光のおとずれ 編集後記 平成30年6月


光のおとずれ 編集後記 平成30年6月

◆間もなく「谷口雅春大聖師33年祭」を迎えます。 谷口雅春著作集第1巻、『光明法語』のはしがきに次のようなことが書かれています。発刊に当たって編集者から谷口雅春先生に、はしがきを書いてほしいとの依頼があり、その案の書き出しが「私が運動の第一線から退いて長崎の風光明媚な大村湾に面した公邸に移り住んでから約10年になる…」と書かれていたそうです。 それに対して雅春先生は、「私が長崎に移転したのは決して運動の第一線から退くためではなかった。第一 線より更に奥深く現象界の前線よりも一層深く現象以前の世界と交通するためであった。」更に「正直に謂うならば、私は此の地に移り住んでも風光明媚な大村 湾をまだ一度も見たことがないのである。」と書かれ ています。まさにそのとおりでした。雅春先生、輝子先生が龍宮住吉本宮建立の陣頭指揮をとるために、住み慣れた東京を離れ、長崎に移転されたのは昭和50年1月13日のことです。雅春先生82歳、輝子先生79歳の時でした。輝子先生はこの「13日」を「出発の日である」と言われました。関東大震災で被災し富山の実家に旅立ち、新たな生活を出発したのが大正12年9月13日。雅春先生が「今起て! 」の神啓を受けられて、『生長の家』誌を創刊されることになっ た日が昭和4年12月13日。そして、長崎に出発さ れたのも同じく「13日」なのです。まさに新しき生 活への出発の日であり、輝子先生はその日のことを「 80代の青年もこれからの人生である。大いなる理想 を抱いて、いよいよ前進しよう。あとには20代30代の青年がつづいて来る」(『光を見つめて』P37) と、 その日の高揚したお気持ちを綴られています。

 

★谷口雅春先生は龍宮住吉本宮建立の意義を次のよう に述べられました。「龍宮から住之江大神の御神威の出現を願って、この世界を浄化して頂いて、天照大御神の御光を六合に照り徹らして頂く道を開いて頂き、 日本国家を千万年安泰にする霊的礎を築くために建立する住吉本宮であって、吾々個人が御利益を貰うため に拝むとかいう、そんなお宮ではないのです。端的にいえば、鎮護国家を目的とするお宮であって住吉大神の御出御をお願いするための社である。それが”龍宮住吉本宮”である。」(『生長の火をかざして』P68) そして、昭和53年11月21日、谷口雅春先生が斎主となられ、自ら龍宮界に下り給い、龍宮の大神たる住吉大神を勧請されて、龍宮住吉本宮に大神を顕斎し給い、ついに龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕斎殿が落慶することになったのです。雅春先生85歳の秋のことでした。その後、昭和56年11月21日に、伊邪那美大神を御祭神として霊界を浄化する「龍宮住吉霊宮」が建立され、ここに顕幽両界兼ね備えて住み吉しの極楽世界を成就するお社が完成することになったの です。昭和57年9月には、世界の宗教がその本来の目的たる人類の行く手を照らす光となるために、「七つの燈台」が建立されました。雅春先生御年89歳の ことでした。そして、昭和60年6月17日、午前7時53分、神様の使命を全て果たされたかのように、 雅春先生は満91歳の天寿を全うされました。最後の最期まで神様の御使命に生きた谷口雅春先生。生長の家総本山は谷口雅春先生ご夫妻が、鎮護国家、世界平和、 人類光明化のために、運動の第一線に立たれて神様からの最後の大使命を果たされた地なのです。その総本山で、6月17日に「谷口雅春大聖師33年祭」が 執り行われます。宮城からも多くの皆様の「団体参拝練成会」へのご参加をお待ちしております。

(T)

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