光のおとずれ 教化部長 平成29年6月


「岡田大明神」

合掌 ありがとうございます。 降り注ぐ太陽光が、日一日とその輝きを 増してきています。日々、生長の家の運動に挺身・致心・献資の功徳を積 まれます宮城教区会員信徒の皆様、ありがとうございます。今回のフェス タの大盛会を、皆様とともにお慶び申し上げます。さすが宮城教区です。

今より150年程前のはなしです。箱根八里を駕籠( かご) で越す頃、 遠州倉真( くらみ) の報徳家・岡田佐平治が、関東より帰郷の途中、徒 歩にて小田原宿を通過したところ、宿のはずれにて駕籠かき二人が追いす がり、自分たちの駕籠に乗るよう強いられました。岡田はそれには応ぜず サッサッと歩んでいくと、籠かきのうち一人は思い止まったが他の一人が、 なおしばらくあとを追ってきて、さらに乗ってくれと迫るのであった。岡田 はしかたなく振り返って、「自分は世のため人のために尽くす報徳を生活訓 としている報徳の社中であるから、何といっても乗らないぞ。空しく随って 来るな」と断ったが、その者もしつこくすがって「報徳とは何ですか」と問 う。( ※ 報徳の社中の生活訓… … 私利私欲に走るのではなく社会に貢献す れば、いずれ自らに還元されると説く。二宮尊徳の教え。たらいの中の水 に例えることも多い) 岡田は答えて「報徳とは、1貫( 銭貨を数える単位。 1貫は銭1,000文。江戸時代、実際には960文が1貫とされた) の物 をお客様には900文で売り、900文を頂くところではあるが、800文をお客様から頂く。そして我が身の事には倹約を行い、からだが悪いか、 よほど急ぎの道中か、また何か特別の必要があるのでなければ、馬にも駕 籠にも乗らないのだよ」と、簡単に説いて諭したのです。するとその者は 深く納得し、腕を組んで考え込んだ上で「そのような珍しい道を説くあな たはどういう人なのでしょうか」と問いかけました。岡田曰く「私は遠州 の岡田という者だ」とだけ答えて足早に歩み去ったのです。

その後何年か経ったある日、岡田は再び小田原を過ぎてある新しい宿屋 に一泊したところ、夜に入って宿の亭主が神前に礼拝し、何か熱心に祈願 する声。しきりに「岡田大明神、岡田大明神」と称えている。岡田といえ ば自分とも縁のある名前。岡田大明神とはどんな神様であろうかと不思議 に思い、宿の女中に問うてみる。「それは詳しくは存じませんが、当家の主 人の家族が日頃最も熱心にお祀りしている神様です」との答え。そこで亭 主を呼んでなお詳しく問うと、亭主はとても誇らしげな顔で「よくぞ聞い てくださいました。これはありふれた神様ではありません。当家にご恩の ある神様なのです」と言って話し始めました。「私はもとは駕籠かきでした 。ある年、箱根八里の山中で一人の旅人に駕籠に乗るよう強いたところ、 旅人は私は報徳の社中であるから乗らないという。私はその説に心が動き 、あなたはどのような人かと問うと、遠州の岡田という者だと答えて走り 去りました。それより私は志を起こしてその人の教えに随って1貫文かかる 道中を900文で乗せ、頂くべき900文のところを、800文を受ける というように、お客様第一で働いたところ仕事は日に月に繁盛し、やがて 少しではありますが資本さえ作ることができました。その資本をもとにし て宿屋を開業。同じく安さと丁寧さをもって一所懸命に努力して参りまし た。これまた益々ご愛顧を頂いて今では幸せに生活しています。これはひ とえにあの旅人のご恩であると思い、神様に祀ってひそかに『岡田大明神 』と名づけて朝夕礼拝し謝恩しているのです」と詳しく説明しました。そ の話を聴き終わって岡田佐平治は、やおら口を開いて「その岡田は私です」 と静かに名乗ったのです。亭主は大変驚いて「そういうお声に聞き覚えが あります。髪形は変わりましたが、面影は実にあなたでございます」とい って限りなく喜び、妻・子供など呼び集めて一同は大変に感謝したといい ます。

受講券奉戴式をもって、秋の講習会に向けての推進活動がいよいよスタ ートしました。私利私欲に走るのではなく、自らのライフスタイルを今一 度見直して、倫理的な生活を心がけようではありませんか。そして自分も 含め、一人でも多くの人達に幸せになって頂きましょう。

感謝合掌

生長の家宮城教区教化部長 松田正道

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