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光のおとずれ 編集後記 平成28年5月

投稿日:2016年4月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年5月

★桜花爛漫の春を迎え各地で桜の便りが聞かれ た頃、教化部にも嬉しい便りが届きました。宇 治別格本山に勤務している鈴木直人君からの便 りです。

「お久しぶりです。宇治に来て約1年半になりました。毎日慌ただしく色々なことがあ りますが、毎日道場生活をさせて頂いて一所懸命働いて沢山勉強しています。食堂でも色々と 仕事を任されるようになり、僕が料理を担当する機会も増えてきました。練成部の一員として もより素晴らしい練成会を開催するために、仲間と共に祈ってアイディアを出し合い一所懸命頑張っています。今朝、本山の精霊招魂神社近くの林から筍を掘ってきました。お早めにお召し上がり下さい。又、是非宇治にもお越し下さい。 僕も時間ができましたら教化部に顔を出したいと思います。」

教化部を退職して1年10ヶ月。 今や宇治別格本山の正職員となり練成会の炊事担当として元気に働いているとのこと。当時を知っている誰が今の直人君の姿を想像し得たでしょう。「聖霊天降る宇治」と言われますが、宝蔵神社の御祭神そして宇治の自然や道場生活が直人君の病んだ心と身体を癒し、神の子の実相を引き出してくれました。

「落葉したときに、その木は萎縮したのではなく、年輪をきざみつつ、 その木質は堅緻となる。而して来春の花のために準備がすすめられつつあるのである。それと 同じく、人間も失敗したように見え、行き詰ま ったように見え、足ぶみしたように見えるときに、その魂は進歩しつつあるのである。」

(『新版 栄える生活365章』P205 )

春の便りに、宇治の 筍の如く大きく逞しくすくすくと成長している 直人君の姿を思い心から嬉しく感じた次第です。

★今年は例年よりも早く教化部前の八重桜が咲 きそうです。その八重桜を見る度に思い出され るのは昭和天皇の

「風さゆるみ冬は過ぎてまちに まちし八重桜咲く春となりけり」

「国の春と今こ そはなれ霜こほる冬にたへこし民のちからに」

の御製です。
昭和27年4月28日サンフランシ スコ講和条約が発効し、日本が独立を回復した ときの歓びを詠まれたものです。昭和天皇にと って昭和27年の春は国民と共に国難を乗り越 えた歓びそのものでした。大東亜戦争の敗戦占領はわが国にとって未曾有の国難でした。その国難に対し、昭和天皇は国民を慰め励まし、生きる勇気を与え復興に起ち上がってもらうことが自らの責任であると「全国ご巡幸」を始められたのです。ご視察日数165日、距離数3万3千キロ。沖縄を除く全国46都道府県を隈無く歩かれました。被爆地広島では7万人の県民が陛下の御巡幸に感泣し生きる希望を見出しました。 佐賀の因通寺では両親の位牌を抱えた戦災孤児を涙を流して励まされました。静岡では巡幸反対を唱える共産党員もお帰りの際には「天皇陛下万歳」を叫んでいました。戦いに敗れ焦土と化した日本は、陛下のご巡幸によって国民の心が一つになり奇跡の復興を遂げたのでした。独立回復から64年目の春を迎え、今も尚輝き続けている皇室と国民の絆に日本国の有り難さを感じた次第です。

4/29~5/1、「白鳩会全国幹部研鑽会」「相栄合同全国幹部研鑽会」「青年会全国大会」が開催されます。満開の八重桜と共に皆様のご参加を心よりお待ちしております。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年4月

投稿日:2016年3月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年4月

★ 「水をくむ少年」は水を入れた大きなペットボ トルを両手に抱え、口を真一文字に結んで歩く少年の写真です。気仙沼市のガレキの中で撮られた写真が新聞に載り被災者を励ましました。 一昨年他界した俳優の高倉健さんも励まされた一人です。健さんは新聞から切り抜いた写真を「宝物」として台本に貼り付け、「毎朝写真を見る とぎゅつと気合いが入る」と語っていたそうで す。少年の名前は松本魁翔(かいと)君。当時小学校4年生だった少年も、今年中学校を卒業し仙台の高校に進学が決まりました。津波で自宅が全壊し親戚の家に身を寄せていた当時、「みんなの役に立ちたい」と近くの井戸で何度も水を汲んだそうです。釘を踏み足を怪我しても黙って耐えたこの少年は、この5年間バスケと空手で心と体を鍛え、女手一つで自分と姉、妹を育ててくれた母親に「次は俺が守る番だ」と決意を固めています。母子家庭で家計が苦しい中でも3人の子供を必死に育てている母。その母の愛情に応えて逞しく成長している息子。まさに「この母にしてこの子あり」です。震災復興5年目を迎 えた春の嬉しいニュースでした。

★母と子と言えば「保育園落ちた日本死ね!」というブログが話題になっています。1歳の子供を保育園に預けられなかった母親が、怒りのままに書いたブログがツイッターで拡散。「待機児童ゼロ」を掲げる安倍政権への格好の攻撃材料になっているのです。しかし「初めに保育園ありき 」の議論には違和感を禁じ得ません。待機児童の年齢はわずか0歳~3歳。つまり一番母親の愛情と温もりが必要な乳幼児期なのです。皇后陛下が詠まれた御歌に「あづかれる宝にも似てある ときは吾子(わこ)ながらかいな畏れつつ抱く」 がありますが、わが子と言えど神様からの預かりもの授かりものです。中には望んでも赤ちゃんに恵まれない親もいれば死産流産する子供もいるのです。ならば折角授かった子宝。母親になれたことに感謝して、せめておむつが取れる までは母としての愛情を注いで大切に育ててもらいたいものです。ブログには「どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。ふざけんな日本。」と書いてありましたが、こんなママ達が増えたらそれこそ「どうなるんだよ日本」です。その意味では、今必要なのは「保育園」ではなく「母親教室」だと言えるでしょう。

「人間は神の子であ り、神が” 神の子” を生み給うのであるから、その生育に必要なる費用は、必ず神がそれを与えたもうのである」(『新版栄える生活365章』 P196 )

この真理の拡散こそ悩めるママ達の最高の救いとなり、待機児童ゼロを実現することにな るでしょう。母親教室の使命大なりです。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年3月

投稿日:2016年2月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年3月

★3/1は生長の家の立教記念日。33ある神示の中で谷口雅春大聖師に一番最初に天降ってきたのが 「生長の家の食事」の神示です。何故食事なのか? 疑 問に思った方もいるのではないのかと思います。しかし「真田町の奇跡」を知って疑問が氷解しました。 長野県真田町(現在の上田市) の教育長を務めた大 塚貢先生の教育改革はまさに「食事の神示」の実証と言えるのです。平成4年長野県の中学校に校長として赴任した大塚貢先生。廊下をバイクが走り抜け、 校舎に落ちているタバコの吸い殻を拾い集めるとすぐにバケツが一杯になる。授業を抜け出すのは当たり前、非行や犯罪事件は毎日のように起きる、中学校はまさに荒廃の極みにありました。いったい何が原因なのか。全校生徒を対象に食の実態調査をす ると38%が朝食を食べてこないことがわかりました。朝食を食べてきた生徒の食事内容も、菓子パン、 ハム、ウインナー、人口甘味のジュースが多い。夕食はレトルトカレーや焼肉が多かった。生徒が食べているのは肉類や加工品ばかり。血液をきれいにする野菜や青魚などは摂っていない。これでは血がドロドロになり必要な酸素や栄養分が行き渡らないため、情操や判断力を司る人間の脳が正常に機能しないことがわかりました。食事が原因だ! 大塚先生は、PTAを開いて食生活の重要性をお母さん方に訴えるのですが誰も聞く耳を持たない。全く無関心。そこで学校の給食を変えることを始めるのです。

★ 給食も、菓子パン、揚げパン、中華麺、スパゲティ、 それに副食は肉が主流。家庭の食事と同じでした。 そこで、主食はパンから米飯に、副食は魚や野菜に変えようとしました。ところが、待っていたのは生徒の反発、教師達からの反発、保護者からの猛反発でした。「あの校長は疫病神だ」と非難の嵐が巻き起こりました。しかし、しばらくすると生徒達に変化が現れてきたのです。本を読むようになったのです。 荒れていた頃は本を読む生徒はいなかった。それが給食を食べ終わると図書館に行って争うように本を 読むようになりました。図書館の120席が満席になり、床に腰をおろしたり廊下に出てまで読んでいます。荒れていた頃は図書の紛失が年間400冊もあったのに、本を読むようになってからは紛失がなくなりました。生徒の文章力が向上し「全国小中学校作文コンクール」に参加して1位2位に選ばれる ようになりました。校内にはあれほど落ちていたタバコの吸い殻が一本も無くなり、不登校も50人か ら2人に、非行やイジメはゼロになりました。そして、生徒達は自分から勉強するようになり問題校が優秀校へと変貌しました。大塚先生の食の改善は「真田町の奇跡」とまで呼ばれ、今では各地の学校、 行政、企業までが取り入れるようになりました。食事は自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式 であり、人の一生を左右する本当に大切なものであることを改めて実感した次第です。3/4 ~ 3/6は “日本一”  のおいしい食事が食べられる「第334回神性開発宮城練成会」が開催されます。3/5にはゲ スト講師古田圭司先生(山形教区教化部長) の特別講話もありますので、皆様ぜひご参加下さい。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年2月

投稿日:2016年1月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年2月

★1/17阪神大震災から21年を迎えました。震災の翌年に、親を亡くした日本の子供達60人を東欧のポーランドが招待し歓迎してくれたことをご存知でしょうか? 何故ポーランドなのか? そこには75年前の恩返しがありました。大正8(1919) 年、 ポーランドはロシアから独立を果たします。しかし、祖国独立のために蜂起したポーランド人は、ロシア軍によりシベリアに流刑されました。当時のシベリ アにはそのような政治犯の家族や難民も含めて10数万のポーランド人がいたのです。シベリアでは飢餓と疫病に苦しみ多くの人達が亡くなりました。問題は親を亡くした子供達です。せめて子供達だけで も生きて祖国に送り届けたい。シベリア在住のポー ランド人は欧米諸国に救済を求めます。しかし、ポ ーランドの孤児を支援することは大国ロシアを敵に回すことになります。ロシアとの紛争を恐れた欧州諸国は悉く救済の申し出を断りました。窮余の一策として日本政府に救援を懇願してきたのです。

★ 日本政府は日本赤十字社に救済事業を要請、日赤は孤児救済を受諾しました。大正9(1920) 年には375名、大正11(1922) 年には390名のポーラ ンド孤児が来日しました。子供達の大半は栄養失調にかかり半病人の状態だったため、日赤は食事、治療、衛生に細心の注意を払い孤児達の健康回復に全力を傾注しました。衣服、肌着、帽子、靴下、靴はすべて新調して与え、真心を尽くしました。又、誰よりも不幸な孤児達を憐れまれたのは貞明皇后様(大正天皇のお后)でした。孤児が入院している日赤病院に行啓され、子供達の頭を撫でながら「大事にして健やかに生い立つように」と励まされたのでした。全国からも衣類、靴、玩具、菓子などの寄贈品や寄付金が集まり、諸団体による慰問や慰安活動が相次ぎました。こうした朝野を挙げての手厚い保護により、ポーランド孤児達は急速に元気を取り戻し祖国に向けて帰って行ったのです。別れを悲しみ、 乗船するのを泣いて嫌がったと言います。孤児達は船のデッキから「アリガトウ」を繰り返し、泣きながら「君が代」を斉唱して感謝の気持ちを表しました。

★ ポーランドに戻った孤児達は終生その体験を語り継いだと言います。『日本は良い国、人道的、サム ライ精神に溢れる国だ』と。その結果、ポーランドはトルコと同じように最大の親日国になりました。 名門ワルシャワ大学の人気学科は日本語科で倍率は30倍です。大学生は日本語がペラペラ、日本人顔負けの俳句も詠んでいるそうです。後に大統領とな った連帯のワレサ議長は初訪問国に日本を選び「ポ ーランドを第2の日本にしたい」をスローガンに掲げました。欧米に見放された孤児達を何故日本だけが救いの手を差し延べることができたのか。それは神武建国以来、日本民族のDNAにはわが国の理想である八紘一宇の精神、大和の精神が脈々と流れているからであり、神の如き無私の愛を体現している 天皇陛下が、国の中心者として続いてきたからでは ないでしょうか。2/11は「建国記念の日祝賀式」 です。神武建国2676年を寿ぎ、先人の偉業を偲 び世界平和の実現を決意して参りましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成28年1月

投稿日:2015年12月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年1月

★ 新年明けましておめでとうございます。
お正 月に飾る鏡餅について谷口雅春先生が次のよう に説かれています。

「鏡餅というものを、お正月に何のために床の間に飾ったりするかというと、 あれは”心の鏡” として反省するためで、こういう円満な心まん円い心にあって、夫婦一体に、 仲良く重なっていないといかんぞよと、示されているのであります。まことに家族は皆ばらばらではいけないのであって、みんな一体になって、まんまるく、円満で、一つ心になって了わなければならんのであるということを、お正月即ち年の始めに、新たに生まれる積りで、今年はこの鏡餅の如く家族がバラバラでなく一体となり、円満完全に夫婦仲良く致しましょうとい う象徴行事がこの正月の餅飾りである訳であり ます。」(『古事記と現代の預言』P33~34)

如何でしょうか?今年は鏡餅を見る度に「夫婦円満」 「家庭調和」、つまり「ムスビの働き」を思い出 してお正月を過ごせるのではないでしょうか。 一年の計は元旦にあり。そうすれば平成28年が素晴らしい年になること間違いありません。

★ 昨年大村智先生は、ゴルフ場の土壌から発見 した微生物でノーベル医学生理学賞を受賞しました。アフリカや中南米の人々を苦しめたオンコセルカ症に効果があることを発見し、治療薬 イベルメクチンが開発されて世界で年間3億人の人々が失明から救われたのです。まさに世界に貢献する偉大な発見だったと言えるでしょう。 しかし、その陰には妻文子さんの献身的な支えがありました。大村先生が北里大学に就職された当初は雑用係的な立場で給与も低く、その給与すら研究費に全部消えたそうです。そのため生活費は奥様のアルバイトで支えられました。 そんな生活が長い間続き、大村先生が有名になって研究費を企業から引き出せるようになる直前に奥様は他界されました。つまり奥様は生活が楽になることがないまま旅立たれたのです。 しかし、そんな苦しい生活でただの研究者であった時も、奥様は「あなたはノーベル賞を取るよ」と言い続けていたそうです。奥様にとっては夫の喜びは自分の喜びであり、夫の幸せは自分の幸せだったのでしょう。大村先生もまたストックホルムの授賞式に奥様の写真を持参しました。 まさに自他一体のご夫婦でした。その自他一体のムスビの働きに神が顕れ、世界に貢献する偉 大な発見へとムスビついたのでしょう。今年は鏡餅を見ながら「自他一体」を自覚して、家庭にも国にも世界にも地球にも「ムスビの働き」がけざやかに顕れる一年として参りましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成27年12月

投稿日:2015年11月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年12月

★12/5から2つの映画が上映されます。「海難1890」と「杉原千畝スギハラチウネ」いう映画です。「海難1890」は、今年、日本・トルコ友好125周年を迎えたことを記念して作られた映画です。トルコは世界有数の親日国ですが何故トル コが親日国になったのか。それは1890年(明治23年)9/16 、当時オスマン・トルコ帝国として 勢力を誇ったトルコの軍艦エルトゥールル号が、 初の日本親善訪問の帰途、和歌山県紀伊大島樫野崎(現在の串本町)沖で台風に遭遇、船が沈没しました。650余名の乗組員が荒波に飲まれ内587人が死亡、島民の懸命の救助活動で69人が命を取り留めました。島民は貴重な白米を炊き なけなしの着物を引っ張り出し、一晩中風呂を沸かして遭難者の救命に当たりました。事故を知った皇室も使節団の身を按じすぐさま侍医を現地に派遣、日赤の医者10人も派遣されました。 そして翌年、日本政府は生存者69人を2隻の軍艦で本国に送り届けました。この官民挙げての献身的な対応にトルコの人達は感激し、以来両国は深い友情の絆で結ばれてきたのです。

★ 「杉原千畝」は日本の外交官です。第二次世界大戦時、リトアニアの日本領事館の領事代理でした。昭和14年9月1日、ヒトラー率いるナチス・ ドイツはポーランドに進攻し”ユダヤ人狩り” を 繰り広げました。ナチスの迫害を逃れたユダヤ人が連日100人ほど日本領事館に詰めかけ、ビザの発給を求めました。杉原は悩みます。外務省からは無条件のビザ発給は認められていなかったからです。しかしそれでも杉原はビザ発行を決断します。1枚1枚手書きの作業です。気の遠くなるような作業でしたが、杉原はこの”命 のビザ” を28日間書き続けたのです。それによって6千人のユダヤ人が各国に逃れ命を救われました。戦後杉原は外務省を解雇されましたが、1985年(昭和60年)イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」を授けられました。これはイスラエル建国に尽くした外国人に与えられ るもので日本人では初めての受賞でした。11/13パリで同時多発テロ事件が起き多数の死傷者を出しましたが、この2つの美しい日本人の物語は、世界の平和と友好はテロや暴力などではなく、自他一体の愛と献身によって生まれるものであることを教えてくれているのではないでしょうか。12/23は「冬季青少年一日見真会」です。 天皇陛下の素晴らしいお話が聞けますので、是非お子さんやお孫さんをお連れ下さい。今年一 年のご愛読に心から感謝申し上げます。

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光のおとずれ 編集後記 平成27年11月

投稿日:2015年10月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年11月

★ 10/4の講習会では県内各地より多くの皆様にご参加頂き本当にありがとうございました。終了後多くの方から講習会での喜びの声をお聞きし改めて実り多き講習会だったことを実感しました。特に伊藤千鶴子さんの体験談は谷口純子先生もブログで紹介していましたが、聞いた方に勇気と力を与えるものでした。震災でお店や工場が全壊したときに、それでも「神の子の自覚を深めるチャンス」と捉えて宇治、総本山の練成会に参加。以前にも増して神想観、 聖経読誦を真剣に実修し、崩れかけたお店の中でも「地震のお陰で素晴らしい店が建つ」と毎日言い続けたとのことです。それから2年8ヶ月後遂に新しいお店が再建されました。その店はお菓子だけではなく2階ではランチも食べられるとてもオシャレなお店に生まれ変わりました。しかも 資金繰りは震災前よりも楽になったとのことでした。「地震 は無い方が良いですが、生長の家のみ教えは地震の時でも乗り越える力を私達に与えて下さるのですね。生長の家は素晴らしいです!」改めてみ教えの素晴らしさと、如何なる時も神様を信じ続ける” 堅信”の大切さを実感した次第です。

★10/31付で髙橋佳子職員が退職することになりました。平成4年4月に教化部に奉職され23年間勤務して下さいました。髙橋職員と言えばプロ顔負けの” 声” と” 字” を持つ方でした。以前本部の職員が教化部に電話をかけて来たとき、応対した髙橋職員の声を聞いて「今の方はアナウ ンサーですか」と驚かれ、「電話の声で癒される職員は全国 にいませんよ」と絶賛されたことがありました。字を書かせればプロ級で表彰状やご祝儀袋等の文字はいつも髙橋職員に書いてもらっていました。教化部にとって無くてはなら ない方であり64歳の退職はまだまだ早いですが、ご本人 曰く「寿退職」ということでは仕方ありません。「寿」と言ってもご自身ではなく同居している次男さん夫婦に第3子、 つまりお孫さんが誕生するのでそのお世話をするための退職とのことです。平成6年にご主人を亡くしたとき髙橋職員はまだ43歳。教化部職員をしながら4人のお子さんを 立派に育てられ、今は皆さん結婚して独立し次男さんの奧さんは青年会委員長、長女さんは光実議長、次女さんご夫 婦は総本山職員と、生長の家に奉職していたらいつの間にか生長の家ファミリーとなっていました。その意味では髙橋職員もまた” 堅信” の素晴らしさを私達に教えてくれた方でした。今後益々のご活躍をお祈り申し上げます。

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光のおとずれ 編集後記 平成27年10月

投稿日:2015年9月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年10月

★ 東日本豪雨により被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。9/10~11に降り続 いた豪雨は鬼怒川や吉田川、渋井川の決壊など、 関東、東北地方に甚大な被害をもたらしました。 しかし、その一方で奇跡の救出劇もありました。 9/10鬼怒川の堤防が決壊した場面です。家の2階から懸命に助けを求める家族。家の屋根から助けを求める夫婦。電柱にしがみつき助けを求める男性。その時陸上自衛隊のヘリコプターが救出に来ました。一人一人をロープで釣り上げながらの救出はまさに時間との闘いです。4人の家族が救出された数分後、画面からその家が消えていました。驚きました。その家は濁流に 流されていたのです。もしあの時電柱につかま っている男性から助けていたら、4人の家族は濁流に呑まれ亡くなっていたことでしょう。又、 最後に屋根に登っていた夫婦が救助された直後、 その家も流されました。まさに危機一髪の出来事でしたが、自衛隊の的確な判断で10人全員が救出されたのです。

★ 「鬼怒川の奇跡」ともいうべき救出劇でした。 神業としか言いようのない判断でした。事実翌日のスポニチは「自衛隊” 神判断” にネットで称賛の声」と書きました。「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」自衛官が入 隊する時の宣誓です。己を捨てて公のために尽くす。そこに神の愛が現れ最悪の危機を最善の結果へと導いたのではないでしょうか。それを見ていた外国人が「自衛隊は素晴らしい! 日本国民は自衛隊によって守られているのですね! 」と感動していましたが本当にその通りだと思い ました。「天災は( 感謝を) 忘れた頃にやって来 る」ということわざがありますが、3・11から4年半を迎えた日、改めて国家国民を守って下さ る方々への「感謝」の気持ちを忘れてはならないと思った次第です。

★『万物調和六章経』の中の”有情非情悉く兄弟 姉妹と悟る祈り”の一節に、「この世界は”神の 世界” であり、この宇宙は”神の宇宙” であり、 御空は”神の御空” であり、大地は”神の大地” である。… それゆえに、神を拝し、神を讃え、 神に感謝し、みこころを自己の生活に実践する者には、如何なる災害も自己に降りかかってく ることはないのである。」とあります。異常気象による自然災害が多発している現在、「天地一切 のものは神の生命の現れである」との教えが今ほど求められている時はありません。自然と人間が大調和した世界を一日も早く実現するため に,10/4の講習会に一人でも多くの方々をお連れ致しましょう。仙台サンプラザホールで皆様 のお越しをお待ちしております。

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光のおとずれ 編集後記 平成27年9月

投稿日:2015年8月31日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年9月

★ 日曜夜9時から放送されている「ナポレオンの村」という番組をご存知でしょうか? 東京の限界集落を舞台に、都庁から派遣されてきた唐沢寿明演じる公務員が、ナポレオンの「この村の辞書に不可能という文字はない」と言いながら、 不可能を可能にして村を再生していくという番 組です。ところが驚いたことにそのナポレオン の村が実在していたのです。石川県羽咋市神子原(みこはら)地区。市の中でも高齢化率が最も高く65歳以上の住民が半数を超える限界集落。 かつては1,000 人以上いた人口も平成16年 には527人に半減。そのほとんどが農家だっ たのですが、平均年収わずか87万円と驚くほど低いため若者が村を離れていったのです。平成17年、そんな村に市長から過疎高齢化集落の活性化と農産物の1年以内のブランド化を頼 まれたのが市役所職員の高野誠鮮(たかの・じょうせん)さんでした。

★ 農産物と言っても神子原地区にはお米しかありません。幸いに神子原の棚田で穫れるお米は 碁石ヶ峰の綺麗な雪解け水と化学肥料を使っていない本当においしいお米で、南魚沼産のコシ ヒカリに引けを取らないお米でした。ただそれ を農家はもちろん農協も役所も当たり前のこと として誰も宣伝しなかったのです。神子原米をブランド化するために高野さんは何をしたか。 最初は宮内庁の御用達米として採用してもらお うと働きかけましたが断られます。次に考えたのが神子原を英語に訳すと「サン・オブ・ゴッド 」「神の子」です。神の子と言えば生長の家! ではなくキリスト教でした。キリスト教で最大の影響力のある人は誰か? そうローマ法王です。 そこでローマ法王に手紙を書きました。「山の清水だけを使って作った米がありますが、召し上がって頂く可能性は1% もないですか」と。ナ ント2ヶ月後に東京の大使館から話を聞きたいとの返事が来ました。ローマ法王庁大使館で大使に会うと「あなたがたの神子原は500人の小さな集落ですね。私達バチカンは800人足らずの世界一小さな国です。小さな村から小さな 国への架け橋をさせて頂きます。」と言われ、正式に神子原米が法王への献上物となったのです。 「神子原米がローマ法王御用達米に!」そのニュ ースは全国に報道され、役所の電話はずっと鳴りっぱなし、注文が殺到しました。売上1ヶ月 で700俵。それまで1俵(60㎏ )13,000円だったお米がナント3倍以上の42,000円 になりました。今や神子原米は高級デパートで売られる程のブランド米になったのです。

★ そして、神子原地区は現在I ターンの若者が増えて限界集落から脱却し、農作物は農家が自 分たちで値段を付けて売る直売所を作ることで 収入も格段にアップ。何よりも農家が自信と誇 りを持ち、みんなが助け合いながら楽しく暮ら せる「にぎやかな過疎集落」を実現しているとのことでした。高野さんは言います。「成功と失敗は紙一重。だけどやるとやらないとでは雲泥の差が生じる」と。神の子の本家本元は生長の家です。ならば私達も「神の子に不可能なし!」 自分達が決めた目標は必ず達成して10/4の 講習会を迎えようではありませんか。

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光のおとずれ 編集後記 平成27年8月

投稿日:2015年7月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年8月

★ 巨星逝く。松本つや講師は宮城教区の光明化運動史に残る立志伝中の人物と言えるでしょう。 亘理町から飛田給練成道場に連れて行った人数 ナント50年間で300人。生前のつや先生か ら「信仰は命がけだ」「きちがいにならなきゃ本物じゃない」と良く聞かされました。そして正真正銘の「生長の家きちがい」が松本つや先生でした。

有名なエピソードがあります。昭和32年7月12日仙台市公会堂で開催された谷口雅春先生の講習会の日。三男高明さんが交通事故に遭い大怪我をします。頭蓋骨が割れ顔も二つに割れ 脳みそが飛び出す大怪我です。つや先生が病院 に駆け付けた時はもはや施す術もなく死体置き 場で虫の息になっていたそうです。三日三晩寝食を忘れて聖経を誦げるつや先生。医者や看護 師、周りの人達も「気の毒に気が狂ってしまった 」と思ったそうです。ところが不思議な事に、高明さんは三昼夜命をつなぎとめました。そして3日目の朝、つや先生は高明さんの枕元に白髪の老翁が現れて、手にした巻物で高明さんの身体を覆い、頭から足へ3回手で身体をさすってい る姿をありありと見るのです。この日の夜、高明さんはバケツ一杯の真っ黒な血を吐き、以来 急速に快方に向かいわずか2週間で何の手術も受けずに退院することができたのです。担当医師は仰天し「私も神を信じる」と思わず叫んだという話です。

そう言えば昔は寝食を忘れて伝道する「生長の家きちがい」がたくさんいた気が致 します。松本つや先生に出会えたことに心から感謝申し上げご冥福をお祈り申し上げます。

8/8は「盂蘭盆供養大祭」霊牌の〆切日です。ご祖先はもちろん、縁ある方お世話になった方の霊牌を書いて感謝の誠を尽くしましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成27年7月

投稿日:2015年7月1日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年7月

★ 昭和60年6月17日午前7時53分、谷口 雅春先生が91歳の天寿を完うされました。当時青年会の執行委員長だった私は、その年の2月に行われた団体参拝練成会が先生とお目にか かれる最後になるのではないかと思い、青年会の仲間10数名と一緒に参加しました。そしてそれが本当に最期となりました。その時先生が話されたお言葉は「無礙光如来」でした。先生最後のご講話が5/26 の団参講話でしたが、そのときのお話は「無量寿如来」でしたのでたぶん同じ内容だったと思います。(最後のご講話は『生長の火をかざして』収録)” 袖振り合うも他生の縁” ということわざがあるが、私と皆さんとは 深い因縁で結ばれているのであって、過去にも出会っているし今度また生まれ変わってもまた再会することができるのであるという趣旨のお話だったと思いますが、先生の一言一言に喜び と悲しみの涙を流したことだけを覚えています。

★ 谷口雅春先生のことで思い出されるのは、昭 和51年に総本山仮練成道場で開催された「夏季 大学生練成会」に参加した時のことです。当時大学1年生だった私は、初めて谷口雅春先生御指 導による「祈り合い神想観」を受講しました。先生が祈る側で私達大学生は祈られる側だったと思いますが、先生が宇宙浄化の祈りで「アーオー ウーエーイー」と祈られたときに、突然涙が溢れて嗚咽している自分がいました。何故涙が出るのかわかりませんでしたが、先生が「アーオーウ ーエーイー」と祈られる度に涙が溢れ出てくる。 それをもう一人の自分が俺は何で泣いているのだと客観的に考えているのです。これは本当に不思議な体験でした。今思えば宇宙浄化の住吉大神が天降り私の魂が浄化されたからだと思いますが、その時の私には何もわかりませんでしたので本当に神秘的な宗教体験であり、谷口雅春先生直々の祈り合い神想観を受講できた本当に貴重な体験となりました。

★ 以来、先生が説かれた真理を大学で伝えるべく生学連活動に邁進しましたが、大学内で活動 することの難しさや仲間の増えない空しさに何度も挫折しそうになりました。そんな時に自分を鼓舞したのが谷口雅春先生のお言葉でした。 「この頃は悲しいことばかり、憂うべきことばか り、… もうこんな世界には生きていたくないと思うことすら時にある。そんなことではいけない。日本国を救わなければならない、人類をたすけなければならないと自分を励まし、老軀に鞭打って、できるだけ若々しそうな元気を出して、日本国を救い、人類をたすけるための知恵をだしてみるんだけれども、童べ笛吹けど、その調べに合わして動き出してくれる政治家はあまり無いのである。」このような先生のお言葉に触れるたび、自分の不甲斐なさを叱咤激励し、 幾たびも困難を乗り越えてきたのでした。谷口雅春先生が神去られて30年。節目の年に当た り総本山での「谷口雅春大聖師三十年祭」に参列できることに心より感謝申し上げます。

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光のおとずれ 編集後記 平成27年6月

投稿日:2015年6月1日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年6月

★”花燃ゆ” の舞台ともなった「松下村塾」が「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に推薦されました。8畳と10畳半の本当に小さな塾ですが、吉田松陰先生が「松下陋村といえども誓って神国の幹たらん」との願いを込めて始められた塾でした。松下村塾で教えた期間は わずか2年4ヶ月。しかしここから高杉晋作や 久坂玄瑞、伊藤博文や山縣有朋等々長州を動かし日本を動かす偉大なる人物が巣立っていったのです。松陰先生が教えたことは次の3つです。 「皇国の皇国たる所以」「人倫の人倫たる所以」「国家の危機」。日本の日本たる所以、皇室を戴いていることのこの上なき尊さ有り難さ。これを松陰先生は万言を費やして説きました。 「凡そ皇国に生れては宜しく吾が宇内(世界) に 尊き所以を知るべし。蓋し皇朝(皇室)は萬葉一 統(万世一系) にして邦国の士夫世々禄位を襲 ぐ。人君民を養いて以て祖業を続ぎたまい、臣民君に忠して以て父志を継ぐ。君臣一体、忠孝一致、唯吾が国を然りと為す。」(士規七則) 天皇国日本に生まれたならば、なぜ日本が世界の中で類無く尊い国であるかの理由を知らなければならない。皇室は万世一系にして常に国民を大切にされ、国民は常に天皇に忠義を尽くし父祖の踏んできた道を守ってきた。君臣が一体で忠と孝が一致するのは日本だけである。

★ こういう立派な国柄を持つ日本を欧米列強は狙っている。植民地、属国にしようとしている。 いまだかつてない国難です。ところが、徳川幕府はアメリカの威圧に屈服し不平等条約に調印 してしまうのです。大老井伊直弼は孝明天皇が猛反対されたにも関わらず条約調印を独断強行しました。このわが国最大の危機に際し命を賭けて立ち上がったのが松陰先生でした。松陰先生は松下村塾で教育する以外政治的な活動は一切禁止されていましたが、日本が自滅していく のを黙って見ていることはできませんでした。 京都に乗り込む老中間部詮勝を討つべく藩に対 し武器弾薬の提供を求めました。孝明天皇の御深憂、御苦悩を思い、何としても天皇国日本を守るために身を捨てて立ち上がろうとしたのです。長州藩は松陰先生を乱心者扱いし再び野山獄へ幽閉。その後安政6年(1859)4月江戸に送 られた松陰先生は10月27日処刑されます。 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」松陰先生の不滅の魂はやがて久坂玄瑞、高杉晋作らを導き、長州の尊皇攘夷、尊皇倒幕運動を成就させ明治維新を達成させました。 欧米列強の植民地支配から日本を守り明治維新の原動力となった「松下村塾」こそ、世界文化遺産に相応しい「日本の宝」と言えるでしょう。 6月の団参終了後、「松下村塾」を見学します。 皆様奮ってご参加下さい。

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光のおとずれ 編集後記 平成27年5月

投稿日:2015年4月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年5月

★ 春爛漫の季節を迎え、満開に咲いている花々に皆様の心も癒されているのではないでしょう か。人知れず精一杯咲いている花に「人生かくあ るべし」との真理を教えられます。神の子を生きるとは、今与えられた場で、今与えられている環境で、今与えられている身体で神の子を精 一杯表現することに他ならないと。シャ乱Q のボーカリストでミュージシャンのつんく♂ さん(46)が、昨年声帯癌を煩い声帯の全摘出手術を受けました。歌を忘れたカナリヤではありませんが歌を歌えない歌手は何を意味するかはお察しのとおりです。これまでに数々のヒット曲を世に出しモーニング娘等の楽曲を提供していたつんく♂ さん。人生の絶頂にいた方ですから奈落の底に突き落とされた程のショックを受けたのではないかと思います。人生を呪い絶望したとしてもおかしくありません。しかし、母校の近畿大学の入学式に姿を見せたつんく♂ さんは,7,000名の新入生を前に大型スクリーンでの活字を通して声を失ったことを告白し、「私も声を失って歩き始めたばかりの1回生。皆さんと一緒です。こんな私だから出来ること。こんな 私にしか出来ないこと。そんな事を考えながら生きていこうと思います。」と決意表明したので す。そして、「皆さんもあなただから出来ること。 あなたにしか出来ないこと。それを追求すれば、 学歴でもない、成績でもない、あなたの代わりは無理なんだという人生が待っていると思いま す。」と新入生にエールを送り、「私も皆さんに負けないように、新しい人生を進んで行きます! 」と前向きなメッセージを送りました。

★ 「人生の目的は、神を地上に顕現し、神の国を地上に実現することにあるのである。」歌手の 生命である声を失っても尚、新しい人生を歩まんとするつんく♂ さんの姿に「人間神の子肉体無し」を教えられました。人生の目的は歌を歌うことだけではなく、名声を得ることだけでもなく、成功することだけでもない。今与えられた場で、今与えられた環境で、今与えられた身体で、神の子を精一杯表現し神を地上に顕現することに他ならないと。そのための可能性は無限大であって、神の子に絶望している暇も落ち 込んでいる余裕もないということなのでしょう。 現在つんく♂ さんは決意表明どおり食道で声を 出す訓練を始めたそうです。さあ! いよいよ春本番です。神の子にできないことはありません。 与えられた講習会の目標を喜んで受け神の子の命の花を精一杯咲かせて参りましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成27年4月

投稿日:2015年3月31日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年4月

★ 4月と言えば新学期の季節。川崎市の痛ましい事件があっただけに子供達の安全な学校生活を願わずにはおれません。しかし危険なのは子供達だけではないようです。2/11の建国記念の日を前に朝礼で挨拶をした愛知県一宮市の中学校の校長先生。その内容は日本の建国は今から2,675年前の2月11日、初代神武天皇が即位した日が始まり。第16代仁徳天皇が高台に登って見たら民家から煮炊きする煙が上がっていないことから、「民のかまどより煙が立ち 上らないのは貧しく炊くものがないのではないか。都がこうだから地方はなおひどいことであろう」と仰せられ6年間税を免除された有名な「民の竈」の話をしました。又、「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから私を罰してほしい」との昭和天皇とマッカーサー元帥との会見のエピソードも話され、「日本は昔から天皇陛下と国民が心を一つにしてきた国」であり「皆さんは世界一長い歴史と素晴らしい伝統をもつこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう一生懸命に励んで欲しい」というとても素晴らしい内容でした。その原稿を自身のブログに掲載したら、それを読んだ読者から「偏向教育だ」という手紙が一宮市の教育委員会に送られ、何と市教委はその校長先生に「断定的な書き方で個人の考えを押しつけかねない」 と口頭注意、ブログが削除されてしまいました。

★ この内容のどこが偏向なのでしょうか? 3/13~15宮城県をご訪問になられた天皇皇后両陛下 は、3/13は岩沼市の千年希望の丘をご訪問。慰霊碑に白菊を手向け、3/14は仙台市での国連防災世界会議にご臨席。その後東松島市の被災地をご訪問。3/15には石巻市の白謙蒲鉾の工場をご見学、白出会長を何度もねぎらわれました。 この強行スケジュールを見ても天皇皇后両陛下が国民の幸せを第一に考えられていることがわかります。歴代の天皇陛下はまさに「国民と苦 楽を共にする」ご存在なのです。取材に対し校長先生は「子供達に” 和の心” を大切にしてほし いという思いを伝えたかった」と説明したそう ですが全く同感であり、天皇陛下の無私の愛や 慈悲の心に触れることでどれ程子供達から愛と思いやりの心が引き出されることか。危険なのは子供達ではなく偏向教育で育った市教委であ り、大人達にこそ「和の心( 結びの働き)」を伝 える必要性を感じた次第です。さあ、いよいよ 4月から講習会受講券奉戴式が始まります。受講者2,000名に向けて頑張りましょう!

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光のおとずれ 編集後記 平成27年3月

投稿日:2015年3月1日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年3月

★ 卒業式、入学式の季節を迎えます。皆さんの中にはお子さんやお孫さんが今春小学校に入学される方もいるのではないでしょうか。そんな方に紹介したい会社があります。ランドセルを製造販売している「協和」という会社です。この 会社こそ自他一体の「結びの働き」を大切にして いる会社だと思うからです。この会社はランドセルだけでなく業界唯一の障害児向けユーランドセルも製造販売しています。何故唯一かと言 えば、障害者用は全てが手作りオーダーメイド になるため、そんな手間がかかるランドセルでは採算が取れないのでどのメーカーも扱わないからです。協和だけは誰一人「面倒だ」「手間がかかる」「儲からない」などと文句を言わず、障害を持つ子供達に笑顔を届けるため社員一丸となってランドセルを造っています。しかも価格は普通のランドセルと同じ3万円以内。同じよ うにキラキラの飾りやおしゃれな縁取り、色もカラフルな12色から選べます。そこには採算を度外視しても親子の夢を叶えてあげたいとの、 社長と社員全員の愛が溢れています。

★ 協和のランドセルを買うと、千日後に購入し た人から子供に「タイムレター」が届きます。会社ではお父さんお母さんから預かった手紙を大切に保管し、千日後、つまり小学校3年の夏頃 に子供に届けるようにしています。3年後まで「家族を結ぶ」サービス、それがタイムレターな のです。そしてこのタイムレターが奇蹟を起こしました。東日本大震災が起きた夏のことです。 被災して仮設住宅に住む女の子の元にお母さんから「タイムレター」が届きました。その子のお母さんは既に津波で亡くなっていました。「入学 したつぎの日から一人であるいて行き、夜にはつかれてごはんもたべないでねてしまい、おこすとねおきがわるく、だだになってとても手がつけられない子どもでした。でもげんきに学校にいってくれるだけでおかあさんは、とてもあ んしんしていました。このてがみをみんなでよんでいるところをたのしみにして、これからお かあさんはがんばっていきます。」女の子とお母 さんを結んでくれたタイムレター。きっと女の 子はお母さんが見守ってくれていることを確信 したことでしょう。間もなく3月11日。教化部では「神・自然・人間の大調和祈念祭/ 東日本 大震災物故者追悼四周年慰霊祭」「立教記念日祝 賀式」を開催します。物故者のご冥福をお祈り し、生かされた使命に邁進致しましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成27年2月

投稿日:2015年1月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年2月

★ お正月に視聴者の夢を叶える番組がありまし た。89歳の板津忠正さんという神風特別攻撃隊で生き残った方の話です。20 歳の時に神風特攻隊として出撃した板津さんは、飛行機の故障のため1人だけ生き残ってしまいました。以来「生き残ってしまった」が口癖となりました。 亡くなった戦友のために全国の遺族を回り仲間の最期を伝えたい。それが生き残った板津さんの使命となりました。その数何と1,036人。 26歳のときに久子さんと結婚しますが、土日は全国行脚をする日々、家庭を顧みない生活でした。妻は家族旅行はもちろん夫と一緒に旅行することもありませんでした。10年後板津さん宅には遺族から写真や遺品等が届くようにな り、これを残さなければ特攻隊のことは風化して忘れ去られてしまう。そう思った板津さんは 知覧陸軍飛行場に特攻隊の遺留品を集めた記念館を作ることを決意。職場を中途退職して記念館建設に奔走しました。退職金もその資金に運用しました。久子さんはそんな夫を文句一つ言わず支え続けたのです。そして遂に昭和60年、 1,036柱の特攻隊員を顕彰する「知覧特攻平和会館」が完成しました。

★ その板津さんが番組に頼んで叶えてもらいたい夢、それはこれまで文句一つ言わず支え続け てくれた奧さんへの恩返しでした。奧さんの85歳の誕生日に初めて歌舞伎のチケットをプ レゼントします。「戦友のためにと思って家庭を顧みずやってきた。… 申し訳なかった。ありが とう。」「まあ歌舞伎の券! 嬉しいわ! 本当に嬉 しい! ありがとう。最高のプレゼントを頂きま した。」心から喜ぶ奧さんの笑顔を見た板津さ ん。「生き残って本当に良かった。久子と結婚して本当に良かった… 。」板津さんの口から思わず「生き残って良かった!」という言葉が出ました。久子さんも「私もあなたが生き残ってくれて本当に良かった。あなたの笑顔ステキよ!」 戦後70年にして初めて心から満足できた瞬間でした。半生を特攻隊の顕彰と償いに捧げた特攻隊員。夫を支え続けた奧さんの無償の愛。終戦70年を迎える今年、こんなに深くて強い絆で結ばれたご夫婦の物語があったことも忘れてはならないと思った次第です。人と人、国と国、 自然と人間が結び合う生き方の素晴らしさ、「ムスビの働き」を伝えて参りましょう。

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光のおとずれ 編集後記 平成27年1月

投稿日:2014年12月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年1月

★ 新年明けましておめでとうございます。「笑門来福」皆様明るいお正月をお過ごしでしょうか。 明るいと言えば、昨年6月末に教化部を退職したN・S 君が年末に顔を出してくれました。その顔が以前とは全く別人のように明るく輝いていたのです。宇治に行って4ヶ月。研修生になって毎日神想観、聖経読誦、聖典拝読、献労三 昧の日々。見る見る体重が落ちて宇治に行った 時は103㎏ の体重が今や80 ㎏ 。すっかりス リムになっていました。体の脂肪と共に心の脂肪も削ぎ落ちたのか、表情もかつての精悍さを 取り戻し神性仏性が輝いていました。うつ病と診断され病院で治療を受けながら仕事をしていましたが全く仕事にならず、もはや彼を救える のは徹底的な信仰生活しかいないと、職を賭して宇治練成会に行くことを決め、真理三昧、信仰三昧の生活を行じて4ヶ月。遂に神の子の神性仏性が開顕しました。今は特別研修生として賄いの担当となり食事を作っているとのことで したが、認められればそのまま宇治の職員として残り、栄養士の資格も取りたいと将来の夢を語っていました。使命感に燃えて夢を語るN君に、もはやかつての暗く沈んだ面影は微塵もあ りませんでした。あの時の彼は何処にありや?

★ 変わったと言えば昨年6月に宮城練成会に参加したM・S さん。心臓病の大手術をして身体 は痩せこけふらふらの状態で教化部に訪ねてき ました。かつて青年会時代に一緒に活動した小 生としては全くの別人の姿に驚きましたが、そ の後相愛会に入会して誌友会やクリーンウォー キングなどにも参加。見る見る明るい表情を取 り戻して行きました。驚いたのは昨年11月の練成会に参加した翌日のことでした。自宅から教化部に歩いて来たのです。片道1時間15分、 往復2時間30分。毎日歩いて教化部に通い駐車場の落ち葉掃きをしてくれました。半年前まで死神のようだった人が歩いて教化部に来るまでに元気を取り戻した姿に、思わず合掌しました。そこには神性仏性光輝く仏様がいたのです。 今此処常楽之世界。「心眼われにひらきてこの美 しき実相を見る。眼なきものこれを見ること能わず、眼ありとも心の眼ひらかざるものこれを見ること能わず。」今年も”心眼” を開いて天地 万物の大調和を観る年にしたいと思います。今年もどうぞよろしくお願い致します。

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光のおとずれ 編集後記 平成26年12月

投稿日:2014年11月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成26年12月

★11月の宮城練成会では素晴らしい真理とお いしい新米を頂き、身心共に新生しました。と ころで、11/23は「勤労感謝の日」ですが、なぜ勤労を感謝する日が11/23のでしょうか? 実はその日は、天皇陛下がその年に収穫されたお米や新穀を、天照大御神様はじめ神々にお供えし五穀豊穣に感謝する新嘗祭( にいなめさ い) というお祭りをする日なのです。わが国は天照大御神様から稲穂を授けられた瑞穂国であ り、天皇陛下はその大切なお米が今年も収穫でき、国民が今年も幸せに生活できることを神様に感謝されてから初めて召し上がるのです。国民の幸せを第一に考えられる、それが日本の天皇陛下です。まさに国父と言えるでしょう。その天皇陛下が12/23(天皇誕生日) に満81歳をお迎えになられます。「冬季青少年一日見真会」では紅白餅をついてお祝いしますので、お子さんお孫さんのご参加を是非お勧め下さい。

★10/20傘寿を迎えられた皇后陛下も、「今年 も又、集中豪雨や火山の噴火等多くの痛ましい出来事がありました。犠牲者の冥福を祈り、遺族の方々の深い悲しみと、未だ行方の分からぬ犠牲者の身内の方々の心労をお察し致します。」と、広島の土砂災害や御嶽山の噴火で亡くな られた方々や御遺族の悲しみに思いを寄せられました。第一に被災者の身を按じられるお姿 は、まさに日本の国母と言えるでしょう。わが国では昔から国中の全ての罪穢れを祓う祭儀として、災害疫病などがある度に「大祓」が行われてきましたが、生長の家でも「大祓」は住吉大神の宇宙浄化のお働きによって、私達一人一人の浄化は元より、国・民族・地球世界の一切の浄め祓いが行われ、神・自然・人間の大調和せる世界を実現する重要な御祭りとして行っています。終わり良ければ全て良し。教化部では12/26に「大晦大祓」が行われます。今年最後の大祓に参加して、来る平成27年が人類は元 より地球全ての生命にとって大調和の世界が実現することをお祈り致しましょう。今年一年のご愛読に心から感謝申し上げます。

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光のおとずれ 編集後記 平成26年11月

投稿日:2014年10月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成26年11月

★ 秋晴れの穏やかな天候に恵まれた10/19(日) 、「生長の家家族セミナー」が開催されました。いつもは裏方に専念している私も、家族大会は今年で最後ということもあり初めて会場内で聞かせてもらいました。オープニングから感動しました。音楽と画像とプロ顔負けのナレーション。「地球からのメッセージ」がヒシヒシと伝わって来ました。関東さん浦上さんの体験発表もとにかく凄かった。送別会を何度も開いてもらい、子供からも大人からも惜しまれながら退職したマンションの管理員さんなど聞いたことがありません。農産物の生産から加工、販売までする里山資本主義を実践している方が宮城に、しかも信徒さんにいたことにも驚きまし た。生命学園の子供達の「生命学園歌」斉唱も 心が和みました。生長の家が「感謝と調和」の教えであることを、初参加者にもわかりやすくお話下さった髙坂教化部長の講話。そして、佐藤淳一さん明子さんの「音楽の調べ」がまた最高でした。本当に美しい歌声でした。特に「花は咲く」は東日本大震災の復興支援ソングとして歌われているので、感動がひとしおでした。

★ 圧巻は午後からの「大先祖供養祭」です。何しろサンプラザホールの舞台が祭場になるので すから。規模と言い霊牌の数と言い、教化部では味わえないお祭りの荘厳さを感じました。東京第一教区から参加されたO 職員のお姉さんが、参加者全員で「聖経」を読誦できたことに大変感動したとのことでした。約700名の参加者が聖経を誦げて供養して下さったことに約1万柱の御霊様達もきっと喜ばれたことと思います。終わってみればあっという間の一日でしたが、内容的には本当に感動、感動、感動の一日だったのではないでしょうか。今回参加して見て出場者の皆様のレベルの高さを実感しました。そして、それを支えている運営スタッフの皆様の底力にも感動しました。遠く気仙沼から は朝6時30分に出発したとのことでしたが、 県内各地からご参加下さいました皆様、本当にありがとうございました。又、準備、運営に携 わって下さった運営役員の皆様、本当にご苦労様でした。お陰様で最後の家族大会を最高の内容で終了することができました。

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光のおとずれ 編集後記 平成26年10月

投稿日:2014年9月25日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成26年10月

★ 県内の稲も黄金色に色づき実りの秋を迎えま した。実りの秋と言えば、テニスの錦織圭選手の活躍は素晴らしかったですね。全米オープンテニスで日本人初の決勝進出。惜しくも優勝は逃しましたが、それでも準優勝は日本人初ですからまさに歴史的快挙と言えるでしょう。錦織選手は、小学校の卒業文集に「夢は世界チャ ンピオンになることです。」と宣言していました。その時から彼の運命は世界に羽ばたいたのです。13歳の時にジュニア育成奨学生制度で単身渡米、テニスの技術を磨きました。大きな転機はマイケル・チャンコーチとの出会いでした。東日本大震災の復興チャリティーイベントでネットを挟んで打ち合い、試合後の対談で「心の弱さ」を指摘されたのが縁でチャン氏にコ ーチ就任を依頼したのです。その出会いが錦織選手を超一流プレーヤーへと開花させました。 「描いた夢は実現する」。夢まだ中半とは言え、心に描いた世界チャンピオンの夢をみごとに実 らせたのが全米オープン準優勝だったのです。

★ 「夢」と言えば、錦織選手が所属している日清食品の創業者、安藤百福氏の話も有名です。 信用組合の倒産で財産を失ったのが47歳の時。残った家の庭に小屋を建てて朝から晩まで インスタントラーメン作りに没頭しました。それまで一度も麺を作ったことはなかったそうです。あったのは日清食品の社名にもなった「日々清らかに豊かな味を作りたい」との夢だけでした。試行錯誤の結果、麺を乾燥させるのではなく高温の油で揚げる現在の製法を発見しま した。それが世界初のインスタントラーメンで ある「チキンラーメン」の誕生となったのです。 そして59歳のときに「カップヌードル」を開発。世界中で食べられる大ヒット商品となりま した。しかし驚くべきはその後です。何と90歳の時に宇宙で食べられるラーメンの開発に挑戦していました。そして95歳の時「スペース・ ラム」と名付けられた宇宙食ラーメンは本当に宇宙に飛び立ったのです。夢の実現は年齢では ないのですね。「愛と信念」のあるところ、神の無限の智慧と愛が天降り夢や願いは実現する と言うことでしょうか。ならば私達も、”自然 と人間の大調和した世界実現” という神の御心実現に向けて、10/19「生長の家家族セミナー 」を大成功させ実りの秋と致しましょう。

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