光のおとずれ 編集後記 令和2年9月

光のおとずれ 編集後記

★今年はコロナの影響で、ご家族がお盆の帰省を自粛された家も多かったのではないでしょうか。現在、世界各国で新型コロナウイルスのワクチン開発が進められ、早ければ年内にも実用化が始まるとのこと。ワク チン開発が期待されています。ただ、『神真理を告げ給う』(18 頁) には

「〝わたし〟は…その目的を達しない限り、どんな薬剤を与えても、その病菌は消えるものではない。しかしその目的を達して人間たちの心が 正しくなったとき、わたしはその微生物を現象界から 〝生命の素材の世界〟へ引き戻す。その時、あなた達の病気は癒えるのである。」

と示されています。その 意味では、コロナの本当の終息は、ワクチンの実用化ではなく〝人間の心が正しくなったとき〟であるということを、私達は忘れてはならないと言えるでしょう。

★奈良時代の聖武天皇の御代には「天然痘」が流行し、 当時の国民の25% ~ 35% が亡くなっています。ウイルスは、遣唐使や遣新羅使が大陸や半島から持ち込 んだものと言われ、北九州から全国に拡大。737年 には平城京でも感染が拡大し、国政を担う地位にあっ た藤原四兄弟(藤原不比等の子供) も、次男房前(ふささき)、四男麻呂(まろ)、長男武智麻呂(むちまろ )、三男宇合(うまかい) の順で次々にこの世を去りま した。聖武天皇は「良(まこと) に朕が不徳に由りて、 この災殃(さいおう) を致せり。天を仰ぎて慙(は) ぢ惶(おそ) り、敢へて寧(やす) く処(お) らず」と の詔を下され、諸国の神社に幣帛(へいはく) を捧げられました。そして、日本の国名表記を「大倭国(やまと)」から「大養徳国(やまと)」 に改められ、大いに徳を養う国にしたいとの切なる願いを込められたのです。つまり、聖武天皇は疫病の流行を自らの不徳が招いたことと受け止め、疫病終息のためには「正しい 心を養う」ことが大切であると自覚されたのでした。 そして、752年に7年の歳月をかけて建立したのが 「東大寺大仏」でした。大仏の建立こそ、疫病無き極楽世界の現成だったのでしょう。平安時代の818年、 大旱魃から全国に疫病が蔓延した際も、嵯峨天皇は「 朕の不徳にして多衆に何の罪かあらん」と仰せられ、 弘法大師(空海) の勧めにより〝一字三礼〟の誠を尽 くして般若心経を「写経」されました。ここでも嵯峨 天皇は、疫病の流行を自らの不徳の招いたこととして、 般若心経を写経し疫病の終息を祈られました。写経はそれが先例となり、宮中の慣例になったのです。

★9/ 27「大調和の神示祭」の写経の意義もまた、 令和の御代の疫病に心を痛められている天皇陛下の御心を憶念し、自らの心を神に振り向け、「天地一切のものと和解する心」になることで、コロナ無き実相世界を顕現することにある、と思われた次第です

( T )

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