光のおとずれ 編集後記 平成30年3月


光のおとずれ 編集後記 平成30年3月

★間もなく3/11の東日本大震災から7年目を迎え ます。宮城県出身のお笑い芸人サンドイッチマンは、 テレビのロケ中に気仙沼市で被災します。しかし、翌 日にはブログに『戦後、俺たちのじいちゃんやばぁち ゃんは日本を復活させた。世界には奇跡と言われた日本の復興。必ず復興します! 日本をナメるな! 東北をナメるな!』という一文を掲載し、早速「”東北魂”東北地方太平洋沖地震義援金口座」と銘打った銀行口座を開設、募金活動を開始します。2人で1千万円を寄付し東北魂のロゴ入りチャリティグッズも販売を開始。 わずか10日間で、義援金口座には26,297人から 振込みがあり、チャリティライブとチャリティグッズ の収益を含め2億9,722万円が集まり、その義援金を岩手県や福島県、宮城県など計6県に渡して回りま した。その後も月に何度も被災地を訪問している2人 は、ライブの売上などを震災復興に寄付し続け累計金額は4億円を超えるとのことでした。また、毎年3/11には気仙沼に足を運んで14時46分に黙祷を捧 げ、震災を風化させない活動を続けているそうです。 何故彼らはそこまで頑張れるのでしょうか?一時的な同情や売名行為では続きません。彼らにあるのは故郷宮城への郷土愛であり、育ててもらった故郷への”報恩感謝の真心”ではないでしょうか。「大自然の恵みも、 衆生の恩も、父母の恩も、国家の恩も気がつかなかっ たら、それは無いのと同じことである。『ある』ものに 気がつかないのは盲人と同じことである。私たちは盲 人になってはならないのである。すべての恩恵をみとめたとき、私たちはその恩恵の所有者になるのである。 」( 機関誌『生長の家』H30_01月号法語「天地の恩」)

 

★3/1は生長の家の立教記念日。今年で立教89年を迎えます。宮城県に生長の家の教化部ができたのは、 昭和40年5月16日のことでした。当時仙台市青葉 区本町にあった既存の旅館建物を補修改築して、待望の教化部が開設されたのです。そして、同年7月20日に「宗教法人生長の家宮城県教化部」が正式に登記されました。その後、教化部の老朽化や手狭になった こともあり、新しい境内地を求めて新教化部会館建設に向けて募金活動を開始したのが平成元年3月1日。 翌平成2年に現在の西中田に所有地を取得しました。 そして、平成3年3月31日に総工費3億5千万円で 現在の教化部会館が完成したのです。同年4月14日 には教化部会館落慶奉堂式、落慶祝賀式が盛大に開催されました。ですから、今年は昭和40年の宮城県教化部の誕生から数えて53年、平成3年の現教化部会館の誕生からは27年を迎えます。その間多くの先輩 方が御教えを伝えてくださり、聖使命会員を増やして 教勢を拡大してくださいました。その尊い挺身・致心・ 献資の真心によって宮城教区の光明化運動は発展し、 教化部会館も真理の燈台として今日まで続いてきたのです。その際、宮城教区の教化部会館を子々孫々に恒 久的に残していくために、先輩方が始めたのが「教化部会館維持報恩会」の制度でした。(『菩薩手帳』P12 参照) 言わば「教化部会館維持報恩会」への入会は生長の家へのご恩返し、故郷宮城への報恩感謝の証と言 えます。しかしながら、現在の宮城の組織会員436名の中で、毎月「道場維持費」を奉納して下さる方は130名あまりなのです。立教記念日に当たり、生長の家の御教えを伝える真理の燈台としての宮城県教化部を、これからも恒久的に維持していくためにも、多くの誌友・会員の皆様の「教化部会館維持報恩会」へ のご入会をお願い申し上げる次第です。

(T)

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