真理の証し 宮城教区講習会 体験談


平成29年度 宮城教区講習会 体験談
平成29年11月26日(日)
於: 仙台サンプラザホール
白鳩会蒲町支部 佐藤厚子さん

合掌 ありがとうございます
私は、今年の一月末に、遠見塚第二支部の誌友会に参加させていただいたその日の夕方、夕食を済ませ、テレビを見ていた時に突然、右目がもやもやして見えにくくなり、翌日、近くの眼科で見てもらいました。目の奥の血管が破れて出血していますと診断され、その後大学病院に紹介状を書いていただき、見てもらいました。手術をしてみないと見えるかどうか分からないと言われ、とてもショックを受けました。血圧も170~180と高血圧ですぐには手術はできませんでした。血圧内科で薬を処方してもらい、やっと一ヵ月後に手術となりました。恐怖で気持ちがいっぱいいっぱいでした。手術中は「私は神の子、実相円満完全、絶対良くなる、先生ありがとうございます」とずぅーっと祈り続けておりました。手術は2時間位かかりました。病名は硝子底出血と白内障でした。術後の経過が良く、一週間位で退院することができました。視力は0.6まで回復していました。

私は長い間、生長の家の御教えにふれ、誌友会にも参加させていただいておりましたが、「神に感謝しても、父母に感謝し得ない者は、神の心にかなわぬ」この御言葉はずーっと私の心を苦しめておりました。ずーっと母のことが嫌いで、母に感謝することができなかったからです。

私が物心ついた時に、父母の姿はなく、祖父母と、母の妹たちが私を育ててくれていました。お友達にはお父さん、お母さんと呼ぶ人がいるのに、私は誰から生まれてきたんだろうとずーっと思っていました。私が中学生になった時に、祖父に本当のことを聞かされました。父は私が母のお腹の中にいる時に、他の女性との間にも子供ができてしまい、父は、母ではなく他の女性を選んだため、離婚することになったのだと。母は私を祖父母に預け、旅館に住み込みで働くことになったそうです。なので、私は母を「お母さん」と呼んだこともなく、他人行儀な間柄みたいでした。私はその頃からいったい何のために生まれてきたのだろうと考えるようになりました。でも、子供の頃は祖父母がかわいがって育ててくれたので、あまり寂しさは感じなかったと思います。

やがて私は大人になり、結婚、長男を出産と言う時に母は妻子ある男の人と暮らしていました。その時、私はショックな気持ちもありましたが、母がずっと一人で生きてきて、誰かに寄り添っていたいという気持ちも理解できないことではないと思っていたのですが、母はその男の人に私たち家族と一緒に民宿でもしようとして預金していたお金を貢いでしまい、その後別れたとのこと。私は父母のしてきたことをだんだんと憎むようになってきました。

やがて私は6人の子供に恵まれ、四苦八苦しながら生きてきました。時が経ち、子供の問題、主人のギャンブル、借金、母との心の葛藤と問題が山積みになっていきました。その時の話しは、長くなりますので省略させていただきます。 私は仕事をするようになり、母は子供達の面倒を一所懸命見てくれていました。主人は、13年前に突然倒れ、その日のうちに亡くなりました。それから数年後、東日本大震災があったときに私は初めて一つ屋根の下で母と暮らすことになったのです。母のことをあまりわからなかった私は、ますます母のことが好きになれず、考え方ややることなすことが合わずに毎日けんかするようになりました。やはり別々に暮らす方が、お互いのためによかったと思うようになりました。そんな時、母は2年前位になりますが、軽い脳梗塞を起こし、入院。退院しましたが、昨年6月には腎盂炎になり、「おしっこの管を外すことはできません」と言われました。私は仕事を辞める訳にもいかず、七郷包括センターの方に相談をしました。病院の関係者の方にも相談した結果、家から近い所の施設を見つけてくださり、入ることができました。入所して一ヵ月、母は転んで腰の骨を骨折、また入院となりました。母はどれだけ入退院をくり返すんだろうと思い、心は疲れていきました。そして母は、退院。2、3ヶ月後の昨年暮れ、今度は「口の中が痛い」ということで大学病院で検査をすることになりました。今年の1月初めに結果は「レベル5の口腔ガンの末期です」と言われました。母は、検査と治療は断り、施設に連れて帰りました。最期を看取ってくださる先生をさがしていただき、週2回診てもらえることになりました。母は特に悪くなることもなく、元気に過ごしていましたが、今年の5月8日に亡くなりました。少しの出血、痛みもなくモルヒネも一本も打たずに静かに息を引き取ったとのことでした。私は母の死に目にも会えなかったのです。あんなに大嫌いで憎んでいた母を、私は死んでも許せないだろうと思っていましたが、母は私から言われ続けた罵声、悪態にどんなに我慢していたのだろうと思うと、涙が溢れてきて止まりませんでした。母に謝罪して、「今まで子供達を一所懸命育ててくれて本当にありがとうございました。そして、あなたは世界で一番、偉大な母でした。」と心から思うことができました。

母の葬儀は、家族葬で送らせていただきました。その後、高橋講師に母が亡くなったことを伝えましたら、誌友会で知り合った皆さま七名の方が「聖経」をあげに来てくださいました。『天使の言葉』をあげていた終わりの頃、手術をした右目に、黒い太く長い線が、次から次から見えてきたのです。翌日、眼科で診ていただきました。「また出血していますね」と診断されました。後日、大学病院で診ていただきました。先生は「うーん、手術かなぁ。それとも別の治療かなぁ」と言った後に「神様にお祈りしましょう」と言われたのです。先生の言葉にハッとしました。私は仏壇に毎日お茶とお水はあげておりましたが、「聖経」をあげていなかったことに気付き、翌日から毎日『甘露の法雨』をあげることにしました。目のもやもやは日毎によくなるのがわかりました。その後、病院に行って診てもらうと、私の目は0.9まで回復していました。

私は、母のおかげでいろいろな体験をさせて頂きましたが、私を生長の家に導いてくださいました小坂米子元連合会長はじめ、高橋佳子講師、白田悦子講師、お世話になった講師の皆さまに心より感謝いたします。人と人との御縁を大切にしてこの御教えと共に生長していきたいと思います。本日は誠にありがとうございます。

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