「困難な中にも完全円満な世界がある」


真理の証し


相愛会 生出信明
「困難な中にも完全円満な世界がある」
平成24年4月29日(日) 会場:本部練成道場 相栄合同全国幹部研鑽会 体験談表

 

私はお茶の仕事をしています。私は9歳の時、大けがをし、後遺症が残りました。その後はコンプレックスとの戦いでした。昭和59年に結婚し、平成7年には念願の家を新築しました。しかし、家内との行き違いから不調和になり、やがて、長男の不登校、次男、 長女の健康面、仕事、家のローンと問題が山積しました。

しかし、平成14年、仕事中にふと 10年以上前にもらったお守りのことを思い出し叔母を訪ねると、「あれは生長の家」だよと言われ勧められた普及誌の「光の泉」を読むと、私が長年探し求めていたものでした。私はすぐに教化部に連絡し、個人指導を受け、 練成会は毎月受けるようにしました。 するとこれらすべての問題が一年もかからないうちに解決して行くのです。 入信して6ヶ月で、自宅で誌友会を発会しました。「こんな素晴らしいみ教えを伝えない訳には行かない」私はいつの間にか会う人に、伝道していました。

発会より8年間、一度も休むことなく開催し、最高で21名の方が参加し、皆さんすばらしい体験が出ています。

しかし、昨年の東日本大震災は、大津波が宮城県を襲い、全てを呑み込んでしまいました。あまりに大きい揺れで「これは津波が来る。娘が家に一人だ。帰らなければ」私は娘のことでいっぱいでしたが、家にたどりつけませんでした。

次の日、避難所のテレビには、津波に呑み込まれた町の様子が映っていました。「これでは娘はやられた。ひとたまりもない」私は誰もいない体育館の隅で神想観を始めました。すると「現象は変化があって当たり前、しかしどんな困難の中にも完全円満なる世界がある」そんな思いがしてきたのです。 次の日、次男が私を探して避難所に来ました。「笑子、生きていたよ。お父さんと会いたがっているよ」一時間かけて娘に会いに行きました。娘と抱き合い、「怖かったろう、ごめんな、ごめんな、 もう大丈夫だから」「お父さん、お家もうなくなったよ」と言う娘に「いいよ、 いいよ、お前達が無事でいられたんだから。家はなんとでもなる。お父さんにはちゃんとお前たちという宝が残っているよ」娘は、安心して涙を流しました。次の日、妻とも私の母とも再会できました。家族が無事でいられたことは神様、ご先祖様のお蔭としか思えません。

昨年4月初めには、白鳩会の勝又ふみさんのご愛念により借家生活が始まり、その20日後には、8名の仲間が集まり念願の誌友会を再開することができました。

現在、私は石巻市の仮設住宅で生活しています。他の皆様も不自由な中で生活しています。今こそ、生長の家が必要な時です。私は友人、知人を教区練成会にお誘いしています。

私のいとこは、船のエンジンの修理をしています。いつのころからか仕事にも行かず、毎日、酒を飲んでいました。奥さんからは離婚を迫られていて、私は連絡を受け訪ねました。仏壇の前で聖 経『甘露の法雨』を誦げました。奥さんには、「彼は飲みたくてお酒を飲んでいるんじゃないですよ。先祖供養をすると良いですよ。生長の家に来れば、 必ず良くなるから!」と私は確信を持った口調で言いました。 いとこを連れて練成会に行くと、間もなく仕事が入ってきたようです。離婚寸前だったはずの奥さんが迎えに来て、 職場に連れて行きました。しかもその仕事の出来映えは非常によく、船主さんに大変喜んでもらえたと。いとこ夫婦は「生長の家はすごい」と次回の練成会の参加も希望しています。このように、被災地はまだ光の見えない中で生活しています。この被災地の人々の 光の拠点として伝道していくことが、 私が神様から与えられた大きな使命だと思っています。

最期になりましたが、総裁先生御夫妻を初め、全国の相愛会、栄える会の幹部の皆様、被災した私達に沢山の物資と御愛念を下さり誠にありがとうございました。

再拝

カテゴリー: 光のおとずれ, 真理の証し   パーマリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

トラックバックURL:
http://www.sni-miyagi.or.jp/wp/wp-trackback.php?p=3836