カテゴリー: 光のおとずれ

光のおとずれ 編集後記 平成29年1月

投稿日:2016年12月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成29年1月

★ 新年明けましておめでとうございます。昨年過激な発言で物議を醸したトランプ氏。1/20にはいよいよ米国大統領に就任致します。 米国と言えば世界一の軍事大国であり経済大国です。米国がクシャミをすれば世界中が風邪を引きます。そんな国の大統領にトランプ氏が就任すると言うことですが、その自覚が果たしてご本人にあるのでしょうか。早くもTPPから の離脱を表明するなど、世界のリーダーと言うよりも米国優先、国益第一主義の大統領としての片鱗を見せています。だからこそ米国民はト ランプ氏を選択したのだと思いますが、世界の平和や調和よりも自国だけの富、自国だけの利益を考える指導者で、果たして「大国」の指導者と言えるのでしょうか。トランプでも「ジョーカ ー」でないことを祈るばかりです。

 

★ 更にお隣の韓国。朴槿惠大統領は友人の崔順実(チェスンシル) 被告を国家政策や高官人事に関与させたり、企業に資金拠出を強要するな ど職権乱用が発覚しました。韓国国会は大統領を弾劾し何と大統領が職務停止となったのです。 前代未聞の不祥事かと思いきや韓国では当たり前のことでした。大統領が容疑者となるのは今に始まったことではなく、朴槿惠大統領を含め ると歴代大統領10人中9人もが、一族も含めて不正蓄財、不正資金疑惑等で逮捕され、亡命、 失脚、死刑、懲役刑、暗殺、自殺をしているのです。 つまり、韓国は国家の指導者でさえ犯罪者とな るのが当たり前の国であり、とても仁義礼智信の教えを学ぶ「徳の国」とは言えないようです。 韓国ではなく「アカン国」と言えるでしょう。

 

★ 翻って日本はと考えると、元旦の早朝5時30分、大晦日に紅白を見て国民がまだ眠りについている頃、皇居では祭祀が行われています。 天皇陛下が神嘉殿の南庭で、伊勢神宮を初め、 神武天皇御陵、天地四方の神々を遙拝され、世界の平和と国民の幸福をお祈りする「四方拝」を斎行されているのです。つまり、わが国では国の中心者である天皇陛下が、年の初めに「神事= 祭祀」を実践されているのです。「凡(およ) そ 禁中の作法、神事を先にし他事を後にす。」とい うのがご皇室の伝統であり、歴代天皇が125代にわたって守り続けてこられたのが宮中祭祀、 祈りでした。「ななそぢを迎えたりけるこの朝も祈るはただに国のたひらぎ(昭和45年) 」「我が庭の宮居に祭る神々に世の平らぎをいのる朝々(昭和50年) 」わが国は国の中心者が毎朝世界の平和と国民の幸福を祈って下さっているのです。 何と有難いことでしょうか。今年も元旦は教化部で「元旦神想観始め」を実修致します。一年の計は元旦にあり。天皇陛下と共に世界の平和と万物調和を祈れる幸せをかみしめつつ、平成29年も祈りから出発致しましょう。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成28年12月

投稿日:2016年11月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年12月

★ 寒くなってきましたので心の温まるエピソー ドを紹介致します。9/28天皇皇后両陛下は 国体の開会式ご臨席のため岩手県をご訪問にな られました。その際、震災で被害にあった沿岸部の大槌町と山田町もお見舞いになられたので す。宿泊されたのは大槌町にある「三陸花ホテル はまぎく」です。何故「はまぎく」と言う名前がついたのか。平成9年に全国豊かな海づくり大 会のため大槌町を訪れた両陛下は、浪板海岸にあった同ホテルの前身のホテルに宿泊されました。当時案内役を務めた千代川茂さん(現同ホテ ル社長)は、天皇陛下から海岸に群生する真っ白な花の名前を尋ねられたのです。花と無縁の生活だった千代川さんは誤って「ハマナス」と答えました。すると陛下は側近に「あれはハマギクじ ゃないのかな」とつぶやかれたと言います。陛下の前で大失態を演じた千代川さん、ホテルの役員だったお兄さんがお詫びに後日ハマギクの苗を両陛下に贈ったそうです。そのお兄さんは平成23年の大震災の際、津波で亡くなりました。 ところが、同じ年の10月、皇后さまのお誕生日に宮内庁が公開した写真を見て千代川さんは思わず驚きます。何とその写真に御所に咲く真っ白なハマギクの花が映っていたのです。

★ 津波で壊滅的な被害を受けた同ホテルの再建 には10億円が必要とされ、再建するかどうか 当時千代川さんは逆境に立たされていました。 そんな千代川さんの背中を押してくれたのは御 所に咲いていたハマギクでした。何故ならハマ ギクの花言葉は「逆境に立ち向かう」だったから です。両陛下が力を与えてくれていると思いました。そして平成25年8月、ホテルは見事に再建され「はまぎく」と銘々されたのです。9/28千代川さんはホテルの玄関で万感の思いで両陛下を出迎えました。「お待ちしておりました 」千代川さんの言葉に陛下は「頑張りましたね」 と声をかけられたのです。これまでの苦労が報 われた瞬間でした。皇居と被災地を結んだハマ ギクの花。もし天皇陛下がハマギクの苗を御所に植えていなければ「ホテルはまぎく」の再建もなかったことでしょう。国民はもとより一木一草まで慈しまれ愛される天皇陛下の大御心に触れ、日本国民として生かされている喜びをしみ じみと感じた次第です。12/23(金)は天皇誕生日、教化部では「冬季青少年一日見真会」が 開催されます。子供達に天皇陛下のご聖徳と日本国の素晴らしさを伝える最高のチャンスですので、お子様お孫様を連れて是非ご参加下さい。 今年一年のご愛読に心から感謝申し上げます。 どうぞ良い年をお迎え下さい。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成28年11月

投稿日:2016年10月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年11月

★ 実りの秋を迎え早くも新米が店頭に並ぶ季節 となりました。”米” と言えば、今年”米寿” を 迎えられた石巻の眞野昭子講師より嬉しい便りが届きましたのでご紹介致します。

「秋映えの候となりました。この頃あちこちで生長の家をはなれられる方をききますが、私は生長の家にて善人となり幸せとなりました。(中略) 家庭の不和、夫婦不調和になやんでいた私が、教化部の練成会に何回も参加して、自分の考えが一番で、 他の人は全部悪いのだと思っていたことが間違っていたことがわかりました。夫を中心に姑さんにも真心を尽くし次第に調和しました。夫が病になりベッド生活となり9 年間看護しました。何事もさせていただくのを心から感謝して、若い時の悪いコトバを発したことを詫びて、毎日二人のうれしい楽しい日々を過ごせ、昨年の3月97才の長寿を安らかに全うして霊界へ移行されました。
素晴らしい人生を終えられた主人、 私もかくありたいと思う。
“朝夕に心静かに神想観真心こめて甘露の法雨” “ありがとうございます” は一日中唱えます。
生長の家の文章は素晴らしいので毎日声を出して言います。神の子は法則を守り、笑顔を忘れず、愛深いコトバを 語り、人を心から褒める人となり、私は今聖典を読み、聖歌を歌い、今、今、心のやすらかさを感じ、いのちある限りみ教えをかみしめ、家族大調和の生活が出来るのも、みんな生長の家を学んだおかげでございます。ありがとうござ います。」
米寿を迎え柿の実が熟するように魂も成熟していく、眞野昭子講師のお便りを読んで小生もかくありたい思わされた次第です。

「歓びの言の葉幸(さきは)ふお便りに 尊き姿拝す嬉しさ」
「年月を重ねるごとに歓びの言の葉( ことのは)増える幸せの秋」

 

★ 新しいと言えば,11/1より松田正道教化部長が宮城教区の教化部長として赴任されます。
こちらは” 新米” ではなく石川教区、空知教区の教化部長を歴任されたベテランです。
11/2午前10時30分より「教化部長就任神前奉告祭」が執り行われます。
新教化部長着任の祭祀ですので、近隣の信徒の皆様はぜひご出席下さい。 大勢で松田先生をお迎え致しましょう。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成28年10月

投稿日:2016年9月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年10月

★ 髙坂教化部長の転勤はまさに寝耳に水でした。 もちろん一番驚かれたのはご本人だと思います。 生長の家では人事は神事ですから天命というこ となのでしょう。髙坂教化部長が宮城教区に赴任されたのは、平成23年4月1日です。小生の長い職員生活でも忘れることのできない、千年に一度の東日本大震災に見舞われた直後のこ とでした。震災で教化部業務も停止し信徒さんの安否確認をしている最中にも関わらず、故有好教化部長が3月31日で退任し、その替わりに髙坂教化部長が赴任されたのでした。教区がこんな大変な時に教化部長を替えるとは、本部は一体何を考えているのかと憤りを感じ、宮城のことを全く知らない教化部長が来ても、何の力にもならないのではないかと、正直不安に思ったことを覚えています。

★しかし、実際は違いました。単身仙台に来られ、引っ越しの荷物が届かない中、何も無いマンションで一人暮らしを始められたのです。今でも覚えていますが、初日の夜小生の携帯に「部屋に 蛍光灯がない」との電話が入りました。事前に部屋を見たときは昼間だったので蛍光灯が無いこ とに気付かなかったのです。愕然としましたが時既に遅し。事務局長として一生の不覚でした。 奥様のいない不自由な生活を続けられながらも、 髙坂教化部長は宮城教区の復興の先頭に立って 陣頭指揮を取られました。定期的に復興支援会議を開きながら支援物資の支給や支援活動に取り組み、救援募金の配付やお見舞い訪問など被災した信徒宅を精力的に訪問し励まされました。

★ 一方で教区行事の再開にも力を入れられ、5月には震災後初めて宮城練成会を再開しました。 震災後の暗闇に復興の光が灯ったような瞬間でした。又、その年は講習会の年でした。ピンチはチャンス!  禍転じて福となす! その頃の教化部長は、まさにその言葉通り「良き言葉」「明る き言葉」「前向きな言葉」を言い続け、使い続けながら会員、信徒の皆さんに真理の言葉を雨降らせ、勇気と元気とやる気を引き出され、気づいたら震災後わずか7ヶ月しか経っていないの に講習会を開催していたのです。こんなに感動した講習会は後にも先にも無かったと思います。 当時の編集後記には「10月23日、宮城教区の講習会が大感動と大感謝の内に無事終了しまし た。当初は震災の影響で受講者の激減も予想さ れましたが(聖使命会員の被災者件数は死亡、 全壊、半壊を合わせると現在300件)、何と結果は1,679名。前回実績より41名少なかっ たものの目標の1,610名は、みごと突破することができました。万歳!万歳!万歳!」と喜びが綴られています。宮城教区復活の瞬間でした。

★ 教区の最も大変な時に何故髙坂教化部長が着任されたのか。それはあの時宮城に「最も相応しい教化部長」だったからです。髙坂教化部長でなければ教区をまとめることも、復興を加速させることも、講習会を成功させることもできなかったでしょう。まさに神様の配剤としか思えません。千年に一度の震災から、宮城教区を復興させて頂いた御恩に心から感謝申し上げ、髙坂教化部長ご夫妻の今後益々のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。5年7ヶ月間のご指導、本当にありがとうございました。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成28年9月

投稿日:2016年8月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年9月

★ 残暑お見舞い申し上げます。地球の裏側リオでは連日熱戦が続いています。中でも日本体操男子は団体で悲願の金メダル獲得。個人総合でも内村航平選手が金メダル2連覇の偉業を達成しました。2位のオレグ・ベルニャエフ選手(ウクライナ)とはわずか0.099点差の大逆転劇でした。ところが、会見の席上で男性記者が「ミスタ ー・ウチムラ、あなたは審判に好かれているから良い得点が取れると感じていますか?」という意地悪な質問をしました。内村選手は怪訝な表情をして「ジャッジは公平だと思う」と発言。するとベルニャエフ選手が「航平さんはキャリアの中でいつも高い得点をとっている。それは無駄な質問だ」と一喝、「航平さんを一生懸命追っているが簡単じゃない。この伝説の人間と一緒に競い合えていることが嬉しい」と称賛したのです。 3位のマックス・ウィットロック選手(イギリス) も「彼は皆のお手本です。今日の最後の鉄棒は言葉が無い。クレイジーとしか言えない」と内村選手を絶賛しました。共に戦った戦友だからこそ理解し得る内村選手の偉大さであり、戦い終 えたらお互いの健闘を称え合うスポーツマンシ ップ、ノーサイドの精神に大変感動しました。

★ ノーサイドの精神はスポーツだけでなく国どうしにもありました。かつて日露戦争の旅順攻囲戦で日本軍が勝利を収めたとき、乃木希典大将はロシアの敵将ステッセルと水師営で会見、 その際将軍に帯刀を許し最大限の名誉を与えました。この戦いでの日本の戦死者は約1万6千人、ロシアは約1万人でした。しかし、「昨日の敵は今日の友、語ることばもうちとけて、我はたたえつかの防備、彼は称えつわが武勇」と歌に もあるように、戦い終われば共に祖国のために 戦った勇者として、相手の名誉を重んじ武勇を称えたのが日本精神でした。まさにノーサイド の精神です。しかし、オバマ大統領が広島を訪問した際、中国の王毅外相は「(原爆) 被害者に は同情するが加害者は永遠に責任を回避できな い」と述べ、中国の中央テレビは「米国大統領が 被爆地を訪問したからと言って日本の戦争責任が帳消しになるわけではない」と何度も報道したそうです。彼の国にはノーサイドの精神はないのでしょうか。わが国を侵略国と批判しながら、 南シナ海の岩礁を違法に埋め立て軍事基地化し、 多数の公船漁船を以て尖閣諸島を領海侵犯している国は侵略国ではないのでしょうか。

 

★ と、一人憤慨していたとき『いのちの環』No77の、「人をさばくこと勿れ。… もしその人がよき人と現れなかったならば、それは相手が悪いのではなく、自分自身が実相を見る力の修練が足りなかったからなのである。… すべての人間が神の子であり、仏の子であることを自覚する時 どこにも悪しき人はいないのである。」との文章が目に止まりました。彼の国とも調和しているのが実相世界である。信仰者としてまず彼の国の実相顕現と世界平和の実現を祈ることに致しました。『甘露の法雨』ではありませんが「大調和の神示」を写経して、小さくは個人の病を癒し、 大きくは国家の大病・世界の大病を癒すべきだと思った次第です。9/27の「大調和の神示祭」に向 けて一人でも多くの皆さんに写経を奉納して頂 き、世界平和の実現を祈願致しましょう。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成28年8月

投稿日:2016年7月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年8月

★楠本加美野著『よろこびの先祖供養』に集録さ れている「破れ寺の若坊主」の話。ある30戸足 らずの小さな漁師村に若い住職が赴任して来ました。お寺は破れ寺、最初は後悔しましたがこれも仏のご縁と、過去帳を懐にその日の物故者の霊を供養するために部落を周り始めました。 初めは村の連中も馬鹿にしていましたが5年も続くと、朝食を出す家や米を持たせる家も現れました。この村の沖にしかけた鰤網に網が破れんばかりに鰤の群がかかり、一日で巨万の札束が転げこんだのはその頃です。よその村の網には一匹もかからずにこの村の網にだけ鰤がかか ります。不思議だ、謎だ。「ひょっとしたらあの若坊主が毎日経を読んでくれるせいかもしれんぞ」誰かが言ったこの言葉は皆を納得させました。5年間1日も欠かさず家々の古仏を掘り起こして読経して歩いているのだ。その祖先をまつる心に仏は幸運の矢を向けてくれたのかもしれぬ。家々から金を集めて寺を復興し、せめてあの和尚の寝る部屋の雨漏りをふせいでやろうではないか。村人に仏心が芽生え、高台に分不相応な巨大な庫裡、本堂、山門が厳然とそびえ立つことになったという話です。

 

★ 教化部では、生前役職者として貢献された方を布教功労物故者として、祥月命日の「月次先 祖供養祭」と、春・秋の「布教功労物故者慰霊祭 」の年3回感謝のご供養をさせて頂いています。 現在260柱ほどになっていますが、ある方から一般の霊牌は宇治に送って1年間聖経供養をされているのに、功労者の霊牌は教化部で供養しているとはいえ、その都度宇治に送らないのは大変申し訳ないのではないかと言われました。 功労者は言わば教化部のご先祖様。教化部でのご供養の後は宇治に送って聖経供養をした方が良いとのご指摘でした。言われてみればその通 りなので、以後毎月その月の功労者の霊牌は別に記載し、宇治にお送り致しました。その年の教化部決算が? 百万円の赤字決算になりました。 ところが、購入していた国債がそれまでにない高利率で売れ、何と赤字とほぼ同じ売却益が入ってきたのです。そこで思い出したのが「破れ寺の若坊主」の話でした。何故同じような金額が入ってきたのか。教化部のご先祖様が喜んで下さ っているのだと思わざるを得ませんでした。今月の「宇治だより」に、「誌友、信徒の皆様は朝に夕に先祖供養を三度の食事同様に日々修しておられることと存じます。意識して行ずるのでもなく、習慣とも違う。おのずから仏前、神前に座して聖経供養を実践しておられますこと祝福申し上げます。」と書かれていました。いつの間にか、毎日のご供養を義務感や責任感でしていたことを反省させられた次第です。8/6は「盂蘭盆供養大祭霊牌奉送祭・先祖供養祭」です。ご先祖様はもちろん縁ある方々の霊牌も宇治に送 り真心込めてご供養させて頂きましょう。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成28年7月

投稿日:2016年6月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年7月

★東京都の桝添知事が辞任しました。海外出張 に5,000万円の出費や毎週土日の別荘通いに公用車を使用。公務時間で年間36回の美術館巡りはさすがにやり過ぎであり、甚だしい公私混同と言えるでしょう。

しかし何故都民が怒っているのかさえ理解できないことが桝添知事の悲劇と言えます。

ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領は「世界で一番貧しい大統領」と言われていますが、自分の給料の9割は慈善事業に寄付し約10万円( 同国の平均月収は6万円)で生活し、 国際会議にはビジネスクラスや他国の大統領専用機に便乗させてもらい国の経費を節約しています。そのムヒカ大統領は「貧しい人とは少ししか持っていない人ではなく、無限の欲がありいくらあっても満足しない人だ」と言っていますが、その意味では自らの権限に胡座をかき、都民の税金を湯水のごとく使って贅沢三昧な生活 をしながら、何の痛みも感じない都知事はまさに「心貧しき人」と言えるでしょう。

『無私の日本人』で磯田道史氏は次のように書いています。

「ほんとうに大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力を宿らせた人である」

と。

桝添知事の間違いは、人生の価値をお金や財産、世間的地位や名誉などの現象的価値に置いたことです。

その意味では、東大は出ても「七つの燈台」を出ていな いことが最大の誤りだったと言えるでしょう。

 

★ かく言う小生も、若かりし頃は公立高校に入って国立大学を出て、一流会社に就職して社会 的地位を得ることが価値ある人生と考えていま した。

ところが、高校2年生の時に初めて日本武道館で開催した生長の家の全国大会に参加しました。

同じ高校生が体験発表でアルバイトしたお金で『理想世界』誌(現在の普及誌)を購入、 クラス全員に愛行しているという話を聞いて、 驚き感動したのです。

アルバイト代を自分のた めではなく学園光明化のために使っている、こんな高校生が世の中にいたのかと。

谷口雅春先生は『青年の書』で

「真の人間の価値は”彼が何を持つか” ということにはないのであって、” 彼が何であるか” ということにあるのである。… 包紙や宝石箱がいかに立派であろうともその中の宝石が偽物であったならば何の値打ちもないのである。

外の冨や名声が立派であるのはただ宝石箱を華麗絢爛に包装するのと同じである。それよりも真の自己の魂の宝石を本当のものたら しめなければならないのである。」

と説かれてい ます。

人生の価値は外側ではなく内なる魂や人格を高め輝かすことにあると。都知事の失敗を繰り返さないためにも、正しい人生の目的、真の人間の価値を多くの人達に伝えていくことの 大切さを改めて感じた次第です。

7/10の「相愛会教区大会」、7/16~ 18の「青年練成会」に多くの皆様のご参加をお待ちしています。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成28年6月

投稿日:2016年5月31日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年6月

★大和町吉岡が舞台となった映画「殿、利息でご ざる! 」が公開されました。この映画は史実を基 に作られたものですが、原作の『無私の日本人』 を読んで驚きました。こんな立派な人達が宮城 県にもいたのかと。250年前吉岡は吉岡宿と呼ばれた宿場町でした。その吉岡で酒屋を営ん でいたのが穀田屋十三郎です。十三郎には悩みがありました。それは吉岡の町が年々寂れていくことです。その原因は「伝馬役」と呼ばれる藩の重い労役にありました。年貢の他に課せられた重い負担に耐えられない町民は、町を出るため町は寂れていく一方でした。「このままでは吉岡は亡ぶ」というのが十三郎の悩みでした。十三 郎は吉岡きっての知恵者と言われた菅原屋篤平治に相談します。すると菅原屋もそのことに心を痛め吉岡再生の秘策を考えていました。その秘策とは藩にお金を貸してその利息を町民に給付するというものでした。藩に貸すお金は千両、 現在の3億円。利息は年に1割で百両、3千万円です。しかし、貧しい宿場町で千両を集めることは容易なことではありません。二人は例え家屋敷、家財道具、衣類を売り払って身代が潰れてもこの大願を成し遂げることを誓いました。

★ その大願に9人の同志が集まりました。中でも十三郎の生家浅野屋は吉岡きっての酒屋でし たが、父甚内も吉岡宿の疲弊を憂え浅野屋の銭は吉岡再生のために使うことを遺言し、父の遺 志を受け継いだ弟は浅野屋の身代を投げ出して千両の約3分の1に当たる1億円を出資したのでした。その結果、千両の大金が集まりましたが、 そのお金を藩に貸し付けるまでには、更に嘆願書を藩の上層部に届け許可を取るという前代未聞の苦労がありました。しかし、十三郎らの大願は代官所を動かしついに藩の財政を預かる出入司、萱場杢を動かして許可を得ることができたのです。吉岡宿には毎年百両の利息が届くよ うになり、吉岡宿はそのおかげで潤い、幕末に至るまで人口が減ることは無くなりました。七夕には毎年豪華な飾りが家々の門前に立てられ、人々の歓呼の声がこだましたそうです。

★ 「積善の家に余慶あり」と言いますが、身代が傾いた浅野屋にはその後藩主伊達重村が訪れ、 直筆の「霜夜・寒月・春風」の書を賜り、それを銘酒としたことで浅野屋の酒は飛ぶように売れ潰れずにすみました。十三郎の穀田屋は他の店は絶えたにも関わらず、何と平成の今も続いているとのことです。私心を捨てて公のために尽くす” 捨徳” を生きた先人の姿に心から感動し感謝した次第です。しかし、吉岡宿の話は決して他人事ではありません。宮城県教化部も度重なる聖使命会員の減少に伴い厳しい財政状況に陥 っているからです。このままでは「十三郎の悩み」が現実のものとなり兼ねません。教化部再生のために千両とはいかなくとも月額1万円の「特志会員」や「道場維持費」を奉納して下さる、平成の穀田屋十三郎の出現を期待しています。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成28年5月

投稿日:2016年4月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年5月

★桜花爛漫の春を迎え各地で桜の便りが聞かれ た頃、教化部にも嬉しい便りが届きました。宇 治別格本山に勤務している鈴木直人君からの便 りです。

「お久しぶりです。宇治に来て約1年半になりました。毎日慌ただしく色々なことがあ りますが、毎日道場生活をさせて頂いて一所懸命働いて沢山勉強しています。食堂でも色々と 仕事を任されるようになり、僕が料理を担当する機会も増えてきました。練成部の一員として もより素晴らしい練成会を開催するために、仲間と共に祈ってアイディアを出し合い一所懸命頑張っています。今朝、本山の精霊招魂神社近くの林から筍を掘ってきました。お早めにお召し上がり下さい。又、是非宇治にもお越し下さい。 僕も時間ができましたら教化部に顔を出したいと思います。」

教化部を退職して1年10ヶ月。 今や宇治別格本山の正職員となり練成会の炊事担当として元気に働いているとのこと。当時を知っている誰が今の直人君の姿を想像し得たでしょう。「聖霊天降る宇治」と言われますが、宝蔵神社の御祭神そして宇治の自然や道場生活が直人君の病んだ心と身体を癒し、神の子の実相を引き出してくれました。

「落葉したときに、その木は萎縮したのではなく、年輪をきざみつつ、 その木質は堅緻となる。而して来春の花のために準備がすすめられつつあるのである。それと 同じく、人間も失敗したように見え、行き詰ま ったように見え、足ぶみしたように見えるときに、その魂は進歩しつつあるのである。」

(『新版 栄える生活365章』P205 )

春の便りに、宇治の 筍の如く大きく逞しくすくすくと成長している 直人君の姿を思い心から嬉しく感じた次第です。

★今年は例年よりも早く教化部前の八重桜が咲 きそうです。その八重桜を見る度に思い出され るのは昭和天皇の

「風さゆるみ冬は過ぎてまちに まちし八重桜咲く春となりけり」

「国の春と今こ そはなれ霜こほる冬にたへこし民のちからに」

の御製です。
昭和27年4月28日サンフランシ スコ講和条約が発効し、日本が独立を回復した ときの歓びを詠まれたものです。昭和天皇にと って昭和27年の春は国民と共に国難を乗り越 えた歓びそのものでした。大東亜戦争の敗戦占領はわが国にとって未曾有の国難でした。その国難に対し、昭和天皇は国民を慰め励まし、生きる勇気を与え復興に起ち上がってもらうことが自らの責任であると「全国ご巡幸」を始められたのです。ご視察日数165日、距離数3万3千キロ。沖縄を除く全国46都道府県を隈無く歩かれました。被爆地広島では7万人の県民が陛下の御巡幸に感泣し生きる希望を見出しました。 佐賀の因通寺では両親の位牌を抱えた戦災孤児を涙を流して励まされました。静岡では巡幸反対を唱える共産党員もお帰りの際には「天皇陛下万歳」を叫んでいました。戦いに敗れ焦土と化した日本は、陛下のご巡幸によって国民の心が一つになり奇跡の復興を遂げたのでした。独立回復から64年目の春を迎え、今も尚輝き続けている皇室と国民の絆に日本国の有り難さを感じた次第です。

4/29~5/1、「白鳩会全国幹部研鑽会」「相栄合同全国幹部研鑽会」「青年会全国大会」が開催されます。満開の八重桜と共に皆様のご参加を心よりお待ちしております。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成28年4月

投稿日:2016年3月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年4月

★ 「水をくむ少年」は水を入れた大きなペットボ トルを両手に抱え、口を真一文字に結んで歩く少年の写真です。気仙沼市のガレキの中で撮られた写真が新聞に載り被災者を励ましました。 一昨年他界した俳優の高倉健さんも励まされた一人です。健さんは新聞から切り抜いた写真を「宝物」として台本に貼り付け、「毎朝写真を見る とぎゅつと気合いが入る」と語っていたそうで す。少年の名前は松本魁翔(かいと)君。当時小学校4年生だった少年も、今年中学校を卒業し仙台の高校に進学が決まりました。津波で自宅が全壊し親戚の家に身を寄せていた当時、「みんなの役に立ちたい」と近くの井戸で何度も水を汲んだそうです。釘を踏み足を怪我しても黙って耐えたこの少年は、この5年間バスケと空手で心と体を鍛え、女手一つで自分と姉、妹を育ててくれた母親に「次は俺が守る番だ」と決意を固めています。母子家庭で家計が苦しい中でも3人の子供を必死に育てている母。その母の愛情に応えて逞しく成長している息子。まさに「この母にしてこの子あり」です。震災復興5年目を迎 えた春の嬉しいニュースでした。

★母と子と言えば「保育園落ちた日本死ね!」というブログが話題になっています。1歳の子供を保育園に預けられなかった母親が、怒りのままに書いたブログがツイッターで拡散。「待機児童ゼロ」を掲げる安倍政権への格好の攻撃材料になっているのです。しかし「初めに保育園ありき 」の議論には違和感を禁じ得ません。待機児童の年齢はわずか0歳~3歳。つまり一番母親の愛情と温もりが必要な乳幼児期なのです。皇后陛下が詠まれた御歌に「あづかれる宝にも似てある ときは吾子(わこ)ながらかいな畏れつつ抱く」 がありますが、わが子と言えど神様からの預かりもの授かりものです。中には望んでも赤ちゃんに恵まれない親もいれば死産流産する子供もいるのです。ならば折角授かった子宝。母親になれたことに感謝して、せめておむつが取れる までは母としての愛情を注いで大切に育ててもらいたいものです。ブログには「どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。ふざけんな日本。」と書いてありましたが、こんなママ達が増えたらそれこそ「どうなるんだよ日本」です。その意味では、今必要なのは「保育園」ではなく「母親教室」だと言えるでしょう。

「人間は神の子であ り、神が” 神の子” を生み給うのであるから、その生育に必要なる費用は、必ず神がそれを与えたもうのである」(『新版栄える生活365章』 P196 )

この真理の拡散こそ悩めるママ達の最高の救いとなり、待機児童ゼロを実現することにな るでしょう。母親教室の使命大なりです。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成28年3月

投稿日:2016年2月27日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年3月

★3/1は生長の家の立教記念日。33ある神示の中で谷口雅春大聖師に一番最初に天降ってきたのが 「生長の家の食事」の神示です。何故食事なのか? 疑 問に思った方もいるのではないのかと思います。しかし「真田町の奇跡」を知って疑問が氷解しました。 長野県真田町(現在の上田市) の教育長を務めた大 塚貢先生の教育改革はまさに「食事の神示」の実証と言えるのです。平成4年長野県の中学校に校長として赴任した大塚貢先生。廊下をバイクが走り抜け、 校舎に落ちているタバコの吸い殻を拾い集めるとすぐにバケツが一杯になる。授業を抜け出すのは当たり前、非行や犯罪事件は毎日のように起きる、中学校はまさに荒廃の極みにありました。いったい何が原因なのか。全校生徒を対象に食の実態調査をす ると38%が朝食を食べてこないことがわかりました。朝食を食べてきた生徒の食事内容も、菓子パン、 ハム、ウインナー、人口甘味のジュースが多い。夕食はレトルトカレーや焼肉が多かった。生徒が食べているのは肉類や加工品ばかり。血液をきれいにする野菜や青魚などは摂っていない。これでは血がドロドロになり必要な酸素や栄養分が行き渡らないため、情操や判断力を司る人間の脳が正常に機能しないことがわかりました。食事が原因だ! 大塚先生は、PTAを開いて食生活の重要性をお母さん方に訴えるのですが誰も聞く耳を持たない。全く無関心。そこで学校の給食を変えることを始めるのです。

★ 給食も、菓子パン、揚げパン、中華麺、スパゲティ、 それに副食は肉が主流。家庭の食事と同じでした。 そこで、主食はパンから米飯に、副食は魚や野菜に変えようとしました。ところが、待っていたのは生徒の反発、教師達からの反発、保護者からの猛反発でした。「あの校長は疫病神だ」と非難の嵐が巻き起こりました。しかし、しばらくすると生徒達に変化が現れてきたのです。本を読むようになったのです。 荒れていた頃は本を読む生徒はいなかった。それが給食を食べ終わると図書館に行って争うように本を 読むようになりました。図書館の120席が満席になり、床に腰をおろしたり廊下に出てまで読んでいます。荒れていた頃は図書の紛失が年間400冊もあったのに、本を読むようになってからは紛失がなくなりました。生徒の文章力が向上し「全国小中学校作文コンクール」に参加して1位2位に選ばれる ようになりました。校内にはあれほど落ちていたタバコの吸い殻が一本も無くなり、不登校も50人か ら2人に、非行やイジメはゼロになりました。そして、生徒達は自分から勉強するようになり問題校が優秀校へと変貌しました。大塚先生の食の改善は「真田町の奇跡」とまで呼ばれ、今では各地の学校、 行政、企業までが取り入れるようになりました。食事は自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式 であり、人の一生を左右する本当に大切なものであることを改めて実感した次第です。3/4 ~ 3/6は “日本一”  のおいしい食事が食べられる「第334回神性開発宮城練成会」が開催されます。3/5にはゲ スト講師古田圭司先生(山形教区教化部長) の特別講話もありますので、皆様ぜひご参加下さい。

(T )

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成28年2月

投稿日:2016年1月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年2月

★1/17阪神大震災から21年を迎えました。震災の翌年に、親を亡くした日本の子供達60人を東欧のポーランドが招待し歓迎してくれたことをご存知でしょうか? 何故ポーランドなのか? そこには75年前の恩返しがありました。大正8(1919) 年、 ポーランドはロシアから独立を果たします。しかし、祖国独立のために蜂起したポーランド人は、ロシア軍によりシベリアに流刑されました。当時のシベリ アにはそのような政治犯の家族や難民も含めて10数万のポーランド人がいたのです。シベリアでは飢餓と疫病に苦しみ多くの人達が亡くなりました。問題は親を亡くした子供達です。せめて子供達だけで も生きて祖国に送り届けたい。シベリア在住のポー ランド人は欧米諸国に救済を求めます。しかし、ポ ーランドの孤児を支援することは大国ロシアを敵に回すことになります。ロシアとの紛争を恐れた欧州諸国は悉く救済の申し出を断りました。窮余の一策として日本政府に救援を懇願してきたのです。

★ 日本政府は日本赤十字社に救済事業を要請、日赤は孤児救済を受諾しました。大正9(1920) 年には375名、大正11(1922) 年には390名のポーラ ンド孤児が来日しました。子供達の大半は栄養失調にかかり半病人の状態だったため、日赤は食事、治療、衛生に細心の注意を払い孤児達の健康回復に全力を傾注しました。衣服、肌着、帽子、靴下、靴はすべて新調して与え、真心を尽くしました。又、誰よりも不幸な孤児達を憐れまれたのは貞明皇后様(大正天皇のお后)でした。孤児が入院している日赤病院に行啓され、子供達の頭を撫でながら「大事にして健やかに生い立つように」と励まされたのでした。全国からも衣類、靴、玩具、菓子などの寄贈品や寄付金が集まり、諸団体による慰問や慰安活動が相次ぎました。こうした朝野を挙げての手厚い保護により、ポーランド孤児達は急速に元気を取り戻し祖国に向けて帰って行ったのです。別れを悲しみ、 乗船するのを泣いて嫌がったと言います。孤児達は船のデッキから「アリガトウ」を繰り返し、泣きながら「君が代」を斉唱して感謝の気持ちを表しました。

★ ポーランドに戻った孤児達は終生その体験を語り継いだと言います。『日本は良い国、人道的、サム ライ精神に溢れる国だ』と。その結果、ポーランドはトルコと同じように最大の親日国になりました。 名門ワルシャワ大学の人気学科は日本語科で倍率は30倍です。大学生は日本語がペラペラ、日本人顔負けの俳句も詠んでいるそうです。後に大統領とな った連帯のワレサ議長は初訪問国に日本を選び「ポ ーランドを第2の日本にしたい」をスローガンに掲げました。欧米に見放された孤児達を何故日本だけが救いの手を差し延べることができたのか。それは神武建国以来、日本民族のDNAにはわが国の理想である八紘一宇の精神、大和の精神が脈々と流れているからであり、神の如き無私の愛を体現している 天皇陛下が、国の中心者として続いてきたからでは ないでしょうか。2/11は「建国記念の日祝賀式」 です。神武建国2676年を寿ぎ、先人の偉業を偲 び世界平和の実現を決意して参りましょう。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成28年1月

投稿日:2015年12月28日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成28年1月

★ 新年明けましておめでとうございます。
お正 月に飾る鏡餅について谷口雅春先生が次のよう に説かれています。

「鏡餅というものを、お正月に何のために床の間に飾ったりするかというと、 あれは”心の鏡” として反省するためで、こういう円満な心まん円い心にあって、夫婦一体に、 仲良く重なっていないといかんぞよと、示されているのであります。まことに家族は皆ばらばらではいけないのであって、みんな一体になって、まんまるく、円満で、一つ心になって了わなければならんのであるということを、お正月即ち年の始めに、新たに生まれる積りで、今年はこの鏡餅の如く家族がバラバラでなく一体となり、円満完全に夫婦仲良く致しましょうとい う象徴行事がこの正月の餅飾りである訳であり ます。」(『古事記と現代の預言』P33~34)

如何でしょうか?今年は鏡餅を見る度に「夫婦円満」 「家庭調和」、つまり「ムスビの働き」を思い出 してお正月を過ごせるのではないでしょうか。 一年の計は元旦にあり。そうすれば平成28年が素晴らしい年になること間違いありません。

★ 昨年大村智先生は、ゴルフ場の土壌から発見 した微生物でノーベル医学生理学賞を受賞しました。アフリカや中南米の人々を苦しめたオンコセルカ症に効果があることを発見し、治療薬 イベルメクチンが開発されて世界で年間3億人の人々が失明から救われたのです。まさに世界に貢献する偉大な発見だったと言えるでしょう。 しかし、その陰には妻文子さんの献身的な支えがありました。大村先生が北里大学に就職された当初は雑用係的な立場で給与も低く、その給与すら研究費に全部消えたそうです。そのため生活費は奥様のアルバイトで支えられました。 そんな生活が長い間続き、大村先生が有名になって研究費を企業から引き出せるようになる直前に奥様は他界されました。つまり奥様は生活が楽になることがないまま旅立たれたのです。 しかし、そんな苦しい生活でただの研究者であった時も、奥様は「あなたはノーベル賞を取るよ」と言い続けていたそうです。奥様にとっては夫の喜びは自分の喜びであり、夫の幸せは自分の幸せだったのでしょう。大村先生もまたストックホルムの授賞式に奥様の写真を持参しました。 まさに自他一体のご夫婦でした。その自他一体のムスビの働きに神が顕れ、世界に貢献する偉 大な発見へとムスビついたのでしょう。今年は鏡餅を見ながら「自他一体」を自覚して、家庭にも国にも世界にも地球にも「ムスビの働き」がけざやかに顕れる一年として参りましょう。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成27年12月

投稿日:2015年11月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年12月

★12/5から2つの映画が上映されます。「海難1890」と「杉原千畝スギハラチウネ」いう映画です。「海難1890」は、今年、日本・トルコ友好125周年を迎えたことを記念して作られた映画です。トルコは世界有数の親日国ですが何故トル コが親日国になったのか。それは1890年(明治23年)9/16 、当時オスマン・トルコ帝国として 勢力を誇ったトルコの軍艦エルトゥールル号が、 初の日本親善訪問の帰途、和歌山県紀伊大島樫野崎(現在の串本町)沖で台風に遭遇、船が沈没しました。650余名の乗組員が荒波に飲まれ内587人が死亡、島民の懸命の救助活動で69人が命を取り留めました。島民は貴重な白米を炊き なけなしの着物を引っ張り出し、一晩中風呂を沸かして遭難者の救命に当たりました。事故を知った皇室も使節団の身を按じすぐさま侍医を現地に派遣、日赤の医者10人も派遣されました。 そして翌年、日本政府は生存者69人を2隻の軍艦で本国に送り届けました。この官民挙げての献身的な対応にトルコの人達は感激し、以来両国は深い友情の絆で結ばれてきたのです。

★ 「杉原千畝」は日本の外交官です。第二次世界大戦時、リトアニアの日本領事館の領事代理でした。昭和14年9月1日、ヒトラー率いるナチス・ ドイツはポーランドに進攻し”ユダヤ人狩り” を 繰り広げました。ナチスの迫害を逃れたユダヤ人が連日100人ほど日本領事館に詰めかけ、ビザの発給を求めました。杉原は悩みます。外務省からは無条件のビザ発給は認められていなかったからです。しかしそれでも杉原はビザ発行を決断します。1枚1枚手書きの作業です。気の遠くなるような作業でしたが、杉原はこの”命 のビザ” を28日間書き続けたのです。それによって6千人のユダヤ人が各国に逃れ命を救われました。戦後杉原は外務省を解雇されましたが、1985年(昭和60年)イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」を授けられました。これはイスラエル建国に尽くした外国人に与えられ るもので日本人では初めての受賞でした。11/13パリで同時多発テロ事件が起き多数の死傷者を出しましたが、この2つの美しい日本人の物語は、世界の平和と友好はテロや暴力などではなく、自他一体の愛と献身によって生まれるものであることを教えてくれているのではないでしょうか。12/23は「冬季青少年一日見真会」です。 天皇陛下の素晴らしいお話が聞けますので、是非お子さんやお孫さんをお連れ下さい。今年一 年のご愛読に心から感謝申し上げます。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成27年11月

投稿日:2015年10月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年11月

★ 10/4の講習会では県内各地より多くの皆様にご参加頂き本当にありがとうございました。終了後多くの方から講習会での喜びの声をお聞きし改めて実り多き講習会だったことを実感しました。特に伊藤千鶴子さんの体験談は谷口純子先生もブログで紹介していましたが、聞いた方に勇気と力を与えるものでした。震災でお店や工場が全壊したときに、それでも「神の子の自覚を深めるチャンス」と捉えて宇治、総本山の練成会に参加。以前にも増して神想観、 聖経読誦を真剣に実修し、崩れかけたお店の中でも「地震のお陰で素晴らしい店が建つ」と毎日言い続けたとのことです。それから2年8ヶ月後遂に新しいお店が再建されました。その店はお菓子だけではなく2階ではランチも食べられるとてもオシャレなお店に生まれ変わりました。しかも 資金繰りは震災前よりも楽になったとのことでした。「地震 は無い方が良いですが、生長の家のみ教えは地震の時でも乗り越える力を私達に与えて下さるのですね。生長の家は素晴らしいです!」改めてみ教えの素晴らしさと、如何なる時も神様を信じ続ける” 堅信”の大切さを実感した次第です。

★10/31付で髙橋佳子職員が退職することになりました。平成4年4月に教化部に奉職され23年間勤務して下さいました。髙橋職員と言えばプロ顔負けの” 声” と” 字” を持つ方でした。以前本部の職員が教化部に電話をかけて来たとき、応対した髙橋職員の声を聞いて「今の方はアナウ ンサーですか」と驚かれ、「電話の声で癒される職員は全国 にいませんよ」と絶賛されたことがありました。字を書かせればプロ級で表彰状やご祝儀袋等の文字はいつも髙橋職員に書いてもらっていました。教化部にとって無くてはなら ない方であり64歳の退職はまだまだ早いですが、ご本人 曰く「寿退職」ということでは仕方ありません。「寿」と言ってもご自身ではなく同居している次男さん夫婦に第3子、 つまりお孫さんが誕生するのでそのお世話をするための退職とのことです。平成6年にご主人を亡くしたとき髙橋職員はまだ43歳。教化部職員をしながら4人のお子さんを 立派に育てられ、今は皆さん結婚して独立し次男さんの奧さんは青年会委員長、長女さんは光実議長、次女さんご夫 婦は総本山職員と、生長の家に奉職していたらいつの間にか生長の家ファミリーとなっていました。その意味では髙橋職員もまた” 堅信” の素晴らしさを私達に教えてくれた方でした。今後益々のご活躍をお祈り申し上げます。

( T )

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成27年10月

投稿日:2015年9月30日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年10月

★ 東日本豪雨により被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。9/10~11に降り続 いた豪雨は鬼怒川や吉田川、渋井川の決壊など、 関東、東北地方に甚大な被害をもたらしました。 しかし、その一方で奇跡の救出劇もありました。 9/10鬼怒川の堤防が決壊した場面です。家の2階から懸命に助けを求める家族。家の屋根から助けを求める夫婦。電柱にしがみつき助けを求める男性。その時陸上自衛隊のヘリコプターが救出に来ました。一人一人をロープで釣り上げながらの救出はまさに時間との闘いです。4人の家族が救出された数分後、画面からその家が消えていました。驚きました。その家は濁流に 流されていたのです。もしあの時電柱につかま っている男性から助けていたら、4人の家族は濁流に呑まれ亡くなっていたことでしょう。又、 最後に屋根に登っていた夫婦が救助された直後、 その家も流されました。まさに危機一髪の出来事でしたが、自衛隊の的確な判断で10人全員が救出されたのです。

★ 「鬼怒川の奇跡」ともいうべき救出劇でした。 神業としか言いようのない判断でした。事実翌日のスポニチは「自衛隊” 神判断” にネットで称賛の声」と書きました。「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」自衛官が入 隊する時の宣誓です。己を捨てて公のために尽くす。そこに神の愛が現れ最悪の危機を最善の結果へと導いたのではないでしょうか。それを見ていた外国人が「自衛隊は素晴らしい! 日本国民は自衛隊によって守られているのですね! 」と感動していましたが本当にその通りだと思い ました。「天災は( 感謝を) 忘れた頃にやって来 る」ということわざがありますが、3・11から4年半を迎えた日、改めて国家国民を守って下さ る方々への「感謝」の気持ちを忘れてはならないと思った次第です。

★『万物調和六章経』の中の”有情非情悉く兄弟 姉妹と悟る祈り”の一節に、「この世界は”神の 世界” であり、この宇宙は”神の宇宙” であり、 御空は”神の御空” であり、大地は”神の大地” である。… それゆえに、神を拝し、神を讃え、 神に感謝し、みこころを自己の生活に実践する者には、如何なる災害も自己に降りかかってく ることはないのである。」とあります。異常気象による自然災害が多発している現在、「天地一切 のものは神の生命の現れである」との教えが今ほど求められている時はありません。自然と人間が大調和した世界を一日も早く実現するため に,10/4の講習会に一人でも多くの方々をお連れ致しましょう。仙台サンプラザホールで皆様 のお越しをお待ちしております。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成27年9月

投稿日:2015年8月31日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年9月

★ 日曜夜9時から放送されている「ナポレオンの村」という番組をご存知でしょうか? 東京の限界集落を舞台に、都庁から派遣されてきた唐沢寿明演じる公務員が、ナポレオンの「この村の辞書に不可能という文字はない」と言いながら、 不可能を可能にして村を再生していくという番 組です。ところが驚いたことにそのナポレオン の村が実在していたのです。石川県羽咋市神子原(みこはら)地区。市の中でも高齢化率が最も高く65歳以上の住民が半数を超える限界集落。 かつては1,000 人以上いた人口も平成16年 には527人に半減。そのほとんどが農家だっ たのですが、平均年収わずか87万円と驚くほど低いため若者が村を離れていったのです。平成17年、そんな村に市長から過疎高齢化集落の活性化と農産物の1年以内のブランド化を頼 まれたのが市役所職員の高野誠鮮(たかの・じょうせん)さんでした。

★ 農産物と言っても神子原地区にはお米しかありません。幸いに神子原の棚田で穫れるお米は 碁石ヶ峰の綺麗な雪解け水と化学肥料を使っていない本当においしいお米で、南魚沼産のコシ ヒカリに引けを取らないお米でした。ただそれ を農家はもちろん農協も役所も当たり前のこと として誰も宣伝しなかったのです。神子原米をブランド化するために高野さんは何をしたか。 最初は宮内庁の御用達米として採用してもらお うと働きかけましたが断られます。次に考えたのが神子原を英語に訳すと「サン・オブ・ゴッド 」「神の子」です。神の子と言えば生長の家! ではなくキリスト教でした。キリスト教で最大の影響力のある人は誰か? そうローマ法王です。 そこでローマ法王に手紙を書きました。「山の清水だけを使って作った米がありますが、召し上がって頂く可能性は1% もないですか」と。ナ ント2ヶ月後に東京の大使館から話を聞きたいとの返事が来ました。ローマ法王庁大使館で大使に会うと「あなたがたの神子原は500人の小さな集落ですね。私達バチカンは800人足らずの世界一小さな国です。小さな村から小さな 国への架け橋をさせて頂きます。」と言われ、正式に神子原米が法王への献上物となったのです。 「神子原米がローマ法王御用達米に!」そのニュ ースは全国に報道され、役所の電話はずっと鳴りっぱなし、注文が殺到しました。売上1ヶ月 で700俵。それまで1俵(60㎏ )13,000円だったお米がナント3倍以上の42,000円 になりました。今や神子原米は高級デパートで売られる程のブランド米になったのです。

★ そして、神子原地区は現在I ターンの若者が増えて限界集落から脱却し、農作物は農家が自 分たちで値段を付けて売る直売所を作ることで 収入も格段にアップ。何よりも農家が自信と誇 りを持ち、みんなが助け合いながら楽しく暮ら せる「にぎやかな過疎集落」を実現しているとのことでした。高野さんは言います。「成功と失敗は紙一重。だけどやるとやらないとでは雲泥の差が生じる」と。神の子の本家本元は生長の家です。ならば私達も「神の子に不可能なし!」 自分達が決めた目標は必ず達成して10/4の 講習会を迎えようではありませんか。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成27年8月

投稿日:2015年7月29日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年8月

★ 巨星逝く。松本つや講師は宮城教区の光明化運動史に残る立志伝中の人物と言えるでしょう。 亘理町から飛田給練成道場に連れて行った人数 ナント50年間で300人。生前のつや先生か ら「信仰は命がけだ」「きちがいにならなきゃ本物じゃない」と良く聞かされました。そして正真正銘の「生長の家きちがい」が松本つや先生でした。

有名なエピソードがあります。昭和32年7月12日仙台市公会堂で開催された谷口雅春先生の講習会の日。三男高明さんが交通事故に遭い大怪我をします。頭蓋骨が割れ顔も二つに割れ 脳みそが飛び出す大怪我です。つや先生が病院 に駆け付けた時はもはや施す術もなく死体置き 場で虫の息になっていたそうです。三日三晩寝食を忘れて聖経を誦げるつや先生。医者や看護 師、周りの人達も「気の毒に気が狂ってしまった 」と思ったそうです。ところが不思議な事に、高明さんは三昼夜命をつなぎとめました。そして3日目の朝、つや先生は高明さんの枕元に白髪の老翁が現れて、手にした巻物で高明さんの身体を覆い、頭から足へ3回手で身体をさすってい る姿をありありと見るのです。この日の夜、高明さんはバケツ一杯の真っ黒な血を吐き、以来 急速に快方に向かいわずか2週間で何の手術も受けずに退院することができたのです。担当医師は仰天し「私も神を信じる」と思わず叫んだという話です。

そう言えば昔は寝食を忘れて伝道する「生長の家きちがい」がたくさんいた気が致 します。松本つや先生に出会えたことに心から感謝申し上げご冥福をお祈り申し上げます。

8/8は「盂蘭盆供養大祭」霊牌の〆切日です。ご祖先はもちろん、縁ある方お世話になった方の霊牌を書いて感謝の誠を尽くしましょう。

(T )

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成27年7月

投稿日:2015年7月1日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年7月

★ 昭和60年6月17日午前7時53分、谷口 雅春先生が91歳の天寿を完うされました。当時青年会の執行委員長だった私は、その年の2月に行われた団体参拝練成会が先生とお目にか かれる最後になるのではないかと思い、青年会の仲間10数名と一緒に参加しました。そしてそれが本当に最期となりました。その時先生が話されたお言葉は「無礙光如来」でした。先生最後のご講話が5/26 の団参講話でしたが、そのときのお話は「無量寿如来」でしたのでたぶん同じ内容だったと思います。(最後のご講話は『生長の火をかざして』収録)” 袖振り合うも他生の縁” ということわざがあるが、私と皆さんとは 深い因縁で結ばれているのであって、過去にも出会っているし今度また生まれ変わってもまた再会することができるのであるという趣旨のお話だったと思いますが、先生の一言一言に喜び と悲しみの涙を流したことだけを覚えています。

★ 谷口雅春先生のことで思い出されるのは、昭 和51年に総本山仮練成道場で開催された「夏季 大学生練成会」に参加した時のことです。当時大学1年生だった私は、初めて谷口雅春先生御指 導による「祈り合い神想観」を受講しました。先生が祈る側で私達大学生は祈られる側だったと思いますが、先生が宇宙浄化の祈りで「アーオー ウーエーイー」と祈られたときに、突然涙が溢れて嗚咽している自分がいました。何故涙が出るのかわかりませんでしたが、先生が「アーオーウ ーエーイー」と祈られる度に涙が溢れ出てくる。 それをもう一人の自分が俺は何で泣いているのだと客観的に考えているのです。これは本当に不思議な体験でした。今思えば宇宙浄化の住吉大神が天降り私の魂が浄化されたからだと思いますが、その時の私には何もわかりませんでしたので本当に神秘的な宗教体験であり、谷口雅春先生直々の祈り合い神想観を受講できた本当に貴重な体験となりました。

★ 以来、先生が説かれた真理を大学で伝えるべく生学連活動に邁進しましたが、大学内で活動 することの難しさや仲間の増えない空しさに何度も挫折しそうになりました。そんな時に自分を鼓舞したのが谷口雅春先生のお言葉でした。 「この頃は悲しいことばかり、憂うべきことばか り、… もうこんな世界には生きていたくないと思うことすら時にある。そんなことではいけない。日本国を救わなければならない、人類をたすけなければならないと自分を励まし、老軀に鞭打って、できるだけ若々しそうな元気を出して、日本国を救い、人類をたすけるための知恵をだしてみるんだけれども、童べ笛吹けど、その調べに合わして動き出してくれる政治家はあまり無いのである。」このような先生のお言葉に触れるたび、自分の不甲斐なさを叱咤激励し、 幾たびも困難を乗り越えてきたのでした。谷口雅春先生が神去られて30年。節目の年に当た り総本山での「谷口雅春大聖師三十年祭」に参列できることに心より感謝申し上げます。

(T )

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク

 

光のおとずれ 編集後記 平成27年6月

投稿日:2015年6月1日 カテゴリー:光のおとずれ 編集後記

光のおとずれ 編集後記 平成27年6月

★”花燃ゆ” の舞台ともなった「松下村塾」が「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に推薦されました。8畳と10畳半の本当に小さな塾ですが、吉田松陰先生が「松下陋村といえども誓って神国の幹たらん」との願いを込めて始められた塾でした。松下村塾で教えた期間は わずか2年4ヶ月。しかしここから高杉晋作や 久坂玄瑞、伊藤博文や山縣有朋等々長州を動かし日本を動かす偉大なる人物が巣立っていったのです。松陰先生が教えたことは次の3つです。 「皇国の皇国たる所以」「人倫の人倫たる所以」「国家の危機」。日本の日本たる所以、皇室を戴いていることのこの上なき尊さ有り難さ。これを松陰先生は万言を費やして説きました。 「凡そ皇国に生れては宜しく吾が宇内(世界) に 尊き所以を知るべし。蓋し皇朝(皇室)は萬葉一 統(万世一系) にして邦国の士夫世々禄位を襲 ぐ。人君民を養いて以て祖業を続ぎたまい、臣民君に忠して以て父志を継ぐ。君臣一体、忠孝一致、唯吾が国を然りと為す。」(士規七則) 天皇国日本に生まれたならば、なぜ日本が世界の中で類無く尊い国であるかの理由を知らなければならない。皇室は万世一系にして常に国民を大切にされ、国民は常に天皇に忠義を尽くし父祖の踏んできた道を守ってきた。君臣が一体で忠と孝が一致するのは日本だけである。

★ こういう立派な国柄を持つ日本を欧米列強は狙っている。植民地、属国にしようとしている。 いまだかつてない国難です。ところが、徳川幕府はアメリカの威圧に屈服し不平等条約に調印 してしまうのです。大老井伊直弼は孝明天皇が猛反対されたにも関わらず条約調印を独断強行しました。このわが国最大の危機に際し命を賭けて立ち上がったのが松陰先生でした。松陰先生は松下村塾で教育する以外政治的な活動は一切禁止されていましたが、日本が自滅していく のを黙って見ていることはできませんでした。 京都に乗り込む老中間部詮勝を討つべく藩に対 し武器弾薬の提供を求めました。孝明天皇の御深憂、御苦悩を思い、何としても天皇国日本を守るために身を捨てて立ち上がろうとしたのです。長州藩は松陰先生を乱心者扱いし再び野山獄へ幽閉。その後安政6年(1859)4月江戸に送 られた松陰先生は10月27日処刑されます。 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」松陰先生の不滅の魂はやがて久坂玄瑞、高杉晋作らを導き、長州の尊皇攘夷、尊皇倒幕運動を成就させ明治維新を達成させました。 欧米列強の植民地支配から日本を守り明治維新の原動力となった「松下村塾」こそ、世界文化遺産に相応しい「日本の宝」と言えるでしょう。 6月の団参終了後、「松下村塾」を見学します。 皆様奮ってご参加下さい。

(T)

カテゴリー: 光のおとずれ, 編集後記   パーマリンク