光のおとずれ 編集後記 平成29年8月

光のおとずれ 編集後記 平成29年8月

★ 間もなく8 / 1 5 の「終戦記念日」を迎えま す。中央アジアにウズベキスタンという国があ るのをご存知でしょうか。終戦直後5 7 万人も の日本人捕虜がソ連軍に抑留され、過酷な労働、 劣悪な環境、粗悪な食事で強制労働を強いられ、 約6 万人もの日本人が命を落としました。ソ連 の支配下にあったウズベキスタンでも、多数の 日本人捕虜が収容されビルなどの建設工事に従 事したのです。しかし日本人の働きぶりは、現 地の人々に感動を与えました。ある母親は、子 供を毎週のように捕虜収容所まで連れて行き、 こう言いました。「見なさい、あの日本の兵隊さ んを。ソ連兵が監視しなくてもあのように働く。 他人が見ていなくてもきちんと働く。あなたも そんな人間になりなさい」と。この少年は母親の いいつけを守り、技師となったのち、やがて大 統領となりました。2 0 1 6 年9 月に亡くなっ たイスラム・カリモフ大統領です。大統領は後に 「あの日本人たちのおかげで大統領になれた」と 述懐しています。

 

★ この抑留日本人およそ4 0 0 人が建設に従事 した建物の一つに、首都タシュケントにあるナ ヴォイ劇場があります。このオペラとバレエの 劇場は、日本人の献身的な働きぶりによって工 期3 年の予定を2 年で完成しました。しかし、 完成から1 9 年後の1 9 6 6 年4 月2 6 日、タ シュケント大地震がウズベキスタンを襲います。 市内の建物の3 分の2 が倒壊するなか、ナヴォ イ劇場はびくともせず多くのウズベク人の避難 場所となりました。その直後、カリモフ大統領 はナヴォイ劇場に日本人が建てたことを記した プレートを作らせます。そのとき大統領は「われ われは日本人を捕虜にしたことはない。日本人 捕虜とはせず” 日本国民” と記しなさい」と指示 したのです。ウズベキスタンには、あちこちに 日本に帰ることなく現地で命を落とした抑留日 本人( 8 8 4 人) 達のお墓があります。ソ連政府は この日本人墓地を撤去して更地にしろと命令し ました。日本人捕虜の抑留と強制労働は明らか に国際法違反であり、人道上も許されないもの であり、ソ連はその事実を隠蔽したかったので す。しかし、地元のウズベク人たちはその命令 に背き、遠く祖国を離れて亡くなった日本兵を 気の毒に思い、お墓を整備し今日に至るまで抑 留日本人の墓地を守り続けてくれているのです。

 

★ 8 / 1 5 になると首相の靖国神社参拝に必ず 文句をつけてくる国があります。しかし一方で、 日本兵の墓地を今もしっかり守り慰霊してくだ さっている国もあることを知り、心から感激し 感謝した次第です。8 月はお盆の月です。8 / 6は教化部で「盂蘭盆供養大祭霊牌奉送祭」が執 り行われますので、皆様も既にご先祖様やご縁 のある方々の霊牌を奉納されたと思いますが、 まだの方はお早めにご奉納ください。

(T)

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