったということです。総裁先生は新型コロナウイルスの宿主はコウモリだと紹介されていましたが、本来人間が接触しなければ何の問題も起きなかったことを考えれば、感染症の原因は自然界の〝棲み分け〟と〝生かし合い〟を無視した人間の方にあると言えるのです。コウモリと共存して平和に暮らしていたコロナウイルスからすれば、勝手に自分たちの領域を侵して「ゆりかご」を与えて感染している人間こそ、余程迷惑な存在と言えるのではないでしょうか。

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光のおとずれ 編集後記 令和2年3月

投稿日:2020年3月4日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記

★東日本大震災から間もなく9年目を迎えようと しています。震災後、岩手県、宮城県の被災した 中高生30名を招待して2週間にわたり歓待して くれたのがポーランドでした。阪神淡路大震災の ときも親を失った小中学生60名を招待してくれ ました。何故ポーランドはこれほど日本の子供 達に善意を示してくれたのでしょうか。そこには 日本とポーランドの友好の物語があったのです。

1795年、ポーランドはロシア・プロシア・オ ーストリアに分割され、国家崩壊の悲劇を味わい ました。ポーランド人は祖国独立のために幾度も 蜂起しますが、ロシア軍に鎮圧され多くが殺され 捕虜としてシベリアに送られました。第1次大戦 後は国土が戦場となったために更に多くのポーラ ンド人がシベリアに流れ込み、当時シベリアには 15万~20万人のポーランド人がいたのです。 しかし、ロシア革命後の内戦によってシベリアは 凄惨な生き地獄と化し、多数のポーランド人が餓 死や病死、凍死しました。こうした惨状を知った 極東ウラジオストック在住のポーランド人達は、「 ポーランド救済委員会」を立ち上げ、「せめて親を 失った孤児だけでも救わねば」と東奔西走しまし た。しかし、頼りにしていた米国の赤十字社は本 国に引き揚げたため、残された最後の手段として 日本政府に孤児達の救助を懇請したのでした。

★日本政府は人道的立場からポーランド孤児の救 済を決定、日本赤十字社に救済事業を要請したの です。大正9年(1920 年) 7/22、ウラジオ ストック港から孤児57人を乗せた第1便の輸送 船が舞鶴港に到着しました。その後5回にわたり 375名の孤児が東京の「福田会育児所」に収容 されました。日本赤十字は、食事、治療、衛生等 子供達の健康回復に全力を注ぎ、衣服、肌着、帽 子、靴下、靴を全て新調して与えました。又、全 国各地から衣服、玩具、菓子などの寄贈品、約 1億円相当の寄付金も集まりました。貞明皇后様 も孤児達を見舞われ愛憐の情を注がれたのでした。 朝野を挙げての手厚い看護ともてなしによって子 供達は元気を取り戻しましたが、シベリアにはな お2千人の孤児がいたため、日赤は2回目の孤児 救済も受け入れ大正11年(1922 年) まで765 人の孤児を救済したのです。子供達は日本を離れ るときに「日本を離れたくない」と泣き出し、船 上から「アリガトウ」を連呼。「君が代」とポーラ ンド国歌を歌い、「日本万歳」「ポーランド万歳」 を叫んで別れを惜しんだと言います。この物語は その後もポーランド国内で語り継がれ、阪神淡路 大震災・東日本大震災の恩返しとなったのでした。 ポーランドが大の親日国になったのは、百年前に 日本が行った善意があったからなのです。

( T )

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