光のおとずれ 編集後記 平成28年2月


光のおとずれ 編集後記 平成28年2月

★1/17阪神大震災から21年を迎えました。震災の翌年に、親を亡くした日本の子供達60人を東欧のポーランドが招待し歓迎してくれたことをご存知でしょうか? 何故ポーランドなのか? そこには75年前の恩返しがありました。大正8(1919) 年、 ポーランドはロシアから独立を果たします。しかし、祖国独立のために蜂起したポーランド人は、ロシア軍によりシベリアに流刑されました。当時のシベリ アにはそのような政治犯の家族や難民も含めて10数万のポーランド人がいたのです。シベリアでは飢餓と疫病に苦しみ多くの人達が亡くなりました。問題は親を亡くした子供達です。せめて子供達だけで も生きて祖国に送り届けたい。シベリア在住のポー ランド人は欧米諸国に救済を求めます。しかし、ポ ーランドの孤児を支援することは大国ロシアを敵に回すことになります。ロシアとの紛争を恐れた欧州諸国は悉く救済の申し出を断りました。窮余の一策として日本政府に救援を懇願してきたのです。

★ 日本政府は日本赤十字社に救済事業を要請、日赤は孤児救済を受諾しました。大正9(1920) 年には375名、大正11(1922) 年には390名のポーラ ンド孤児が来日しました。子供達の大半は栄養失調にかかり半病人の状態だったため、日赤は食事、治療、衛生に細心の注意を払い孤児達の健康回復に全力を傾注しました。衣服、肌着、帽子、靴下、靴はすべて新調して与え、真心を尽くしました。又、誰よりも不幸な孤児達を憐れまれたのは貞明皇后様(大正天皇のお后)でした。孤児が入院している日赤病院に行啓され、子供達の頭を撫でながら「大事にして健やかに生い立つように」と励まされたのでした。全国からも衣類、靴、玩具、菓子などの寄贈品や寄付金が集まり、諸団体による慰問や慰安活動が相次ぎました。こうした朝野を挙げての手厚い保護により、ポーランド孤児達は急速に元気を取り戻し祖国に向けて帰って行ったのです。別れを悲しみ、 乗船するのを泣いて嫌がったと言います。孤児達は船のデッキから「アリガトウ」を繰り返し、泣きながら「君が代」を斉唱して感謝の気持ちを表しました。

★ ポーランドに戻った孤児達は終生その体験を語り継いだと言います。『日本は良い国、人道的、サム ライ精神に溢れる国だ』と。その結果、ポーランドはトルコと同じように最大の親日国になりました。 名門ワルシャワ大学の人気学科は日本語科で倍率は30倍です。大学生は日本語がペラペラ、日本人顔負けの俳句も詠んでいるそうです。後に大統領とな った連帯のワレサ議長は初訪問国に日本を選び「ポ ーランドを第2の日本にしたい」をスローガンに掲げました。欧米に見放された孤児達を何故日本だけが救いの手を差し延べることができたのか。それは神武建国以来、日本民族のDNAにはわが国の理想である八紘一宇の精神、大和の精神が脈々と流れているからであり、神の如き無私の愛を体現している 天皇陛下が、国の中心者として続いてきたからでは ないでしょうか。2/11は「建国記念の日祝賀式」 です。神武建国2676年を寿ぎ、先人の偉業を偲 び世界平和の実現を決意して参りましょう。

(T)

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