光のおとずれ 編集後記 平成28年6月


光のおとずれ 編集後記 平成28年6月

★大和町吉岡が舞台となった映画「殿、利息でご ざる! 」が公開されました。この映画は史実を基 に作られたものですが、原作の『無私の日本人』 を読んで驚きました。こんな立派な人達が宮城 県にもいたのかと。250年前吉岡は吉岡宿と呼ばれた宿場町でした。その吉岡で酒屋を営ん でいたのが穀田屋十三郎です。十三郎には悩みがありました。それは吉岡の町が年々寂れていくことです。その原因は「伝馬役」と呼ばれる藩の重い労役にありました。年貢の他に課せられた重い負担に耐えられない町民は、町を出るため町は寂れていく一方でした。「このままでは吉岡は亡ぶ」というのが十三郎の悩みでした。十三 郎は吉岡きっての知恵者と言われた菅原屋篤平治に相談します。すると菅原屋もそのことに心を痛め吉岡再生の秘策を考えていました。その秘策とは藩にお金を貸してその利息を町民に給付するというものでした。藩に貸すお金は千両、 現在の3億円。利息は年に1割で百両、3千万円です。しかし、貧しい宿場町で千両を集めることは容易なことではありません。二人は例え家屋敷、家財道具、衣類を売り払って身代が潰れてもこの大願を成し遂げることを誓いました。

★ その大願に9人の同志が集まりました。中でも十三郎の生家浅野屋は吉岡きっての酒屋でし たが、父甚内も吉岡宿の疲弊を憂え浅野屋の銭は吉岡再生のために使うことを遺言し、父の遺 志を受け継いだ弟は浅野屋の身代を投げ出して千両の約3分の1に当たる1億円を出資したのでした。その結果、千両の大金が集まりましたが、 そのお金を藩に貸し付けるまでには、更に嘆願書を藩の上層部に届け許可を取るという前代未聞の苦労がありました。しかし、十三郎らの大願は代官所を動かしついに藩の財政を預かる出入司、萱場杢を動かして許可を得ることができたのです。吉岡宿には毎年百両の利息が届くよ うになり、吉岡宿はそのおかげで潤い、幕末に至るまで人口が減ることは無くなりました。七夕には毎年豪華な飾りが家々の門前に立てられ、人々の歓呼の声がこだましたそうです。

★ 「積善の家に余慶あり」と言いますが、身代が傾いた浅野屋にはその後藩主伊達重村が訪れ、 直筆の「霜夜・寒月・春風」の書を賜り、それを銘酒としたことで浅野屋の酒は飛ぶように売れ潰れずにすみました。十三郎の穀田屋は他の店は絶えたにも関わらず、何と平成の今も続いているとのことです。私心を捨てて公のために尽くす” 捨徳” を生きた先人の姿に心から感動し感謝した次第です。しかし、吉岡宿の話は決して他人事ではありません。宮城県教化部も度重なる聖使命会員の減少に伴い厳しい財政状況に陥 っているからです。このままでは「十三郎の悩み」が現実のものとなり兼ねません。教化部再生のために千両とはいかなくとも月額1万円の「特志会員」や「道場維持費」を奉納して下さる、平成の穀田屋十三郎の出現を期待しています。

(T)

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